かまやつさんのヒット曲というと、「我が良き友よ」があげられることが多いが、「我が良き友よ」は吉田拓郎さん作詞作曲の曲だった。
だが、かまやつさんは元スパイダースのメンバーであり、自ら作詞作曲もこなすシンガー・ソングライターでもあった。
スパイダース解散後にかまやつさんがソロのシンガー・ソングライターとして出したヒット曲といえば、一般的には「どうにかなるさ」という曲がそれなりに知られている。
カントリータッチの曲で、けっこうヒットチャートを上ったし、今でもアマチュアシンガーからはライブでカバーされたりしている。
今回取り上げる「気らくなものさ」は、「どうにかなるさ」というシングルヒットに続いて発表された曲で、路線としては前作「どうにかなるさ」を引き継いでいる曲。
ラジオなどではそこそこプッシュされていたし、そこそこのヒットにはなったようには思う。まあ、「どうにかなるさ」ほどのチャート成績はなかったかもしれない。
私は「どうにかなるさ」もかなり好きたったが、続く「気らくなものさ」は前作と同等以上に大好きだった。
風呂などで、よく歌っていたし。
「どうにかなるさ」は今でもたまに誰かがカバーすることはあるが、この「気らくなものさ」がカバーされてるのは、私は聴いたことがない。
まあ、日本は広いので、どこかで誰かがカバーしてるのかもしれないが、私の行動範囲内では、「気らくなものさ」がカバーされてるのは聴いたことがない。
だがら、今回このブログで取り上げておこうと思った。
ちなみに、この「気楽なものさ」の後に出されたシングル曲は「四つ葉のクローバー」という曲で、前作や前々作のカントリータッチの曲とはうって変わってフォークタッチの曲で、その曲もまた私は好きだった。
思えば、かまやつさんは音楽性の幅が広い人で、スパイダース時代の代表曲を何曲も手がけていた。
「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノーノーボーイ」「エレクトリックおばあちゃん」などのポップスナンバー。
ソロになってからは、「どうにかなるさ」「気楽なものさ」などはカントリータッチ。
かと思えはフォークタッチの「四つ葉のクローバー」。
また、後年は吉田拓郎さんと「シンシア」をデュエットしたかと思えば、拓郎さんに作ってもらった「我が良き友よ」を大ヒットさせたり。
との曲も一曲ずつ取り上げたくなるような魅力曲。だがそれをやり始めたらキリがなくなるので、今回は「どうにかなるさ」の影に隠れてる感のある魅力曲「気楽なものさ」を、ここでは取り上げておくことにした。
本当に歌いやすい曲で、私にとってお気に入り曲のひとつ。
この曲を初めて聴いた時、私はまだ少年だった。
やかて自分が20代の若者になったら、この歌で歌われてるような生活を送れるようになるのかもしれない、だとしたらそれはそれで気楽で楽しそうたな・・と漠然と思って、来たるべき自分の若者時代に思いをはせた覚えがある、
まあ、実際に若者時代に入った時に、この歌の主人公のような生活や心境になれたかどうかはともかく(笑)。
今ではすでに鬼籍に入られた方だが、つくづく多彩な音楽性を持ったミュージシャンだったと思うし、のちにJポップと呼ばれるようになる日本の黎明期のポップスの流れの中で、ソングライティングの才能もあった貴重な人だったとも思う。
ちなみに、エレキのリードギターの音色に時代性を感じるのは私だけかな?
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