ちょっと前のことになるが、かつて歌謡界で一世を風靡した大物作曲家へのインタビュー番組があった。
その人は、J-ポップでよくいるシンガーソングライター系の人ではなく、歌謡界における「作曲家の先生」という位置づけの方だ。
その方のインタビューでは、その先生は、その方が活躍していた時代と、今のJ-ポップと呼ばれる時代との違いをも語っていた。
それを見ていて、私がしみじみと納得したのが、今のJ-ポップのチャートには、エンタテインメント曲が少ない・・ということだった。
もちろん、全く無いというわけではない。だが、歌謡曲全盛の時代には、エンタテインメント性の高いヒット曲が多かったのは事実だと思う。
シンガーソングライター系の人たちが作る曲には、作者や歌い手の感情を表現したり、主張をしたりする曲が多い。
それに比べ、歌謡曲全盛の時代に、作詞家と作曲家と歌手が分業みたいな形で、それぞれのジャンルでのプロとして共同作業で作りあげていたヒット曲には、エンタテインメント性の高い曲は多かったと思う。
例えば、ピンクレディの一連のヒット曲などは良い例だ。
作り手や歌い手の感情表現や主張というより、フィクションの世界を歌の中で作りあげ、歌の中のフィクションの世界を歌い手が表現したり、身振りや表情や歌い方などで「演じる」わけである。
こういう要素は、シンガーソングライター系の曲には少ないと思う。
そういえば・・・シンガーソングライターたちが活躍を始め、しかも曲がヒットチャートに登ってくるようになった頃、それまでの歌謡曲に否定的な見方をする風潮が一部のリスナーの間であったように思う。
作詞家・作曲家・歌手の分業で作られてきたフィクションの曲で占められていたヒットチャートが当たり前だった時代に、自ら作詞作曲して歌うフォークシンガーたちの歌は、特に当時の若者にとって、より身近で共感できる歌に感じられ、新鮮だったからだろう。
そこには、虚構ではない、作者の感情や主張があり、身近でリアルに感じられたのだろう。
だいたい、新しい勢力が現れた時、その新勢力を支持する人は、それまでの旧勢力を否定するのはよくあることだ。
それは政治でもそうだし。
その後、1970年代は、それでも歌謡曲と、シンガーソングライターたちの曲は、チャートで共存していった。
今思うと、バランスのとれてたチャートだったのかもしれない。
フィクションを演じる歌謡曲と、自らの感情や主張や、時には生活ぶりまでも歌にした「フォーク(後にニューミュージックと呼ばれるようになったが)と呼ばれた楽曲類」が、どちらもチャートの中にほどよく入っていた。
今、その二つの流れを比べてみると、虚構・フィクションを演じた歌謡曲というのは、虚構やフィクションというより、むしろエンタテインメントであったということは、実感する。
冒頭で触れた某大物作曲家の語った通りだと思う。
その後・・時は流れ。
ニューミュージックはやがてJ-ポップと呼ばれるようになると、チャートの中から、歌謡曲は減っていった。たまに例外的にヒットするエンタテインメント系の曲はあっても、チャートの大半は歌い手の主張や感情を歌った歌が主流になっていった
歌謡曲と立場が逆転してしまったかのようだ。
そうなると・・今度はエンタテインメント系の曲の良さも恋しくなってきた。
それらの曲では、歌い手の演じ方の妙技や、世界観の楽しさや面白さや見事さがあったから。プロフェッショナル同士の分業による共同作品であった。
やはり、個人的には、エンタテインメントの歌謡曲と、歌い手の感情や主張を表現するJ-ポップ、どちらも共存していてこそ、チャートは活気づくし、楽しい。
ここでふと私が思い出したのが、ビートルズ。
ビートルズは、メンバー4人とも曲を作るし、歌いもするが、メインはやはりレノンとマッカートニーの天才ソングライターで、バンドを引っ張った。
少し強引な結びつけかもしれないが、誤解をおそれず書くと、レノンの作風は自身の感情を表現する曲が多かったように思う。一方、ポールは、エンタテインメント系の作風だったように思う。もちろん、ポールだって自身の感情を歌にすることもあるし、レノンだってエンタテインメント系の曲を書くこともある。
だが、包括的にみれば、私の受ける印象ではレノンは自身の個人的な感情表現風作風であり、ポールはエンタテインメント系の作風に思える。まあ、ポールは「演じる」というより、あくまでソングライティングの傾向・作風という意味で。
具体的に曲をあげてみると、レノンの「アイウォントユー」と、ポールの「オブラディオブラダ」を比べてみると、分かりやすいかもしれない。
そして、ビートルズは、そんな二人のソングライターが引っ張っていたという事実。
つまり、ビートルズは、自身の感情や主張の表現を作風とするソングライターと、エンタテインメント系作風を得意とするソングライターが両立・共存していたのだ。
ある意味、日本でいえば、シンガーソングライター系の作曲家と、歌謡曲での職業(職人的な)作曲家が一人づついて、どちら刺激しあい、もともと天賦の才を持ってた同士がより高いレベルに成長していき、それが同じバンドにいたようなものではないか。。
で、その2種類の作風が、時には対抗し、時には混ざり合い、時には共作し、時には直し合い、時には役割交代みたいなこともしながら。
そう考えると、そりゃ強力なわけだ・・。
だからこそ、幅広い世代やファン層に受け入れられたのではないか。
それを考えると、日本のヒットチャートも、その二つの作風の流れの楽曲が、共存しているほうが、より幅広い世代に受け入れられるように思う。
そうすれば、かつてのように、幅広い世代に覚えてもらえる曲が生まれやすいのではないかとも思う。
最近のJ-ポップのチャートでのヒット曲は、幅広い世代で覚えてもらえる曲というのが減っている。
だが昔は・・・たとえば、レコード大賞を取った曲などは、リスナーがその曲を好きか嫌いかはともかく、幅広い世代で知られていた。好き嫌い関係なく、日本中の幅広い世代の人が口ずさむことができたほど、知られていた。
一方、最近のJ-ポップのチャートの曲は、そういう曲は・・・少ない。
たとえ何か賞をとった曲であっても。
となると、エンタテインメント系の曲にもっと盛り返してほしいと私は思う。
そして共存し、互いに刺激を与えあってくれることで、どちらの流れからもヒットが生まれ合い、チャートで共存していってくれたほうが、楽しい。
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