生きてる限り、毎年毎年誕生日はやって来る。
誰のもとにもやって来る。
政治家もスーパースターも、スポーツマンも、金持ちも貧乏人も。男も女も。
独裁者も一般人も。どこにいても。得意絶頂な人も、不幸な人も。
人気があっても、なくても。何才であっても。
誰も誕生日の到来を避けることはできないし、逃げることもできない。
金でなんとかできる問題ではないし、権力でもどうにもならない。
出世してる人も、なかなか周りに認められない人も。
私にもこれまで何十回も誕生日はやってきた(誕生日は11月や12月ではないが)。
そして、すっかりオジサンになってしまった。
誕生日は1年に1回必ずやってきたし、誕生日体験を味わってきた。
誕生日を迎えるたびに、毎回何らかの想いを持った。
オジサンになればなるほど、新たな誕生日を迎えた瞬間、言いしれぬ寂しさを感じてきた。
誕生日前日の夜中23時59分になると、あと1分でまた更にオジサンになってしまうと思い、この時刻で時が止まってくれたら…などと無駄な願いを持ったりした。
だが時計の針は止まることなく進み、やがて針は深夜0時を迎え、その瞬間自分が更にまたオジサンになってしまったことになり、無常感とあきらめが自分を包んだ。
私がこれまてに迎えた誕生日の中で、1番ショックだったのは、何才の誕生日だったろう。
それはやはり…29才から30才になってしまった時だったと思う。
29才だとまだギリキリ若者の末席にいられた気がしたが、30才になった瞬間、ついに自分も中年と呼ばれる世代になってしまったか…と思い、なにやらショックだった。若かったはずの自分が中年になるとは…と思って。
その瞬間に私に見えていた景色はハッキリとは覚えてない。
多分自分の部屋の中にいたんだと思う。
見えていた景色より、時計の針が無情に深夜0時になってしまったことと、自分がとうとう30の大台に乗ってしまったショックが大きくて、それ以外の風景を思い出せない。多分部屋で酒でも飲んでいたと思う。
シラフでいるのは辛かったはずだから。
虚脱状態…と書くと少しオーバーかもしれないが、それに近い心境だった。
何回誕生日がきても、どれも他の誕生日と同じはずなのに、やはり10年ごとの年齢の節目の誕生日は、精神的・気分的に心に与える影響は大きい。
節目…年齢が次の大台に乗る誕生日だ。10代から20代になった時、20代から30代、30代から40代…といった具合に。
若い頃、私は若者は20代いっぱいまでというイメージがあったから、25才を通過してからは、毎年年齢が30に近づくのが憂鬱だった。で、遂に30才になったら、もう諦めみたいな心境にもなった。
20代になった時は、そうでもなかったのに。
40代になった時もそれなりにショックはあったが、やはり30才になった時の方がショックは大きかった。
ても、そんな人は多いのではないかと思う。
だから、30才になった時、多くの人が私と同じ心境なのだろう、とっくに30才を越えた先輩方も、今後30才に向かう若者たちも。そう思って自分を納得させた覚えはある。
そう考えないと、落ち込んでしまいそうだったし。
貴方は、これまで迎えた誕生日の中で、もっともショックだった誕生日はあるだろうか。
あるいは、ショックというほどじゃなかったとしても、何か思うことが多かった誕生日は、いつの誕生日だったろうか。
まあ、無理にネット上で書く必要はないとは思うけど。
あまり追求すると、リアル年齢をさらすことになるし(笑)。
ただ、年齢が互いにわかっている同士のリアルの飲み会などでは、おもしろいネタにはなるかもしれないね。
例えば同窓会とか。
若い頃、そう二十代迄はなんとなくお祝いしてもらってた記憶はありますが、それ以降はもっぱらお祝いをあげる側でしたね。主に友人の子供とか親戚の子供とか・・・。
嫌いじゃないんですよね、おもちゃ屋さんとかファンシーグッズのお店を覗くのって(笑)
三十代〜四十代〜五十代〜そして現在。
日々のスピードがどんどん速くなってますね。今はもうほぼアクセルベタ踏みですな。自分的にはそんなつもりないんですけどね、こればかりはどうしようもありません。
季節感が希薄になってるのも要因のひとつかもしれませんね。だって、今年もそろそろ・・・おっといけねえ(笑)
強いてあげれば、1回くらいあったかどうか・・それくらいです。
10代いっぱいまでは時の流れは割とゆったりしてた気がしましたが、20代に入ってからは時の流れが早くなっていきました。
それ以来時の流れは早くなる一方に感じられています。
誕生日でいえば、やはり30才になった時はショックでした。