神津島に関しては、これまでこのブログで取り上げたことがあるし、昔私がHPを持ってた時にも記事を書いたことがあった。
私が神津島に行ってたのは十代の頃。
なので、もう相当前だ。
それ以来行っていない。
だが、当時現地で見た風景は今でも何カ所も覚えている。
離島ゆえ、そうおいそれと行ける場所ではない。
そう、急に思い立って、今日いきなり行ける場所でもない。
コロナ禍の中では、なおさらだ。
厳密には、調布の飛行場から小型飛行機に乗れば短時間で行けるのではあるが。
神津島に再び行ってみたいという気持ちは、いつも私の心のどこかにはある。
十代の頃に神津島に一緒に行ってた友人と、以前同窓会で久々に再会した時、神津島の話題が出た。
共通の思いがある話題だから。
なんでも、その友E君は、近年久々に神津島に行ったらしく、近年彼が見た神津島について私に語ってくれた。
私が「神津島にまた行ったのかい?いいなあ。俺もまた行きたいと思ってるから、うらやましいよ」とE君に言ったところ、E君は「だんぞう、お前が覚えている神津島はもうないぞ」と答えた。
もちろん、神津島そのものがもうないという意味ではなく、神津島は我々が十代の頃に行った頃とはだいぶ変わってしまっている」という意味だった。
私はその言葉がどうも頭にこびりついていた。
そこで、先日、グーグルマップで、神津島に行ってみた。
もちろんグーグルマップだから、バーチャルトラベルではあるが。
今は自宅にいながらにして、バーチャルで気軽に旅先に行けてしまう。便利になったものだ。
ポインタをまずは港に置き、そこから画面をスクロールさせていった。
私の置いたポインタが港から最初に行く場所は、前浜の近くの橋。
ここは昔、仲間内で「ナンパ橋」と呼んでいた橋だ。正式な橋の名前は知らない。
夏の混み合う時期の夜など、この橋は神津島の中心地に思えた場所で、もっとも賑わっていた場所。
橋の近辺は、さほど昔と大きくは変わってないように思えた。
おおまかな地形は当時のままだったし。
橋の近くの居酒屋みたいな店もしっかりあった。
ただ、店の当時の外観は覚えていないので、比べようがなかった。
ナンパ橋近辺から路地に入り、私たちの泊ってた民宿に行ってみると、もうその民宿はなかった。
民宿から見えていた「別の宿」ももうなかった。
だが、それはある程度想定内だった。我々の泊ってた民宿は、当時の段階でも古びた建物だったから。
「確かに建物などは新しくなってる家屋もあるが、全体的には当時の風景と大きくは変わってないような気がする」
と私は思い、次に私たちが昼間一番滞在していた場所にも行ってみることにした。
それは沢尻湾。
当時、ナンパ橋近辺から沢尻湾に行くには、海沿いに歩いていき、小さな山を登り、さらにその山を下ってたどり着くルートだった。
だが・・・今グーグルマップで沢尻湾に向かって画面をスクロールさせて行った時、E君が私に行った「だんぞう、お前の知ってる神津島は、もうないぞ」の意味が分かった。
前述の通り、十代の頃の私たちが沢尻湾に出るには、沢尻湾の近くの「小さな山」を越えて行ってたのだが、現在は海沿いの道ができていて、そのまま「小さな山」」越えをしなくてもよくなっていた。
海沿いの道が崖の下部を回り込むように整備されており、海沿いの道を歩いたままで沢尻湾方面に出れるようになっていた。
そう、簡単に沢尻湾に出れるようになっていたのだ。
「そうか、E君の言ってたのは、このことか」と私はつい納得。
当時我々が昼間の神津島でずっとたむろしていた場所は、沢尻湾ではあったけど、その湾の砂浜部分ではなく、今では「回り道」が整備されてる岩場のあたりであった。
砂浜の方はそこそこ人がいたが、その岩場には私たちの他には誰もいなかった。
なので、岩場を独占できた気分でいた。
岩場の海は砂浜と違っていきなり深い。
なので、足ひれや水中メガネ、シュノーケルなどを装備して、岩場の海に「潜って」遊んでいたのだ。いわゆる「素潜り」・・・というやつだ。
砂浜で海に入ると「泳ぐ」という感じになるが、岩場の海はいきなり深いものだから「泳ぐ」というより「潜る」だった。
これがもう楽しくて。
何メートルか潜ると、水圧が少しかかってくるが、海底の岩場の陰にたくさんのカニがいたりした。
で、のんびりしたい時は、小さなゴム製のマットに乗って海面をプカプカしたり。
通常は「潜り」で遊び、疲れたら岩場にあがって休み、のんびりする時は小さなマットに乗って水面をプカプカ。
これが当時の私たちの「昼間の神津島での過ごし方」だった。
なにより、「小さな山越え」をしないと行けない・・・というのが良かったのかもしれない。
その「小さな山」というのは、登山といえるような山ではなく、せいぜい数十メートル程度の高さでしかなかった。20~30メートル程度??
まあ、高さを測ったわけではないが・・・。
その山を登っていき、てっぺんに着くと、いきなり下界に沢尻湾を見下ろすことができたのだが、最初にその風景を見た時は感動したものだ。
眼下に沢尻湾全景(?)が見渡せ、海の色は江ノ島などで私が見ていた海とは違って透き通っていて、海底の白砂まで見えていた。
で、これからあの海に降りていき、潜るのだ・・と思うとワクワクしたのを覚えている。
今ではまわり道ができて、小さな山越えをしなくても、港方面から沢尻湾までは簡単に来れてしまう。
今神津島に来て、沢尻湾に行く人は、小さな山から見下ろす沢尻湾の海の風景は見ずじまいの人が大半ではないだろうか。
「確かに、十代の頃に私たちが見た神津島とは、ここは違うな」と私も思った。
当時、私たちは神津島での移動は基本「歩き」だった。
なので、行った場所は島全体ではない。
前浜、沢尻湾、長浜、そして多幸湾、天上山・・・これぐらいだったと思う。
前浜近辺は、港に近く、民宿や店もあたりに多く、島で一番賑わう場所。
ここは島の観光では拠点になる場所であろう。
沢尻湾に関しては、すでに書いた通り。
長浜に関しては、沢尻湾に行った時に、ある時さらに向こうまで行ってみようということになって、沢尻湾から海沿いの道をテクテク歩いて行って着いた・・・のだと思う。
私たちが長浜で泳いでいた時、浜のほうで救急車の音がした。
後で分かったことだが、私たちが長浜で泳いでいた時に、海で水死体があがったらしかった。あの救急車は、遺体を回収した直後だったのかもしれない。
それは宿で夕飯の時に知ったのだが、一同ゾーッとしたのを覚えている。
私らが泳いでたすぐすばで水死体があがったことになるから。
そのせいか、個人的には長浜には少し怖いイメージがある。
多幸湾は、前浜とは島の裏側・逆側にある湾。
相当な絶景。一見の価値はある。神津島に行く人は、一度は多幸湾は肉眼で見ておいてほしい。圧倒されるはずだ。
歩きで行く場合、前浜からはけっこう距離があるので、もしかしたら私たちはバスか何かで行ったかもしれない。
天上山は島のシンボル的存在で、しっかり登山になる。
天上山の山頂に登った時、あたりはけっこうガスっていたので、あまり長居はしなかった。
でも、下界の様子はそれなりに見れた。その風景は今でも覚えており、夢に出てきたこともあった。写真を撮っておけばよかった・・と後になって後悔した。
私らが行ったのは上記の場所。他の場所には行けていない。
なので、グーグルマップでは、当時我々が行けずじまいだった場所にも行ってみた。
前浜から向かって左側に見えていた半島の先っぽとか、多幸湾へのいくつかのルートとか。
それらを見てると、「我々が島で見ていた風景は、ほんの一部だったんだな」と実感。
もし再び神津島に行く機会があったら、現地でレンタカーなどを借りて周ってみたい。
たとえ、私が十代の頃にみた神津島とは若干変わっていたとしても。
十代の頃に行った神津島は、おじさんになってから再び行く私に、どんな思いを与えてくれるのだろう。
当時一緒に神津島に行った友達の中には、もうこの世にいない奴もいる。
行方不明の奴もいる。
外国に住んでる奴もいる。
でも、実際に今の年代で再び行ったら、当時一緒に行った友人たちの幻影を、そばに感じながら歩くことになるのかもしれない。
なお、写真は絶景「多幸湾」。多幸湾の浜辺に行くと、崩れ落ちた山の崖がいきなり目の前で海に落ち込んでる景色が見え、圧倒的な迫力だった。
生で見る価値は多いにある。機会があれば、そのチャンスを逃さず、ぜひ実際に肉眼で見てほしい。日本広しといえど、他では中々見れない絶景だから。
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