Orangy sky Diary

青空や夕日が大好き♪日ごろの出来事やお花のアレンジの事など、ぼちぼち書いていこうと思います。

久々の大雪の記録

2018-02-04 14:47:23 | 苦き日々のDiary

↑ うちのマンション北側から見た公園です。
朝は木々も雪で真っ白でした。

1月22日、久々に東京にもドカ雪が降りましたよね。
私も外出を早めに切り上げ
何とか無事に帰宅できましたが
その後のニュースでは
早めに会社を出た人たちが
大雪と人の多さに入場制限された
駅の改札前で
大行列・・・。

翌朝のうちの周りは・・・。

西側の富士山方向もこんな感じ。
手前の山にもずいぶん雪が・・・。


これも南西方向。真っ白。


南のベランダの下。


上階北のベランダは、まだ雪だるまでも鎌倉でも作れそう・・・。
リース台を入れてるコンテナがすごいことに・・・。

先週も雪が降りましたが
大した事なく終わりました。
よかった~。
受験シーズン、もう雪は勘弁って感じです。

ネットで面白画像見つけたのを
貼ってしまおう。

スズメさんたち、避難先あってよかったね。


すごい!誰が作ったのかしら。


東京駅も幻想的。


これ、笑える!


ディズニーも真っ白だったのですね。






これもすごい!


渋谷駅・・すごい・・。


このテロップが・・・・。
さすがに加工されてるのかな・・・。


雪はなくても、
今年は寒い!
いつも、リビングは床暖房だけで十分で
エアコンは夏の冷房しかつけたこと無かったのですが
ついに先日
暖房をつけてしまいました。
床暖房のないキッチンや
PCがあるコーナーに座ってると
寒くて寒くて・・・。


vert de Grisの通信も残りわずかです。
今月と来月はテスト月間。
1つ目のアレンジです。


来月はリース。
楽しみ~~。





何故、延期するという選択肢に至らなかったのか・・・・。

2014-02-11 14:07:39 | 苦き日々のDiary
2014年2月8日に降った雪は、本当にすごかった
前日からニュースでも、20年来の大雪に注意!とずっと言われ続けていた。

なのに、よりによって長野方面に向かってしまった私たち夫婦・・・・

秋に出来上がった森の家、あっという間に寒くなり、秋は何かと行事が重なってなかなか向かう事が出来ず、必要な家具も年始明けてから注文したり、と後手後手になっていたのだけど、大き目の家具を2つ、別々の業者から買って、それぞれ現地に届けてもらう事になり、日を偶然にも8日に設定していた。

大型ということで、届ける時間の設定もあまり細かく出来ず、やっと両社とも午後にこぎつけた。
もう一つ、自宅に届けてしまった大き目の座卓を車の後部座席をつぶしてドーンと載せ、昼にはこちらも到着して、受け取り次第、夜になっても帰宅する予定だった。
(子供、留守番なので)

前日からのニュースで、帰れなくなることは想定し、子供たちの夕食、翌朝の食べ物の準備と、私たちも最低限泊まっても大丈夫なものは持ち込み、8時半出発。
既に辺りは白く、中央高速、最後まで行けるかね?などと心配しながらも、高速に乗る。(今考えると甘すぎる考えだったのだ、これが)

談合坂で腹ごしらえをしているとアナウンスが・・・

中央道、全面通行止めとなります。


は?
ま、まじ?

ここで引き返すことも出来たのだろうけど、最寄の出口で降りるように指示があっても、とりあえず高速道路も通れるようになってて、前の車が降りないから行けるとこまで行っちゃおう、と少し先までそのまま進む。
でも、車の量が少ないので、路面はビックリするほどみるみる真っ白!



そして、あちこちで動けなくなった車が・・・・。
特に大型トラックが沢山止まってしまっている。
追突事故もいくつも横目で見ながら進む・・・・。標識も周りが真っ白でなんだか見えない。
こ・・・こわいよう~~~~!!



もっと進めそうだったけど、あまりに事故車が多いし、下の道の方がまともに動いてるのでは?と一宮御坂で降りる。

が!20号線、大渋滞。
しかも、一般道でもあっちこっちで車が止まり、ノロノロと抜かすしかない状態。

コンビニのトイレも30人待ち。
どんどん八甲田山状態になってくる・・・。

そうしたらなんと!宅配業者の1社から℡があり、この雪でお届けできないと・・・・。
なぬーー!?
甲府まで来ておいて、それは無いだろう~~~。
でも確かに、周りでもトラックの立往生がとても多かった。スタットレスにしててもダメみたい。
でも宅配業者が言うのだから、うちの車も森の中までまともに到着できる気がしなくなってきて、もう1社にも℡して、配達の延期をお願いし、もう帰ろう!と言う話になった。この時点で1時半。

ところが、Uターンした途端に、国道20号線も帰り道の区間が通行止めに・・・・。
大月からだったら何とか迂回ルートもあったけど、みるみるうちに勝沼から通行止めになってしまい、帰るすべを失ってしまった・・・・。

もう標識もこんなだし・・・。


どこも真っ白


いよいよ困ってしまった。
道沿いのファミレスでひたすら待つ・・・・?でもこの日は1日雪だし・・・。

で、昔何度か行った事のある、勝沼の温泉付きホテルを思い出した。「ぶどうの丘」
ワインカーヴのあるところで、温泉も気持ち良かった。
泊まった事はなかったけど、施設が充実していて楽しかった。
こんな日だったのでむしろキャンセルも出ているのでは?と℡してみると、案の定OK!
とにかく予約して、帰宅は諦めて宿へ。

ぶどうの丘はこちら


この宿、「丘」と言うだけあって高台にあり、麓まで来たところで、うちの車も上がれなくなってしまい、麓の駐車場に車を残し、宿の4駆の車に迎えに来てもらう。生きた心地がしないとはまさにこのこと・・・もうヘロヘロ。

やっと到着し、洋室に案内してもらい、一段落。
もう泊まるからには楽しもう!と、温泉につかって、ワインも見て、レストランでもしっかり食事。

これがまたとっても美味しかった!

お肉も柔らかくて、ワインソースが美味しい!!


ケーキも美味しい!!

部屋に戻って、のんびりソチ五輪など見ながらワインを飲む。
外の雪はだいぶ弱くなってきたけど、相当積もってた。


ベランダからの景色。




盆地だから周りが全部山。

さて。翌朝はとても良く晴れたけど、雪のカサがハンパない・・・。



甲府は38センチくらい積もったらしい。


車、埋もれてるし・・・。


植え込みの上もすごい事に・・・。


街中まーーーっしろ。雲海?

朝から相変わらず、中央道も20号線も通行止めが続いていて、チェックアウト後、河口湖方面に回って東名で帰ろうかと思ったら、フロントの方に、「河口湖は雪が倍の60センチ以上積もってるから、峠はコワイと思います。やめた方がいいかも」と言われ、こんなにお天気が良いなら除雪作業も進んで、昼には中央高速も通るようになるだろう、とラウンジでノンビリ待つ事にした。


セグロセキレイが向かいの建物に・・・。


雪も少し溶けてきてるし・・・。


鳩も・・・・。

とーころがどっこい!待てど暮らせど中央道が諏訪インターから東京方面、まったく開かない!
何故じゃ~~~

ラウンジでお昼ご飯まで食べ、2時まで待ってみたけど、一向に開く気配がないので、書き込みサイトなどで河口湖方面が大丈夫そうなのを確認、遠回りだけどそっちから帰る決心をした。

麓の駐車場は、うちの車が出やすいように、ホテルの方が雪かきをしておいてくださったので助かった。
ぶどうの丘には本当に色々良くして頂いた。
本当にありがとうございます

河口湖方面はの道は、意外と大丈夫。早めに除雪されてた感じ。




富士山見えた!


どんどん近くなる~。
つい手を合わせる。「お願いですからもうちょっと噴火しないでね(あと400年くらい?)」


頭を雲の上にだし、だね。


河口湖を渡る。


除雪の山がすごい

途中、ちょいちょい渋滞はあったけど、御殿場からの東名はスイスイで、午後6時には家のそばに着き、帰る前に都知事選の投票も済ませて帰った。
無事に夕食は家族で家で迎える事が出来ました~~~~。はーーーー、良かった


何故こんな状況になるって日に決行してしまったのだろう・・・。
まあ、色々あるけど、第一には、この日を逃すと翌週から色々主人に用事が入っていていかれない、ぜひとも8日に受け取りたい、と思ってしまってたのが1番「やめる」という決断を鈍らせたかな・・・。
それと、ここまで雪がひどくなると思わなかった。
まさかプロの配達業者が「無理」になるとは思わなかった・・・。
先週にも雪と言われ、結構積もると言われたのに全然大丈夫だった・・・。

このあたりをひっくるめて、今回こういう事態になったのかと思われます。

とにかく雪は要注意。
新しいスタッドレスのタイヤでも坂道登れませんでした。
何度もタイヤ滑ってました。
寿命がだいぶ縮まりました。

結局、中央道は翌日も1日通行止めだったので、迂回は大正解。もっと早く出れば良かった・・・。


オマケ

フィギュア団体戦予選、フランス陣に大好きなジュベールがっっ

予選敗退しちゃったので、出番がなかったけど、個人戦は出るのよね。楽しみ(上位は無理だろうけど)





テニスしないのにテニス肘・・・・!?

2011-05-06 19:53:54 | 苦き日々のDiary
うちのベランダに咲き始めた「カクテル」と言う一重のバラです。香りがすごく良い


1ヶ月以上前から、ずっと右の肘から手首の上あたりまでが痛い・・・。
最初は手を下に敷いて寝ちゃったのか、とか思ったりしていたが、中々治らない。むしろ悪化しているようにさえ思える。

1日中鈍痛。
眠れないほど痛いわけではないけど、原因がわからなくて遂に今日近くの整形外科へ行って来た。

知らないうちに肘の剥離骨折でもしちゃった・・?
まさかヘンな腫瘍でも・・・
どんどん悪い方へ妄想が広がる

レントゲンと診察の結果、いわゆるテニス肘だった。
私はテニスは全然しないので、思い当たることと言ったら・・・。
地震以来異常に使っているこのパソコンが原因のよう・・
そういえば、以前(9年前くらい)子供のたまごっちの世話と携帯の打ちすぎで腱鞘炎になったこともあった

というわけで、5月3日~5日にかけてのソウル家族旅行記を書きたいと思うのですが、ゆっくり明日以降に・・・

ソウルで買ったお土産だけ載せておきます。



みんなで頑張ろう!日本!

2011-03-14 16:00:37 | 苦き日々のDiary
未曾有の被害・・・。
東北の被害甚大な地域の方々の映像を見るにつけ、胸が痛みます。

3月11日、東京地方も大きな地震に見舞われました。

この日、我が家は家族4人とも別行動中でした。
長男は翌日からの期末テストに備え、午前授業で帰宅済み。
次男は学校で授業中。
主人は会社で会議中。
私は、京王線沿線の調布で、友人と会ってました。
友人と別れた後も本屋さんとかに寄っていて、さあ帰ろう!とPARCOを出たところで地震に遭いました。

露店を出していたお兄さんが「地震じゃない?地震!地震!」と言われて初めて気が付き、揺れはどんどん大きくなり、ビルも信号機も駅に止まっている電車もグワングワンと音を立てて揺れていました。
あと、なんだか地面がうなっているような不思議な音・・・。
路上には沢山の人。
近くの知らない奥様、おばさまと、手を握りあってしまった。
揺れはとっても長く感じました。
立っていられないくらいではなかったけど、船にでも乗ってるみたいな感覚。

揺れはおさまったけど、当然電車はストップ。
これはもう歩くしかないと腹をくくり、(Reebockでよかった!)速攻甲州街道沿いを歩き始めました。
その頃はまだ車道はスイスイで、バスもタクシーも通っていたかな。
タクシーはもう捕まりにくかったけど・・・。
1駅1駅着く毎に駅前を覗くけど、途方にくれた人々がいるだけ。
途中でも余震があったりして、歩いている間もなんだかずっと揺れているような錯覚が・・・。

直後からdocomoは電話がつながりにくくなり、自宅から長男が電話くれたのが唯一繋がっただけ。
その電話で一通りのことは伝え合えて、一安心。
洗濯機の蛇口のホースが抜けて、水が出て大変なことになっていたらしく、何とかしておいてと頼むしかなく・・・。

あとはメールで主人と交信。


通り道だった次男の学校に立ち寄り、引き取って一緒に歩いてもう1駅。

帰り着いたときはヘトヘトだったけど、テレビのニュースで東北地方の被害を見て愕然としました。

夜、部下を帰した主人が、徒歩で虎ノ門から帰ってくると言うので、途中の梅が丘(だいぶ自宅の近くなんだけど)まで迎えに行きました。
docomoは相変わらず繋がらないので、イー・モバイルの方を使用。こちらは通話もバッチリ出来ました。
主人を見つけて乗せたは良いけど、夜の車は大渋滞。
歩いた方が実質早かっただろうけど、足が棒なダンナは1時間かかってもなんでも車でよかったと言っていた。

渋滞中も歩道は沢山の徒歩帰宅民でいっぱい。

11時過ぎにやっと帰り着いたら、ついさっきまで起きていたはずの長男が、取り込みっぱなしにしていた洗濯物をたたみ、親のふとんを敷き、鳥の寝せるカバーをちゃんとかけておいてくれたのはちょっとした感動ものでした。

土日で交通も復旧してきたけど、買い物に行って色々品薄になってきて、月曜日は計画停電に伴いまた電車が運休。
駅は人であふれ帰り、主人は今度は自転車で会社へ・・・・。
子供たちは21日まで休校。

それにしても、日本、冷静で秩序があって、捨てたもんじゃないね。
今朝も、9時開店のスーパーに行ったら既に長蛇の列!
私も当面凌げそうなものをカゴに入れてレジに並んでると思しき列の後ろにつくと、じきに店員さんが列を整理し、人によっては後ろに回される人もいたのに誰も文句ひとつ言わず従っている。
争ったりしないのよね、品不足でも。

東北地方の人たちも冷静に行動してる。
でも、安否不明の家族がいたり、色々不足してて絶対大変だと思う。
まだまだ被害者の数も増えるでしょうし、避難している方たちも大変なのはこれから・・・。
なんとか頑張っていくしかない。
海外からの援助の声もありがたい。

マンションの9階なので、揺れはかなりのものだったようです。
(長男しか経験してないけど)
私の作業場がこんな状態に・・・・。

隣りの子供部屋は大した被害じゃなかったので、これはどちらかと言うと、揺れだけでなくて日ごろのものの積み方にも問題が・・・





やっと新学期。

2011-01-11 15:45:29 | 苦き日々のDiary
成人の日の三連休も終わって、やっと今年も始動と言う感じ。
次男はやっと今日から小学校。
でもまだ木曜日まではお昼ナシで帰ってきちゃう
私が本格的に動けるのは金曜からかしら。

で、この連休もちょっと部屋を片付けてた・・・。(またかい?)
片付けても片付けても、まだまだ終わらないよぅ
今回は大きな箪笥の中。
何段にもなってるのだけど、日ごろはでっかいドライフラワーの箱に塞がれてるので、見ないふり・・・。
それぞれの引き出しに適当に入れてるので、探し物も大変。
今回は思い切って処分するものも多めにしつつ、用途別に引き出しもきちんと別れるように努力してみた

んま~出てくる出てくる!お守りとかマスコットとかストラップは数知れず・・・。

その中に、だいぶ前に小淵沢の雑貨屋さんで購入して大事にしまってあったものも発見!
そうそう。引っ越してステキにお部屋を飾るんだ!と買っておいて、いざ3年前に引っ越してみたときには慌しくて「またあとで!」としまいこんでたのだった
これじゃいつまで経っても日の目を見ないね
その小物の数々はこんな感じ。


早いうちにこの小物ちゃんたちの居場所を考えてあげなきゃね・・。

今年の1月は特に大変そうなイベントもなくのんびりだけど、去年の今頃は大変だったなー・・・。
長男が中学受験だったので、とにかく落ち着かない・・。私が勉強するわけじゃないんだけど、願書書いたり、受験料振り込んだり・・・。
どこが落ちたら2日はどこを受けることにして・・・などなど。
そして小学校生活もだんだん残り少なくなってきて、卒業式用のコサージュを色々作ったりしてたなあ・・・。
校長、副校長、各担任の先生のコサージュも依頼されてたので、淡いピンクで作りました。

(後方の薄い色のがそれです)
長男の小学校は、1年生の時こそ素晴らしい担任の先生にめぐり合えたけど、5~6年の担任は正直ひどかった。
5年生のうちは我慢してた子供たちが6年生になって担任がまた同じだと知ると次第にクラスが荒れだし、秋には手がつけられないくらいにひどいクラスになってしまった。
何人かで教育委員会にも相談した。
でも結局何も変えてもらえなかった。
当時の校長にもがっかり。
他の先生にもがっかり。
最後まで担任にはがっかりのしっぱなし。
卒業式も「やっとおさらばできる」と喜んでた長男。
本来なら一番大事な高学年の時期、モンスターペアレンツどころか、親たちも先生に協力して良いクラスを作りたいと思ってたのだけど、出来なかった・・・。
4年生の時、PTA副会長も引き受けて、子供たちのため、学校のためにと毎日学校に通ってたあの頃がバカみたいに思えてきた・・・。(その後5年生で校長が変わったからこそあの対応だったのかもだけど・・・)
あの時のすさんだ心、今、希望の中学に入って楽しくやってはいるけど、たまに本来だったら5~6年で学ぶべき部分が欠落しているのを感じる。
子供たちの気持ちを考えられない大人が教師になっちゃだめだと思う。
自分のクラスの子供たちを信じられないで、担任になんてなっちゃだめだと思う。
1年前、受験より何より辛い、苦い思い出・・・


今年もそろそろ何か作ろうかな。

連休中は寒かった分、夕焼けキレイだった・・・。