時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

東京オリンピック延期案とコロナウイルス

2020年02月28日 | 日々の、あれこれ

 

2020年の東京オリンピックが、新型コロナウイルスの世界的な広がりにより、開催のピンチを迎えている。

これに対してIOCの古参の委員から「一年延期」という可能性に言及があったらしい。

それはその古参委員の個人的な見解だったのだと思うし、それがIOCの公式見解というわけではないのだろう。

少なくても、この記事を私が書いてる今の段階では。

 

私は、これが一番いいような気がしていたので、IOCの古参委員には「よくぞ、それを発言してくれた」と思っている。

実現するかどうかは、ともかく。

 

仮に無理に開催を決めたとしても、コロナウイルスの感染具合のリスクはあるし、第一、各国が選手を東京オリンピックに派遣してくれるのか?という問題もある。

東京オリンピックに自国の選手を派遣して、感染してしまったら、その国の責任者は国民から非難を浴びるはずだ。

第一、選手だって競技には参戦したくても、来日するのは不安だと思う。なので、選手自らの意思で参加を辞退する選手だっていてもおかしくない。

 

そりゃ、2020年東京オリンピック開催までに、コロナウイルスが完全収束してくれれば一番いい。

だが、この記事を書いている今、、、2020年2月の段階では微妙だ。

無理に開催強行して、その結果コロナウイルスの感染や被害がさらに広がってしまったら、どうなるのだろう。

仮に、日本以外の国で代わりに開催しても、同じ2020年なら、どの国でも新型コロナウイルスの問題はつきまとうと思う。

オリンピックでは、世界中の国から人が開催国に来るわけだし。観客も選手もスタッフも。

今感染者がいない国でも、東京の代わりに開催したら、感染者が出る可能性もある。

仮に夏までに日本でのコロナウイルスが収束したとしても、まだ収束していない国から東京五輪に選手が来る可能性もあるだろう。全世界の国のコロナウイルスが同時に収束するわけではないのだろうし。

 

完全中止という選択肢もあるが、それだと日本の経済へのダメージは計り知れない。

また、その実現のために動いた人たちの苦労も水の泡になる。

もちろん、それに向かって準備・調整してきた選手にも精神的にも体力的にも影響はある。

 

だが、一年延期なら?場合によっては二年でもいいかもしれない。

どうしても東京で開催したいなら、それのほうが現実的な気はする。

まあ、その間にウイルスが収束している必要性はあるが。

で、延期した期間の間に、安心して開催できるように、コロナウイルスに対してやれることはやるのだ。

それはこれだけウイルスが広がっている世界各国にとっても悪いことではないはず。

 

もちろん、延期により損失を食らう部分はあるだろう。

選手の調整も、「2020年」と刻印されたグッズも、宿泊設備も、チケットの問題も。その他もろもろ。

だが、この際我慢しようよ。こうなったら、仕方ないじゃないか。 

すでに多方面で損失は出てるのだし、損失はもうお互いさまではないかい?特定の人や分野だけが損失を被っているわけではないのだ。個人単位はもちろん、会社でも。例えば私の会社も、損害は出ている。

少なくても、完全中止よりはいいはずだ。

完全中止の場合の損失のほうが甚大だと思う。色々な面で。

 

強行開催か完全中止かの二択しかない、、というのは思考停止ではないかい?

事態が事態だけに、特例として柔軟に対応してほしい。

何年か、あるいは何十年後かに振り返った時、「2020年時の五輪延期は特例だった」と認識されるのは、いけないことなのだろうか。

 

ポジティブに考えれば、そうすればマラソンのコースが東京から札幌に変更になった問題に対しても、更なる時間的な準備期間を設けられることにもなる。

選手のコースの下見、宿泊設備の準備、その他。

東京湾の水質の問題のさらなる改善にも取り組める時間ができる。

2020年の冬は暖冬だったことを考えれば、そんな年の夏の暑さへの心配もある。

 

エンブレム問題、競技場問題、マラソンコースの変更、などなど様々な問題が噴出してきた東京五輪に対して、結果的に準備期間の延長は、ある意味いいのかもしれない・・と思うことはできないだろうか。

 

そんなことを考えると、私は2020年の東京五輪は延期・・というのが一番いいような気がしている。

もし、その方法ができるのであれば。

 

駄目だろうか・・?

どうしても2020年にこだわらなきゃいけないだろうか?

東京五輪実現という大きな目標のために。

私は東京五輪開催には元々は賛成でも反対でもなかった。

だが、ここまで進んでしまった以上、今更「中止」はしたくない人は多いだろうな・・・とは思っている。

 

もしも五輪の四年間隔という慣例を変えることができず、延期ができないなら、・・・2020年の五輪開催は危険だと思う・・。

 

もしも2020年の東京五輪開催のために、今回のコロナウイルスの日本の初期対応が遅れたり、根拠のない希望的予測をしたり、結果的に誤った判断をくだしたり、邪魔したり秘密にしていたことがあったのだとして、その結果かえって中止になってしまうことになれば・・皮肉な結果ではある。

だとしたら、いわゆる「墓穴を掘った」という状況?

掘った墓穴は、延期ということで少しは埋められないかい?

 

 

きっと・・今は世界中の医療関係者が、このウイルス対策に取り組んでいるのだと思う。

国同士のメンツにこだわらず、仮に普段対立してる関係であっても、それを一時休止してでも、頑張ってください・・としか言えない。

どこの国のお手柄になってもいいじゃないか。それが仮に普段対立している国のお手柄になったとしても、いいじゃないか。

どこかの国の国民としてではなく、地球に住む地球人として。

 

 

ちなみに・・・マスクの問題。

マスクを一日使ったからって、毎日使い捨てていたら、減る一方。

供給がおいついていないし、毎日使い捨てていたら、そりゃなくなったり不足するのは当たり前。

マスクを今は誰もが必要としてるわけだし。1人でも多くの人にマスクを供給しないといけない。

マスクが貴重なものになっている今、私はマスクを何度か使いまわすことにした。

少なくても自分が感染していないはずの状態では。

洗ったりして。ゴワゴワにはなるけど(笑)、つけないよりはマシなのでは。

 

一度使ったマスクを使いまわすのに抵抗がある人はいるだろう。その気持ちはわかる。私とて、本当はそうだ。

でも、贅沢言ってる場合じゃない気がする。

ましてや今は花粉症の季節でもあるし、電車の中でクシャミしたくなることもある。

マスクがない状態で、今電車やバスなどの人が多数いる密閉空間の中でクシャミしたら、まわりの人はどう思うだろうか。ましてやこんな新型コロナウイルスのリスクがある時期に。

もしも貴方が電車やバスの中に居る時、隣の人がマスクもない状態でクシャミしたり、セキをしたりしたら・・不安に思わないだろうか?

実際それでトラブルが起きたりもしたらしいし。

 

使いまわしのマスクであっても、それをつけてることで、少なくてもマスクをしてない人よりは、クシャミやセキをした時に余計なトラブルを少しでも抑えられる気がする。

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歩いてたら、足元にまとわり... | トップ | 「キャプテンウルトラ」と「... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (lemonwater2017)
2020-02-29 01:37:29
象が転んだです。
私も延期案には賛成です。

使い回しのマスクも、塩素殺菌してからよく乾かして使うと喉がイガイガにならないような。色々と試す価値はありそうだ。
返信する
Unknown (だんぞう)
2020-02-29 09:33:56
もし東京五輪を本当に開催したいなら、今やれる最善の策は、延期しかないような気がします。

コロナウィルス感染者が世界中に広がるニュースを見聞きすればするほど、私はそう思ってました。

中止か、強行開催か、、、の二択しかないなんてことはないでしょう。
それでは選手やお客さんのことを考えなさすぎだと思います。

世の中には「特例」という言葉もあります。
こんな状況の時こそ「特例」の発動時だと思います。
こんな時のために、あるような言葉だと思います。
返信する

コメントを投稿

日々の、あれこれ」カテゴリの最新記事