今回は糸満市真栄里にあるバックナー中将の慰霊碑です。
この周辺には戦跡が多いですから、
ここも比較的有名な場所かもしれません。
だから特に詳しく説明をすることはしませんが、
アメリカ第10軍司令官の、
サイモン・B・バックナー中将が戦死した場所です。
ただ、
第二次大戦中で唯一の戦死者でもあります。
中将という将官クラスで戦死してしまったのは、
ヨーロッパ戦域を含め、
このバックナー中将だけなんですよね。
また、
米軍の公式見解では砲弾の爆発で破砕したサンゴ礁が、
胸にあたって亡くなったというものですが、
興味深いことに、
日本軍側の証言には狙撃したというのもあります。
現在の「山形の塔」あたりから狙ったというものですが、
本当かどうかはちょっとわかりません。
ただし、
「山形の塔」からこの場所までは、
直線距離にして500メートルぐらい。
現在は樹木や建物で直接見えることはできませんが、
沖縄戦当時の写真を見る限り遮蔽物はなく、
しかも高台で目立つ場所ですから、
理論上は可能かもしれません。
ま、ちょっとしたミステリーですね。
当然のように慰霊碑も高台の上にありますから、
階段を登っていくことになります。
すぐに長方形の石碑が見えるのですが、
1990年代当時はなかった石碑ですね。
奥のほうにあるの慰霊碑類は、
現在も変わらずにありますね。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
「サイモン」ではなく「シモン」と書かれています。
建立も古いのではないのでしょうか。
ま、英語の読み方は時代によって変わりますからね。
昭和20年代の新聞や書物なんか、
「マッカーサー」を「マックアーサー」
って表記していましたから。
景色がとてもいいものだから、
思わず海を撮影しときました。
右下の日付は96.7.2ですね。
遠くの島は渡嘉敷島です。
しかし、
2020年現在と比べると「写っていないもの」があります。
それが何なのか、お分かりになるでしょうか?
撮影日は前述のとおり1996年ですから、
これがヒントになるかもしれませんが、
ま、地元の人にはすぐにわかってしまうかもしれません。
この当時はまだ糸満市に「潮崎町」がなかったのです。
潮崎町は遠浅を埋め立てた土地なのですが、
この当時はまさに、
これから埋め立て工事が始まろうとしている時期でした。
住宅は当然ながらありませんし、
糸満市役所もありませんでした。
遠浅がまだ残っている風景は、
今となっては二度と見ることのできないもの、
となってしまいましたね。
時代の流れを感じてしまいます。