脳のミステリー

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140.私は障害者! でも、もし障害児の母親だったら?

2007-03-14 06:16:35 | Weblog
 私は偉そうに自ら障害者云々を色々語ることに抵抗を感じていない自分と向き合う必要があるような気がする。突然「もし障害児の母親だったら?」と質問を投げかける機会に遭遇した。これまで障害児の母親達と幾度となく言葉を交わした事はある。でも、その時は私自身に障害者というレッテルは貼られていなかった。
 自分の子供達を念頭に私の口癖は「自分の子供達が火の中で助けを求めたら救うのは先ず、母親でしょう」だった。私は自信を持ってそう言ってきた。だが、最近、これが大きく揺らいでいる。自分自身が障害社会に身を置くようになって、老若男女、様々な障害に悩む人達に出会った。殆どが、本人だった。
 今年に入ってすぐ、お子さんが重度の障害だというある母親に会った。その母親は自分の言葉が続けば続くほど感情が高ぶって理性を失いかけていった。自分の声に興奮するので、終いには何を訴えたいのか理解できなくなってしまった。
 爽やかな触れ合いもある。ある女性に突然、背後から声をかけられた時のことである。痙性麻痺が極度に強い私はこれに弱い。背後からは、触れられなくても、声だけでも伝わってきて強張りが始まる事が多い。だが、この時の女性の声は違った。場所は警察署の真ん前だった。信号が変わって、横断歩道を殆ど占領して停車する車の前を私は渡ろうとした。女性は軽やかな声で「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。振り向く事は不可能だが、私は即座に「大丈夫です」と答えた。歩道に辿り着いて、ほんの僅か走行したところで女性が再び声をかけた。
「その車椅子、どちらのですか? 軽そうですね。息子が車椅子で走り回っているので・・・」
女性は操作器具のある側を私と並んで歩き始めた。道が二つに分かれ、私達も別れるまで口数少なく会話した。あの女性の息子さんなら、未だ未だ若いだろうな、と思い、それでも女性の清々しい声が頭に残って爽やかな気分になった。お邪魔な乗用車が出過ぎで横断歩道を殆ど塞ぎ、警察前で何の為に立っているのかしら?と首を傾げたくなるような警察官に少し憤りを感じた私だが、女性の言動は私を晴れやかな気分にした。
 常に、健常者の頃からアドバイザーに徹しようと自分なりに努力してきた私は、やっぱりピアカウンセラーには中々なれそうにもない。
 何れにせよ、自分自身でなく、我が子が障害を背負ったら・・・答がすぐに見つからない私は未だ未だ人間が出来ていないのだろう。