小学校時代に、「手のひらを太陽に」という曲を、学校で習った。
有名な曲なので、ご存知の方は多いはず。
作詞は、あの「やなせたかし」さん。作曲は、「いずみたく」さん。
ウィキペディアによれば、この歌は1961年に作られた曲で、1962年にNHKの「みんなのうた」で紹介されて、広まった曲らしい。
この曲の歌詞の中で、「手の平を太陽に すかしてみれば 真っ赤に流れる ぼくの血しお」という部分がある。
この歌詞を歌う時に、実際に手の平を太陽にかざして見た人は多いのではないだろうか?
もしかしたら、振りつけをつけられ、そのフリの中で、そういう動作があったりした場合もあるのではないだろうか。
この歌詞を初めて聞いた時、その部分の歌詞が幼心にかなり強烈だった覚えがある。
自分の体の中を血が流れているのは、怪我をすれば血が出ることでも明らかなように、幼心に漠然とは分かっていた。
だが、その血がリアルタイムで体内を流れているということは、子供時代私はリアルにはあまり感じていなかったように思う。
手の平を太陽に透かす・・・・という歌詞通りにすると、まるで手の平がレントゲン写真でも撮ったかのように、手の平の中が透けてみえるような印象を、あの歌詞からは受けた気がする。
で、実際に太陽にかざしてみると・・・・当然のことながら手の平の中が透けてみえるわけではなかった。
そのへんが少し不思議な気もしたし、「な~んだ、やはり透けないなあ」なんて思って、少し落胆もしたが、その一方で、少し安堵もした覚えがある。
それは、自分の体の内部がもしも・・・レントゲン写真でもなんでもないのに透き通ってみえたら、不気味な気もしたからだ。
自分のイメージでは、もしも、手の平の内部が透き通って見えたら、・・・なんていうか、理科室によくあった人体模型のように見えるんじゃないかと思ったからだ。
人体模型は、たいがい、体内の一部がくりぬかれでもしたかのようにくりぬかれ、その内部の内蔵がむきだしになっていたこともあって、まるで死体のようにも思えていた。
その人体模型のように自分の体内が見えてしまったら、まるで自分が死体にでもなったかのような気分になりそうな気がして、なにやら不気味で怖かったのだ。
まあ、幸か不幸か、手の平を太陽にかざしてみても、体内は透き通っては見えなかった。
だから、「よかった、僕はまだ死体じゃない」・・・みたいな気になって、安堵感を持ったのかもしれない。
ただ、実際に手の平の内部が透き通って見えるとか見えないとかはともかく、あの歌詞はそれほど強烈だった。
未だに、ああいう歌詞の曲って・・・ないもの。
基本的に自分の体内も、あの人体模型のような内部になっているのであろうことは分かったが、幼少の時分は、それをあまり体感したくなかったのだ。
ちなみに、「手のひらを太陽に」の歌詞には、他に、色んな虫や動物の名前も出てくる。
ミミズ、おけら、あめんぼ、かえる、その他。
そして、そういう生き物の名前が各コーラスに出てきたあと、歌詞は「みんな みんな 生きているんだ ともだちなんだ」とむずばれる。
その中で、ゴキブリとかダニとかなどの名前が出て来なくて、よかった。
だって・・・同じ生き物であるし、「生きている」という意味では同じでも、ゴキブリとかダニとかは、友達とは思えないもの。
というか、思いたくない・・。
歌詞の中に出てくる生き物のうち、あめんぼ、かえる、とんぼ、すずめ・・・このあたりは、まあ「ともだち」と思ってもいい。
ミミズは・・正直、微妙・・・。
まあ、ミミズは動きが遅いからすぐに対処できるという意味では、百歩譲って許すにしても、やはりゴキブリやダニは・・・いやだ(笑)。
だって・・
ゴキブリだって ダニだって、オオムカデだって みんなみんな生きているんだ ともだちなんだ
という歌詞だったら・・・ともだちだと思えますか?(笑)
私はきっと・・・・・・生涯、ゴキブリとは敵対関係であり続け、交戦中であり続けるであろう。