誤認?虚偽?上書?
九十七式手榴弾の操作手順に明らかな間違いがあるということについて考察してきましたが、その原因として考えられるものを挙げるとするならば、「誤認」「虚偽」「上書」だと思われます。
「誤認」についてですが、これは単なる記憶違いか勘違いということになりますし、誰でも起こりうる現象であります。特に長い年月が経過してしまった記憶に関していえば、忘れてしまうということも多々あると思われます。
ただし今回取り上げた証言は、記憶違いか勘違いにしては、あまりにも具体的な内容だということが気にかかります。
本来は「引く」という操作なのに、「押す」と覚えていたような些末な誤差、あるいは似たような動作での勘違いならともかく、まったく不必要な操作をしていることと、第三者も同じ事をしているということですから、単なる誤認とも思えないのです。
「虚偽」についてですが、意図的に嘘をついているとは思えません。
手榴弾の操作手順を偽ることによって、どのような効果が得られるか全くの不明ですし、そもそも仮に嘘だとしてもすぐ露見してしまうような類いですので、意図的に偽ったのではない可能性が高いです。
ただし、元々手榴弾の操作手順を知らないがゆえ、すなわち手榴弾自体を扱ったことがないがゆえに、間違った操作手順を述べてしまったということも、全く否定することができない事実ではあります。
「上書」についてですが、これは記憶が無意識に上書きされてしまったということです。記憶違いや勘違いと類似していますが、後世の資料や情報によって書き換えられてしまったというようなことです。
これも長い年月が経過すればするほど、他の記憶や外部の情報等によって混乱をきたす現象が起こっても不思議ではありません。
以上のように考えられる原因を複数挙げてみましたが、考察する立場からすればあまりにも情報が少ないのですから、これといって特定することができません。
それよりもここで問題にしなければならないのが、明らかに間違った手榴弾の操作手順をしている証言について、特に考察も検証もせずに無視、あるいは放置されている実情があるということです。
この証言を最初に取り上げたのは2007年6月14日付「沖縄タイムス」です。「村長の「陛下万歳」を合図に防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」」という見出しがつけられています。
その主旨は軍の陣地方向から不意に現れた防衛隊員が、村長に何かを耳打ちして話し、村長は何度も頷いた後「天皇陛下万歳」と叫び、それが集団自決の号令となった、ということです。
当の本人(間違った操作手順を証言した当事者)は何を話していたかは分からなかったのですが、少なくともそれが「軍の自決命令」だったと沖縄タイムスは断定しています。
ただし、手榴弾の操作手順については省略され、単なる不発として扱われています。
その後の2008年に出版された「挑まれる沖縄戦」で不発の理由と手榴弾の操作手順も掲載され、それによって初めて間違いを指摘することができたのですが、同時期に岩波新書として出版された「証言 沖縄「集団自決」 慶良間諸島で何が起きたか」も同じ証言が掲載されています。こちらも単なる不発という程度の内容でした。ちなみに岩波書店から新書として出版されましたが、編著者も沖縄タイムスの編集委員です。
時系列的に整理しますと、①沖縄タイムス(2007年6月14日付朝刊)②「挑まれる沖縄戦」③「証言 沖縄「集団自決」」という順序になります。
今回取り上げた証言を「Y氏の証言」としまして、そのY氏の証言に対する三資料の共通点は、「軍の自決命令」があったとする証拠として取り上げられていることです。
そして①と③は手榴弾に関する証言は割愛されていて、単なる不発として扱われているのに対し、②は再三してきた通り間違った操作手順の証言が掲載されております。
もう一つの共通点として、発信元が全て沖縄タイムス社であるということです。ご承知の方もあるかもしれませんが、渡嘉敷島に限らず慶良間諸島の集団自決は、全て「軍の自決命令」があったとするスタンスが一貫しています。これは1950年出版の「鉄の暴風」から続いており、2019年現在でも変更された形跡がありません。
「軍の自決命令があった」という主張や論調を批判する、あるいはそういったものの発信自体を阻止するつもりはありません。
しかしながら、Y氏の証言の取り扱い方に関していえば、軍の自決命令があったとする主張にはあまりにも偏重がみられ、それ以外のことをことごとく無視あるいは放置しているのではないか、という疑念を持たざるを得ません。
「軍命の有無」だけにこだわりすぎていて、当事者の証言という一次資料なのに、もっぱら「軍命の有無」だけにしか関心がないような姿勢ともいえるのです。
Y氏が嘘つきかどうかを問題にしているのではありません。しかしY氏の証言に明らかな誤認があった場合、そのまま無視や放置する姿勢は看過できないと思っております。
繰り返しになりますが、住民に手榴弾が配布された事実は、集団自決の実像解明にとって重要な要素だと思われます。従ってより詳細な考察や検証が必要なはずなのに、「軍命の有無」に固執してしまった結果、「単なる不発」ということで処理されてしまったとしか思えません。
また、聞き手側が手榴弾の操作手順に間違いがあることに気付かなかったのであれば、これは兵器の取り扱いといった軍事学的観点の、常識的な予備知識さえ持ち合わせていないということが露呈されることにもなります。
医学を知らない、学ばない医者からは誰も治療を受けたくないでしょう。その医者が信用できないからだということは、特に論ずるまでもありません。
これと同じように戦争あるいは軍隊を考察するにおいて、軍事学的な要素を知らない、あるいは学ばないというようなことがあった場合、常識的に考えればそれによって信用度が落ちてしまうことになると思われます。
何が原因で間違った手榴弾の操作手順を証言したのか、いまだにどう判断していいかわかりませんが、皆さんはどう思われるのでしょうか。
これで「軍事オタクが読む不思議な証言」をおわりにします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
沖縄タイムス社編 『挑まれる沖縄戦 「集団自決」・教科書検定問題報道総集』(沖縄タイムス 2008年)
謝花直美『証言 沖縄「集団自決」──慶良間諸島で何が起きたか』(岩波書店 2008年)