平和祈念公園の最も奥にある「黎明の塔」から、
岩を半分くりぬいて造ったような階段があり、
そのまま降りていきますと、
途中には最後の「第三十二軍司令部壕」があります。
ここは有名な場所なので、
特に説明する気はありません。
画像の日付を見ると’96.7.5となっていますが、
まぁ、現在と変わっていないでしょうね。
階段は手すり等の整備はしてあるはずです。
ちなみにこの場所へは何度も足を運びましたが、
今回のは観光客がいない夜を狙って撮ったような気がします。
もし夜に行くときはフラッシュライト必須ですよ。
いろんな意味であまりお勧めしませんが…
その司令部壕からさらに下へ下へと石段を降りていくと、
「健児の塔」が建立されているのがすぐにわかります。
「健児の塔」を簡単に説明しますと、
「ひめゆりの塔」の男子版という感じ。
「ひめゆり」が看護助手的なものに対し、
師範学校や中学校(現在だと高校生くらい)の男子生徒は、
ほぼ「歩兵」扱いでした。
なお、「師範学校」というのは、
学校の先生になるため男女別の専門学校があった、
ということです。
現在だと大学の教育学部みたいなもんですかね。
さらに詳細が知りたい方は検索してくださいな。
これも現在とは変わっていないとは思いますが、
この頃は周辺の木々が鬱蒼としていましたね。
なんか、いつも太陽を遮っているんですよね。
さすがにジャングルとはいかないまでも、
空を隠すようにして覆いかぶさっているんです。
でありますから、
たとえ昼間に訪れても、
画像のように薄暗かった印象が強いのです。
現在は伐採されて明るくなってしまいましたがね…
あの頃の自分にとっては、
その薄暗さがまた一層の悲壮感というか、
もの悲しさや寂しさを常に感じる場所でしたね。
観光客で賑わっていない時は特にそうでした。
近くには男子生徒たちが最後を過ごした「ガマ」があり、
中に入ることができます。
ガマとしては大きくないほうだとは思いますが、
それでいて比較的簡単に奥まで入れると思いますよ。
ここまでくると海岸線も近くになってきます。
この海岸まできたら、
必ずっていいほど休憩してました。
なぜかというと、
いつも平和祈念公園でレンタカーを駐車してから、
一番奥にある黎明の塔までひたすらひたすら、
歩いて歩いて登って登って、
それから階段を下へ下へと降りるもんですから、
その往復を考えたら、
徒歩だとかなり長い距離になるもんなんです。
しかも階段っていうのがクセモノでして、
中々の急峻な場所もありますから、
結構キツいんですよね。
だから海岸まで下りていって、
そこで何かドリンクでも飲みながら、
ゆったりまったりってのが定番でしたよ。
ほぼルートビアでしたけど。
あの変な味、サロンパス的なヤツ、
自分は好きです。
あとは小さなヤドカリなんか探してましたね…
ただ、健児の塔には駐車場があり、
つまりは別ルートで簡単に行くことができますから、
そちらのほうをお試しになっては、
と思います。