沖縄南部の戦跡を巡り巡っていると、
時折様々な集団やグループに出会うことがありました。
それは現在でも全く変わらないと思います。
一番わかりやすいのは学生生徒児童さんの修学旅行ですね。
ひめゆりの塔なんか典型的です。
そのほかにも会社や職場の同僚とか、
色々な組合や団体なんかのグループたちと、
あるいは遺族会や戦友会などの人たちと、
あまり有名ではない戦跡で鉢合わせすることがありました。
特に自分が20代だった1990年代は、
終戦から50年ぐらいの年月でしたから、
沖縄戦から生還した70代~80代ぐらいのおじいちゃんたちと、
比較的高頻度で出会っていましたよ。
大体がワイワイガヤガヤといった観光気分で、
実際は辛い体験をしたであろうに、
沖縄戦に散った戦友たちへの慰霊とはいえ、
沖縄旅行を楽しんでいる光景を遠巻きに眺めていた時は、
あれは山城本部壕(ひめゆりの塔の近くにあります)でしたが、
なんかちょっと笑っちゃいました。
そのようなことがすごく記憶に残っているのです。
笑っちゃうなんて失礼なことを言ってしまいましたが、
あの当時の自分は「慰霊」というと、
わかりやすくいえば「葬式」と同じような感覚で、
いかにも暗い重苦しい雰囲気が漂うものだと、
厳粛で静寂が漂う空気が張り詰めている…
それこそ「勝手に思い込んで」おりました。
それにもかかわらず、
何だか楽しんでるような戦友会の雰囲気を感じた時、
じいちゃん連中が観光気分で和気あいあいだった光景を見た時、
そのギャップに笑ってしまったということなんです。
正に「勝手に思い込んでいた」んですね。
自分の狭苦しい主観と偏見で捉えていたということです。
今となってはその「勝手に思い込んでいた」ことを、
ひたすら反省しなければならないと思っております。
物事を一面だけでしか捉えないその愚かしさをね…
ただ、どんな理由であれどんな目的であれ慰霊であれ、
当のじいちゃんたちが楽しんでいればそれでいいと思うと、
むしろほのぼのした記憶として残っております。
終戦から70年以上経過した2023年現在、
こんな光景はもう見られないでしょうからね。
それに色々な話も聞きたかったですね。
自称軍事マニアとして、
沖縄戦にのっぴきならない興味を持つ者として。
相手から声をかけられれば別ですけど、
自分は人見知りなタイプですから、
率先して赤の他人に自ら声をかけるなんてことは、
今でもちょっと躊躇するので、
その当時は一切声をかけませんでした。
でもやっぱり聞いとけばよかったかな…
なんて思う時もある今日この頃です。