2011年4月21日午前3時くらい、父が苦しそう。
ということで、母に起こされる。
あわてて起きて、父のもとへ行くとトイレでハアハア言ってた。
顔色も真っ青。
母と2人でポカリ飲ませたり、背中を摩ったり、いろいろするが、
苦しそうな父はハアハアが止まらず、呼吸困難になっていた。
あの呼吸の早さを今も忘れないくらい大きな音でした。
そして横になるのも痛がる。
みてられなかったので、今日こそ救急車を呼ぶよう父に言うが、
呼ばなくていい、大丈夫の一点張り…。
日曜日のこともあって、自然に治まると思ってるんやろね。
そんなことは全然なく、ひどくなりのたうちまわるようになったので、
救急車呼ぼう呼ぼうって、1時間。
やっと、父の口から救急車呼ぶ。と。
それから、あわてて救急車を呼ぶと5分くらかな?すぐ来てくれた。
かかりつけ医に行きたいと話したが、受け入れが出来ないと違うとこになります。といいながらも、なんとかかかりつけ医に行けることになった。
救急医が、酸素を吸入すると少し数値は動いたものの、非常に危ない状態であると言われた。
担架で下におろし、私が同乗し、母が後から車できた。
病院に着いたら、なんと主治医が迎えてくれた。
いや~、あの瞬間は安心したよ。
今日は当直だったらしく、偶然だったらしい。
それから、緊急処置室へ。
私は待ち合い室。
先生がやってきて、話を聞くと、非常に危険である。
1日2日が山かもしれませんと言われる。
あとは、お父さんの気力次第である。と。
状態は、免疫力がないなか、風邪をひいてたらしい。そして肺炎を起こしていたと。。
抗がん剤を投与することで、肺には負担がかかるとは聞いていたが、それもあるらしい。
間質性肺炎といって、肺がすかすかなんだって。。
またまた先生の話で涙が止まらない。
9月22日に入院して、余命三ヶ月。と告知を受けて半年がすぎたとこだった。
1%の可能性。とか先生も言うし、もうどうしていいかわからず。
とにかく、父は弱くない!生きなきゃいけない人なんだと信じながらも、間質性肺炎の治療をお願いする。
そして、気がつけば朝。
今日は皆、休みだしリリースの予定あるから休むわけいかないし。
私は家に戻り、会社にいくことにした。
何かあれば、病院から連絡があるから向かうようにした。
そして、日中は仕事しながらも、またまた、父と行った長野やら青森やら、走馬灯のように思いだし、涙が止まらなかった。
19時頃、病院から電話があって慌てて出る。
主治医からだった。
容態は、横ばいだと。
ステロイド剤を打つと数時間で反応が出ると言っていたが、とりあえず悪い反応はなかったらしい。
少し、安心して。
先生に、朝言っていた1日2日が山…って言ってましたが、少しは望みをもって大丈夫ですか?
と聞くと、呼吸器科と消化器科が全力を尽くして頑張ります!
といってくれた。
その言葉がどんだけ安まるか。。
夜中、何かあればすぐ電話くれるらしい。
お父さん!がんばれ!
長い1日がおわり、また長い夜が始まる。
ということで、母に起こされる。
あわてて起きて、父のもとへ行くとトイレでハアハア言ってた。
顔色も真っ青。
母と2人でポカリ飲ませたり、背中を摩ったり、いろいろするが、
苦しそうな父はハアハアが止まらず、呼吸困難になっていた。
あの呼吸の早さを今も忘れないくらい大きな音でした。
そして横になるのも痛がる。
みてられなかったので、今日こそ救急車を呼ぶよう父に言うが、
呼ばなくていい、大丈夫の一点張り…。
日曜日のこともあって、自然に治まると思ってるんやろね。
そんなことは全然なく、ひどくなりのたうちまわるようになったので、
救急車呼ぼう呼ぼうって、1時間。
やっと、父の口から救急車呼ぶ。と。
それから、あわてて救急車を呼ぶと5分くらかな?すぐ来てくれた。
かかりつけ医に行きたいと話したが、受け入れが出来ないと違うとこになります。といいながらも、なんとかかかりつけ医に行けることになった。
救急医が、酸素を吸入すると少し数値は動いたものの、非常に危ない状態であると言われた。
担架で下におろし、私が同乗し、母が後から車できた。
病院に着いたら、なんと主治医が迎えてくれた。
いや~、あの瞬間は安心したよ。
今日は当直だったらしく、偶然だったらしい。
それから、緊急処置室へ。
私は待ち合い室。
先生がやってきて、話を聞くと、非常に危険である。
1日2日が山かもしれませんと言われる。
あとは、お父さんの気力次第である。と。
状態は、免疫力がないなか、風邪をひいてたらしい。そして肺炎を起こしていたと。。
抗がん剤を投与することで、肺には負担がかかるとは聞いていたが、それもあるらしい。
間質性肺炎といって、肺がすかすかなんだって。。
またまた先生の話で涙が止まらない。
9月22日に入院して、余命三ヶ月。と告知を受けて半年がすぎたとこだった。
1%の可能性。とか先生も言うし、もうどうしていいかわからず。
とにかく、父は弱くない!生きなきゃいけない人なんだと信じながらも、間質性肺炎の治療をお願いする。
そして、気がつけば朝。
今日は皆、休みだしリリースの予定あるから休むわけいかないし。
私は家に戻り、会社にいくことにした。
何かあれば、病院から連絡があるから向かうようにした。
そして、日中は仕事しながらも、またまた、父と行った長野やら青森やら、走馬灯のように思いだし、涙が止まらなかった。
19時頃、病院から電話があって慌てて出る。
主治医からだった。
容態は、横ばいだと。
ステロイド剤を打つと数時間で反応が出ると言っていたが、とりあえず悪い反応はなかったらしい。
少し、安心して。
先生に、朝言っていた1日2日が山…って言ってましたが、少しは望みをもって大丈夫ですか?
と聞くと、呼吸器科と消化器科が全力を尽くして頑張ります!
といってくれた。
その言葉がどんだけ安まるか。。
夜中、何かあればすぐ電話くれるらしい。
お父さん!がんばれ!
長い1日がおわり、また長い夜が始まる。