海上挺身基地第三大隊
渡嘉敷島には赤松大尉の指揮する海上挺身第三戦隊のほかに、海上挺身基地第三大隊という、もう一つの部隊が配備していました。
結果的には海上挺身第三戦隊に編入された海上挺身基地第三大隊なのですが、ここでは海上挺身基地第三大隊についての概要を、できるだけわかりやすく説明します。
なお便宜上、海上挺身第三戦隊を「第三戦隊」、海上挺身基地第三大隊を「第三大隊」と統一いたします。
まず第三大隊の規模についてですが、大隊長以下900名からなり、大隊本部と3つの作業中隊がありました。1つの中隊には中隊指揮班と3つの作業小隊で構成され、人数は約180名でした。
そのほかに整備中隊、重機関銃小隊、通信隊、医務室、経理班が付属しています。
第三大隊の任務は大きく分けて2つありました。1つは第三戦隊の支援と、もう1つは第三戦隊出撃後の防衛です。
第三戦隊への支援についてですが、マルレ(高速艇)の秘匿基地設営と、マルレの整備に加え、出撃の際には泛水作業(マルレを海へ繰り出す作業)や、第三戦隊の管理支援といった、いわば第三戦隊をサポートすることが主任務でした。
第三戦隊の出撃後はそのまま渡嘉敷島に残り、通常の歩兵部隊として防衛任務をすることになっていました。
そのため、重機関銃や軽機関銃、擲弾筒といった重火器や、下士官や歩兵には小銃等といった陸上戦闘用の装備が支給されています。
ただし、通常の歩兵部隊といっても現役兵ではなく、補充兵や予備役兵が多かったようです。
基地設営とはいえ工兵専門でもなく、歩兵部隊とはいえ現役兵がいないというのは、戦局の悪化や特攻攻撃という非常な戦術といったものが、その編成に影響しているのかもしれません。
当初の予定では赤松大尉が率いる第三戦隊が出撃し、第三大隊の大隊長が渡嘉敷島の防衛を担当することになるのですが、現実にはそうなりませんでした。
1945年2月下旬に第三大隊は沖縄本島の部隊に編入され、兵器を含むその大部分が渡嘉敷島を去りました。一部の残地部隊が第三戦隊へ編入され、渡嘉敷島には第三戦隊のみが配備されたということになります。
そういう経緯がありますから、第三戦隊の出撃後は赤松大尉ではなく、編入された第三大隊の将校が渡嘉敷島の防衛を指揮する予定でした。つまりマルレで出撃しない元々の戦隊員と、第三大隊から編入された部隊です。
しかし、これも実際には第三戦隊そのものが出撃しませんでしたので、史実の通り赤松大尉が渡嘉敷島の指揮官になったということです。
参考文献
前掲『特別攻撃隊』
前掲『沖縄決戦』
前掲『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』