毎日いつも見ていた日常の当たり前の風景が、いつもと違って特別に感じられ、しかもそれが記憶として自分の中に刷り込まれ、いつまでも心に残っていくことになる・・・そんなことがある、
いやなに、その風景自体は、いつもと全く変わらない「なんの変哲もない風景」だ。
だが、その風景を、いつもの日常と違う特別な日に見ると、どうもいつもと違って見えるのた。
そんな風景がいくつもある。
その場合、その日がいつもと違う日であることが重要なのかもしれない。
例えば、その日が大晦日だったり、夏休みに入る学期末の日だったり。
私が子供の頃に住んでた部屋の窓から見えた景色には、手前の民家の向こうにはビルが見えていた。いつもはそんな当たり前の風景を見ても特に何も感じたり、思ったりすることはなかった。
だが子供の時の、とある大晦日にその景色を見た時、なんというか、いつもとひと味違う風景に見えた。日差しを浴びたビルの陰影が。
それと、ビルの上の青空も。
そんな陰影なんて、他のいつもの日にもいくらでも見えていた「おなじみの風景」だったにもかかわらず。不思議だった。
また、駅から家に向かう坂道の途中に中華料理屋があったのだが、大晦日の夜にその店の前ですれ違ったおじさんが赤ら顔で酔って立ち止まって、少年だんぞうに話しかけた姿。
そのおじさんは、私の親の仕事関係の人だった。酔ってたせいか、いつになくハイテンションで浮かれているようにも見えた。その人は、よく酒を飲んでたし、酔った姿は私にとっては見慣れた姿だったにもかかわらず、大晦日の夜のその一瞬は、やたら記憶に残ってしまった。その時の夜空と、町のあかりと共に。
大晦日でいえば、家の前にあった「門までの石段」に差し込んでた日差しも、平日のいつもの風景と違って見えた。いつも見てたありきたりな風景だったにもかかわらず。
遊び場にしてた廃墟ビルへの日差しも。
大晦日以外でも、学校で一学期最後の日に通信簿を貰って、家に帰る途中に通った駅にあたってた日差しなどにも特別感を感じた。
いつも見慣れてた風景だったにもかかわらず。
なぜかそれが記憶に強く残り、あとになって思い出すと、まるでその風景は夢の中の風景のように思えたりした。
ほんと、見慣れてたはずの当たり前の風景だったはずなのに。
不思議だった。
やはり、前述のように、いつもと違う特別な日に見た風景だったからなのだろう。
風景自体は、いつもと変わらない当たり前の風景なのに、特別な日に見ると、当たり前の景色が当たり前じゃなく感じられた…ということなのであろう。
皆さんにも、そんな記憶はないだろうか。
いつもの風景がいつもと違ってみえた…そんな体験が。
そんな日が。
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