「白梅」が配属されたのは第二十四師団の野戦病院です。
場所は県南部で、現在の八重瀬町にある八重瀬岳の麓です。
八重瀬岳の北側、つまり那覇や首里方向に面していて、
そこに野戦病院の本部が設置されました。
「ひめゆり」でいうところの、
南風原の陸軍病院壕跡みたいな感じであります。
もっとも、規模的にはこちらのほうが小規模なようです。
野戦病院の本部でありますから、
当然のことながら「本部壕」というのがありまして、
人工的に造られた複数の壕がありました。
詳しくは以下に前回同様、引用させていただきます。
山第一野戦病院への入隊
一九四五(昭和二十)年三月二十四日、東風平(こちんだ)国民学校での看護教育を受けていた県立第二高女の四年生五十六名は、引率の與那覇(よなは)政男先生によって、第二十四師団第一野戦病院の軍属として、正式入隊の手続きが取られました。
病院本部は東風平村(現在の東風平町)富盛(ともり)集落から南西約五百メートルの八重瀬岳中腹にあり、丘を東西に長く南北を奥行きにして、格子状に掘り込まれた人口の壕でした。北向きに開いた四つの壕口付近では、まだ壕堀作業が続けられていました。そこを少し下がった所に茅葺(かやぶ)きの三角兵舎が立ち並び、その中の二棟が私たちの宿舎にあてがわれました。
学徒補助看護隊のスタート
(中略)
野戦病院は、八重瀬岳の中腹に掘り込まれた壕でした。壕の周りから丘の上にかけて松の木や雑木が生い茂り、こんもりとした緑に包まれていました。麓から正面の北側にかけて広がる低地帯には、沖縄の基幹作物であるサトウキビ畑が広がり、その先に小高い凸凹のある農耕地が一面に続き、遙か東の方角には首里方面の高台が眺望できる場所でした。
別掲 『白梅 沖縄県立第二高等女学校看護隊の記録』
「山第一野戦病院」の「山」というのは、
第二十四師団の暗号名であります。
ま、今風にいえばコードネームということですね。
沖縄戦の文献等では時々「山部隊」とか「山師団」とか、
証言の中にも色々書かれていますが、
「山」といえば「第二十四師団」のことを指している、
ということになりますね。
ちなみに沖縄第三十二軍のコードネームは「球(たま)」です。
次回以降に続きます。