時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

生涯現役という幸せ

2022年02月08日 | 日々の、あれこれ

よくテレビで、どこかのお店の取材で、90歳を超えても元気に店で働いているお婆ちゃんが取り上げられることがある。

 

そんな時、画面を見てて、このお婆ちゃんは幸せな人生を送っているなあと実感する。

 

そういう店はたいがい自営の店だ。

以前はそのお婆ちゃんが店の責任者だったかもしれないが、今では娘や息子に経営を任せて、自身は一歩引いた形で、店を手伝っている・・・という状況はよく目にする。

 

店に出て働いてるということは、人前に出るということ。

その場合、その「人」というのはお客さん。

お客さんというのは、当然家族ではない。まあ、他人であると言っていいだろう。

そこには客との会話もあるだろう。

 

普段家にこもって、家族以外の人とは会わない状況だと、そこに刺激はなくなっていく。

だが、店に出て、他人と接することは、刺激にもなる。

刺激を受ければ、脳も活性化される。

 

時には、何かの金銭的な勘定もしなきゃいけない場合もあるだろう。

 

そういう状況だと、心がシャキッとして、脳が活性化され、ボケにくいんだと思う。

 

そういうお婆ちゃんは、ボケることもなく、ギリギリまで元気でいられる人生を送れている人はけっこういるのではないだろうか。

 

高齢になってもボケず、しかも自分のことは自分できるぐらい体も動き、仕事を続けることで、店の経営にも貢献できている・・・これは充実した人生になると思う。

 

家族に負担や迷惑をかけないどころか、むしろ家族に経済的にも人手的にも貢献できて、毎日ある程度の刺激もあり、人生ギリギリまで元気でいられる人生。

なんて素敵な人生なんだろう。

 

そういうお婆ちゃんを見てると、羨ましい人生だと思う。

もちろん、お婆ちゃんだけでなくお爺ちゃんもそうだ。

 

人それぞれ幸せの基準は違うと思うが、高齢になった時の幸せな姿のひとつの形だと思う。

 

 

「寝たきり」もしくは「半・寝たきり」になり、自分では自分のことができなくなり、絶えず介護が必要になり、特に「下の世話」まで他の人にやってもらうことになったら、それまでのその人の人生の過ごし方が「プライドの高い」ものであった場合、プライドが高ければ高いほど、辛いだろうなと思う。

でも、そうしなければ生きていけないのなら、そうする状況に甘んじるしかないのだ・・。

葛藤もあるだろう。

かといって、不自由な体でも、とりあえず「下の世話」だけは人の助けを借りずに自身で無理やりやろうとして、その結果転倒などして、体の状況がより悪化してしまったら、元も子もないのだ・・。

 

 

施設に入れば、介護する家族の負担は減るが、かといって施設を利用するのはただではない。

場所によっては、かなり高額な施設もある。

 

そうなると、その費用をねん出して、残された家族は自身の生活がなりたっていくのだろうかという問題もある。

 

 

だからこそ、自宅にいて自分のことは自分ででき、ボケることも少なく、家族の経営する店にでて刺激もあり、なおかつ自身の意思で気分転換もでき、経済的にも人手的にも家族に貢献できてる高齢の人の人生は、十分に人から羨ましがられる価値はあると思う。

 

だから・・・前述の通り、これこそ高齢になった時の幸せのひとつの状況なのではないかと思えるのだ。考えれば考えるほど。

いやむしろ・・・これは最高に幸せな状況にも思える。

 

どんなに豪邸に住み、身の回りの世話を全て他の人がやってくれても、寝たきりになり、ボケが進むくらいなら。

 

なぜなら、それができない状況に置かれてる高齢者もいるから。

 

 

 

 

 

 


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