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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

雨のハイウェイ  by  矢沢永吉

2022年09月18日 | 音楽全般

雨のハイウェイ  by  矢沢永吉

 

私が十代の頃、エーちゃんがソロになりたての頃に発表したアルバムが、私の周りの友人たちの間で大ブレイクしていた。

彼らの車に乗るとたいがいエーちゃんのソロアルバムがカーステでかかっていた。

 

私は元々、エーちゃんが所属してたバンド、キャロルの大ファンだったので、エーちゃんの作る歌は好きだった。

キャロルの曲は、どれも好きだったし。

それは私がビートルズファンだったことも影響してたと思う。

キャロルの曲は初期のビートルズっぽい良さがあったし。

また、キャロルのビジュアルは、ビートルズはビートルズでもデビュー前のビートルズという雰囲気だった。

そんなコンセプトも良かった。

 

エーちゃんのソロアルバムをカーステでいつでも流してた友人たちは、当時世間ではいわゆる「不良」と呼ばれていたような奴等だったと思う。

少なくても、彼らのことをよく知らない人は、彼らのことを不良だとみなしていたような気がする。

 

まあ、友人としてつきあってみれば、そんな悪い奴等ではなかったんだけどね。

まあ、だからといって決して優等生ではなかったけど。見た目や雰囲気的にも。

 

元々エーちゃんの歌は好きだったこともあり、彼らの車でいつもエーちゃんのソロアルバムが流れていても、苦にはならなかった私。

 

それどころか、しょっちゅう聴かされるうちに、アルバムの曲を覚えてしまうようになり(私自身はエーちゃんのソロアルバムは持ってなかった。だが、友人の車に乗ればいつでも聴けると思い、なけなしの小遣いは違うミュージシャンのアルバムの購入資金にあてていた)、しまいには特に大好きな曲も出てきた。

それが「雨のハイウェイ」という曲だった。

この曲が良くてね・・。

 

アルバムには他にも良い曲はたくさんあった。

どれもよかった。

だが私にとっては、この「雨のハイウェイ」がナンバーワンだった。

 

聴いてると、なんというか・・映像が浮かんでくるようなシチュエーションが歌われていた。

タイトル通りに雨の高速道路などを移動中にこの曲を聴いたら最高だろうなと思っていたが、中々そういう都合のいいシチュエーションはなかった(笑)。

でも、普通に町の道路を走ってる時に聴いても、絵になる歌であった。

 

この曲が収録されてたアルバムは、エーちゃんがキャロル解散後に1975年に発表したファーストソロアルバム「アイラブユーOK」であった。

 

このアルバムと、翌1976年に発表したセカンドアルバム「ア・デイ」の2枚のアルバムは、当時の不良系の友人の間ではバイブル的な存在だったと思う。

 

多分90分のカセットテープのA面に「アイラブユーOK」が収録され、カセットのB面に「ア・デイ」が収録されて、車の中でその90分カセットをA面B面繰り返し流していたと思う。

 

その友人が運転してた車が、彼らの持ち物だったのかどうかは定かではなかった。

とはいえ、10代の若造に車が買える金があったのかどうかは微妙なので、もしかしたら親の車を借りて乗りまわしていたのかもしれない。

もしくは家業を継ぎ、中古で車を買ったのかもしれないし、借金して新車を買ったのかもしれない。

そのへんの事情は私はあまり追求しなかった。

 

ともかく、彼らが車を乗り回し、車の中ではいつも矢沢永吉のソロファーストアルバムとセカンドアルバムが流れていたのは確かだ。

 

 

当時、日本では歌謡曲にかわる新たな音楽ジャンルの台頭が目覚ましい動きを見せていた。

その中で、フォークのヒーローとして岡林信康、吉田拓郎、井上陽水(陽水はどちらかというとフォークというよりポップスに近い気がしたが)が出てきた。

で、ロックのヒーローとして出てきたのが矢沢永吉だったと思う。

音楽の、とあるジャンルが幅広いファン層に広がり定着するには、そのジャンルを代表したり象徴したりする「飛び抜けたスター」「カリスマヒーロー」の存在は不可欠。

例えば海外では、50年代にロックンロールを象徴するカリスマ、エルビスが登場し、60年代にはロックのヒーローとしてビートルズが登場、フォークではボブディランが登場。

こういう「象徴的な大スター」がそのジャンルを広めたり定着させる大きな原動力になった。

で、日本でもフォークやロックでそういう象徴的なカリスマスターが出てきて、やがてはポップスでもユーミンや山下達郎などが出てきて、そういう色んな流れが混ぜ合わさって、後のJ-ポップ定着にも繋がったと思う。

 

そういう意味では、矢沢永吉の存在は極めて大きなものだったと言えるだろう。

 

エーちゃんの楽曲は、不良系のファンが多かったのは確かだが、ともかく楽曲そのものが魅力的だったので、不良系ファン以外にも広まっていった。

 

だからこそ、見た目が決して不良系キャラではなかった私のようなファンもがっちりエーちゃんは掴んでいったのだと思う(私の場合は、リーゼントの不良系でもなく、かといって横わけの普通系でもなく、ミュージシャンに憧れる長髪系だった)。

 

もしもある特定のジャンルが一部のファンの間で人気があるものの、中々一般化して定着していかないような状況があるとすれば、そのジャンルのファンだけでなく、そのジャンルのファン以外のリスナーのファンもつかめるようなカリスマスターが出てきていないからではないか。

カリスマ性も楽曲も。

そんな気がしてならない。

 

じゃないと、そのジャンルは一部のファンの間で人気があるだけのままになってしまうかもしれない。

 

その点、矢沢永吉は、そこらへんを突き抜けて、ジャンルを引っ張り上げたのだろう。

 

そういう存在のスターは、時代の変化と共に、存在そのものが古くなっていっても、後輩からリスペクトを集め続けていられるのだろう。

なにより、功労者という地位は揺るがないのだから。

 

 

この曲の矢沢さんのオリジナルバージョンはネットでは見つけられなかったが、熱心なファンがカバーしている動画はいくつもあったので、興味がある方は検索してみてはどうだろう。すぐに見つかると思う。

中には非常にかっこよく歌ってる動画もあった!

 

 

 


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