9月には奥能登に旅行し、能登半島の突端まで行ってきた。
そして先日は、房総半島の突端まで行ってきた。
能登半島に比べたら、東京在住の人間にとっては房総半島は気軽に行ける場所だ。
なにせ、房総半島のある千葉県は、東京にとっては隣の県だ。
東京人にとっては千葉県自体が身近な県であり、身近どころか通勤圏内だったりもする。
とはいえ、房総半島の突端となると、それなりに時間がかかる。早起きすれば日帰りでも行けないこともないだろうが、房総の突端まで行くとなると、大変な気はする。さすがにここまで来ると、東京へは通勤圏内ともいえない気はする。
東京からだと直線距離だとそれほど遠い感じはしないが、電車で行くとなると、東京湾を海沿いにグルリと周っていくことになるので、けっこう時間がかかる。
なので、現地で過ごす時間のことを考えると、やはり1泊くらいはしたいと思った。
そう思い、今回は気軽に1泊の日程で行ってみた。
私の今回の目的地は、館山と岩井であった。
その場所を選んだのには、いくつか動機があった。
1、南総里見八犬伝の舞台となった場所を見てみたい。
2、房総半島の突端にある野島崎灯台に行ってみたい。
3、小学校時代の臨海学校の場所を、再び訪れてみたい。
これらが今回の旅先選びの動機だった。
里見八犬伝の舞台になった場所に行ってみたい・・という動機は、以前から持っていた思いだった。
なので、絶えず私の「行きたい場所リスト」には入っていた。
野島崎灯台に関しては、先日能登半島の突端に行ったことが私の背中を押したように思う。
能登半島の突端にまで行ったのだから、身近な房総半島の突端も押さえておきたい・・という気持ちが大きくなってきていたのだった。
小学校時代の臨海学校の場所とは岩井海岸である。岩井は、東京から電車に乗って行く場合、館山の手前にある場所だ。
臨海学校の記憶は断片的な記憶がいくつかあるだけだ。その記憶を現地で確かめたかった。
とはいっても、臨海学校の記憶を確かめたいという理由は私の中では当初はさほど大きな理由ではなかった。だが、里見八犬伝の主な舞台である富山という山は岩井にある。
ならば、八犬伝関係のついでに行けるではないか。せっかくの機会だし、一石二鳥にしてしまおう・・そう思うと、今回の旅行の目的のひとつになった・・というわけだ。
里見八犬伝という作品は有名だし、子供の頃から知っていた。ただ、まともに読んだことは未だにない。
一世を風靡したらしい人形劇も私は見ていなかった。
ただ、映画は見たことがある。それ以外では、昔ファミコンでRPG版の「里見八犬伝」はクリアしたことがある。それぐらいだ。
なので、私の里見八犬伝に関する知識は浅い。でも、映画やゲームをやっただけでも面白かったのは覚えている。
勧善懲悪のエンタテインメントに徹した痛快物語だし、現地で空想の世界に浸るのもいいかもしれない。そんな思いはあった。
空想の世界・・・と書いたのは、ご存知のように八犬伝はフィクションだからだ。
話によると、作者の滝沢馬琴は現地にも行ったことがないらしい。
里見家という実在の武家は出てくるものの、話に出てくる場所は完全に馬琴の空想によって描かれている。
これが例えば織田信長とか坂本龍馬など実在した人物の生涯にまつわる話なら、現地にその本物の場所が実在しているし、ゆかりのもの・・例えば手紙とか建物が実際に残っていたりする。
だが、八犬伝はフィクションである以上、物語に出てくる足跡が実在しているわけではない。
あるのは、言わばモデルになった場所ぐらいだ。
だが、八犬伝を実在の物語と勘違いして現地を訪れる人は多いらしい。
史実とフィクションがごっちゃになっている感じで。
なので、現地を訪れるのなら、八犬伝は完全にフィクションの物語であるし、作者も現地には行ったことがない・・ということは把握して行ったほうがいいのだろう。
私はとりあえずそれだけは意識したうえで、現地に向かうことにした。
1泊2日の旅行だから、正直時間はあまりない。ましてや、房総半島の突端である野島崎灯台や、岩井の海なども見たいという欲張りルートでは、見れる場所も限られてくる。
そこで、現地では観光タクシーを使うことにしていた。
八犬伝関連の場所は、房総半島の先端部分・・・というより、里見家の領国だったエリアでは何か所もある。
その中で、外してもいい場所と、押さえておきたい場所だけはあらかじめ決めておいた。
↑ 行きの電車内で食べた駅弁。これは初めて買う駅弁だった。
↑ その駅弁の中身。
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