実は、ここ数日、暗い気持ちでいた。
それは・・デジカメのメモリーカードのせいであった。
メモリーカードの数がそこそこ溜まってきてたので、まとめて空き缶の中にしまったのだが、実は・・・しまったのはいいが、どこにしまったか忘れてしまっていた。
もともと、パソコンの置いてある机のわきにバラバラで置いてあったのだが、そのままじゃいつ何どき、カードのどれかがなくなるかわかったもんじゃない。
なので、どこかにまとめておこう・・と思って、家の中に空き缶を見つけ、そこにしまったのだが・・・。
なまじフタをしめてしまったがために、どこにしまったか分からなくなってしまっていたのだ。
その間・・
もしや、何かにしまったはいいが、そのまま捨ててしまったのではないか・・・と思うと、正直焦った。
メモリーカードには、何年分もの旅写真もあるし、母校の写真もあるし、その他おそらくもう撮れないであろう写真もたくさんあった。
中々行けない旅先での写真など、特に。
恐山や、屋久島、礼文島、軍艦島、などは、いつまた行けるか分かったものじゃない。
もし、捨ててしまっていたら、その何年もの貴重なデータが一気になくなってしまったことになる。
中にはPCに保存してある写真もあったが、カード内でそのままになっている写真も多数。
なまじ、どこかにしまったばっかりに、こんなことになるのなら、しまわなければよかった・・・・そのままにしておけばよかった・・などと思うと、実に重苦しい気持ちになっていた。
しまわないで、仮にバラバラで存在してたとしても、目に入る位置にそれらのカードがあったら、間違っても捨てることはない。
だが、何かにしまってしまった場合・・・中身を確かめないで捨ててしまった可能性も・・・・いや、そんなことはないはずなのだが、何かの拍子に誤って捨ててしまった・・なんて可能性も出てくる。
心当たりを探してはみたものの、見当たらなかった。
諦めかけていたところ・・・空き缶のフタを開けてみたら・・・そこにあった!
よかった・・・。
安堵・・・。
救われた・・。
救われない思いでいたから、その安堵感たるや、もう・・。
そういえば
東日本大震災で津波に流された家や、倒壊した家に住んでいた人たちが、「これだけは!」と思って取り戻したくて探していたものの中に「写真」もあったという。
ビデオテープだと、デッキがないと見れない。
でも写真なら、その現物があれば、いつでも「想い出の風景」を見ることができる。
写真と言うものは、その人の歴史の1コマでもある。
その写真に映った自分の姿が子供の頃の写真だったり、若かりし頃の写真だったりしたら、それはもう2度と帰ってこない姿。
もう会えなくなってしまった人が写っている写真だったり、想い出の人と一緒に自分がおさまった写真だったりしたら、それはお金では買えない、その人だけの宝物。
写真は、いわば、タイムカプセルのようなものだ。
つくづく、写真と言うものの大事さを実感。
特にメモリーカードがあわや紛失しかけた最近、それを実感した。
ともかく
見つかって・・・・よかった~。
私の大切な記憶、そして旅の記録も、無事だった・・・。
なお、写真は、私の大事な「旅の記憶」のひとつ。
鶴の湯温泉の写真。
けっこうお気に入りの写真。
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