手塚治虫先生、寺田ヒロオ先生、石ノ森章太郎先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生など、後のレジェンド漫画家を輩出した、伝説のアパート、トキワ荘。
伝説の存在だけに、人によってトキワ荘には色々なイメージや素朴な疑問を持っていたのではないだろうか。
例えば、ボロアパートであったかどうかとか。
貧乏なイメージがあったが、家賃は安かったのだろうかとか。
たまたま住人に漫画家が多かったのだろうかとか。
なぜあんなに漫画家がたくさんいたのかとか。
その他。
私は、ある意味、自然の流れで(?)漫画家があのアパートに集まってきたのかと思っていた。
たまたま手塚先生があのアパートに住んでいたから、手塚先生に憧れた漫画家志望の人たちがあのアパートに来て、そのツテなどで続々と漫画家志望の人が住みつくようになったとか。
で、あのアパートに「空き」があれば、漫画家志望の人は誰でも入居できたのだろうとか。
そんなイメージを持っていた。
だが、実際には、あのアパートに漫画家志望の人が入居するには、入居条件があったらしい。
なので、その条件をクリアしない漫画家志望の人は、入居できなかったようだ。
漫画家を目指す人なら誰でも入居できたというわけではなかったらしい。
私がこのことを知ったのは、だいぶ後になってからだった。少し意外だった。
ウィキによると、当時のトキワ荘に入居するには以下のような条件があったらしい。
- 「当時の雑誌『漫画少年』で寺田ヒロオが担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
- 協調性があること。
- 最低限、プロのアシスタントが務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
- 本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。
だそうだ。
上記の厳正な審査をパスした、すぐれた漫画家だけが入居できたようだ。
漫画家として一定のレベルに達していて、なおかつ住人の漫画家たちと協調していける人じゃないと入居できなかったわけだから、入居するにはそれなりにハードルはあったことになる。
なんでも、リーダー格だった寺田ヒロオさんの「トキワ荘を新人漫画家の共同生活の場にしたい」という意向が強く反映されていたようだ。
なるほど。どうりで、トキワ荘出身の漫画家に大物が多いわけだ。
たまたまあのアパートに「のちの大物漫画家」が集まったというわけじゃないのだ。
また、後年トキワ荘が出てくる様々な作品(映画、ドラマ、漫画など)などの影響で、トキワ荘は安くてボロいアパートだったというイメージがあるが、手塚治虫さんが入居した当時はまだ新築だったらしい。
決してゴージャスなアパートではなかったかもしれないが、当時の日本人の生活レベル(賃金、物価などの相場)自体が決して高いわけではなかったからボロく感じただけで、当時の日本人の生活レベルと比較すると、平均的なアパートだったようだ。
トキワ荘の部屋は基本四畳半で、トイレは共同、風呂は無しだった。
今の基準からいうと安アパートという感じの設備だが、でも当時はそれが普通だった。
事実、私が幼かった頃も、まだそういうアパートはけっこうあったように思う。
なので、当時の世相からいえば、とりわけボロだったというほどでもなかったのだろう。
後にトキワ荘出身の漫画家たちが大物漫画家になり、金銭的にも住居的にもグレードアップしたから、余計にトキワ荘が安ボロな印象に思えたのかもしれないし、またそのイメージがトキワ荘が出てくる漫画や映画やドラマなどに反映されたのではないか。
オリジナルのトキワ荘は老朽化で、今ではとっくに解体された。
だが、トキワ荘伝説が世間に広まるにつれ、復元の動きもあるらしい。
また、オリジナルトキワ荘の意義を受け継いだ「現代のトキワ荘計画」などもあるようだ。
若い漫画家たちが切磋琢磨できるようなシェアハウスだ。
そういう意味では、トキワ荘は、そのスピリットは今も現役なのだろう。
ちなみに、トキワ荘があった場所は、西武池袋線の椎名町駅が最寄り駅のようだ。
そして漫画家にとっては入寮?審査が、やはりハイレベル…。
しかし厳しい条件は、当然、漫画家自身にとっても技量や努力を促しますから、決して無駄ではありませんね。
私も漫画編集者にとして、トキワ荘訪れてみたかったです。
「○○先生、この作品は、まだまだダメです!」などと論争になることも、頻繁らしいです。
トキワ荘も日夜『編集者VS漫画家』が展開されていたでしょうね(笑)
なにせ、レジェンドクラスの漫画家を輩出した場所ですから。