ヨハネの手紙2 1章。
6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。
7 なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。
8 よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。
*イエスキリストが人間として存在し、それが誰か言える者が愛であり、愛とは雅歌で表現されているが、聖霊洗礼者ヨハネのことである。
愛の内を歩くとは、聖霊洗礼者ヨハネの教える事を理解する事。これが神ヤハウェの聖徒に課す戒めである。聖書を知る事である。
あなた方が初めから聞いてきたとは、聖徒諸君の初回の人生は聖書の救いを信じて死んだ、もしくは罪人に拷問され殺されたわけである。聖書の救いを聞いて信じて初回の人生で死んだわけである。
9 すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。
10 この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。
11 そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。
*キリストの教=聖書である。
全ては初回の人生で聖書の神の救いを信じるか否かで、その後、現代での結末が二手に分かれる。(イレギュラーであるが、聖霊にケンカ売ったり、信じなかった場合は城には入れない。)
罪人や偉そうな人が聖書を知ったかぶってたりするが、相手にしてはいけない。