「日本文化原論 真なる調和への道 」 美粋書房 横山俊一

私は神道や仏教を根にする伝統文化慣習に携わりました経験を軸に『日本文化原論』と題し執筆活動を展開しております。

1)哲学文化観

2021-07-07 01:20:56 | ブログ

教育領域を担うに際して「生物と物理と心理と観念及び習慣」の見解を整えあるべき人格観が形成されて、それを前提的基礎にもって各科目を配し、全体像を引き出す事にあって、教育等という領域を担う要件が産まれる。

この見解が乏しく部分的な科目の性格付けがなされず、個々の分散的羅列の科目と相関が現れる事の不健全性が起こる。根本且つ全体性の見解の乏しい部分最良に見る歪性が産まれる。

根源且つ根幹と産出性(部分と全体)及び習慣という生態概念をもって中味を整理し、あるべき人間性と生態系の姿を導出し、個々の部分的領域観の形成と全体像を産み根源と根幹という根本的な観点により部分と全体の制御を図る動静習慣性において健全な人間と生態像が産まれる。

問題を出題するにおいても、根本且つ全体性のビジョンを遂げる為の方法という配置を浮かべ、良い問題を出し意図するビジョンの実現に貢献する優れた方法を解答できるかという操作性が進む。意識的か無意識の内に、意図する志向や世界観が形成され、それに及ぶエネルギーの導出と作為が加えられる。広く社会や生態の集約的な概念体系が備わり教育なる領域性の真相真価の算定に及ぶ。教育者の成熟度合いを伺う観点が出現する。

経営者や政治家などという領域の主導を担う立場にも同一的な観点が適用される。技術力の見解や産業観が備わり、広く産業構造上の中で、どのような配置を担う技術や産業であるのか、或いは都市と地方の相関や国家としての健全な在り方、国際社会や自然環境と生態等という観点が出現し、直接間接の因果と相関と特定観や全体性の観念を導出し自己の直接的な内包的性格と外界との相関と配置感を掴んで、自己なる存在の有意義性の認識を作り、堂々とした創造力と社会性を図る習慣と人格の認識が産まれる。

直接的な経営観や政治観と共に、外界の世界観や思想等という見解を集約し予めの尺度と整え内外へ明示し立憲主義や法による統治という概念と運用の実際が算定される。経営者や政治家などという立場の成熟度合いが表される。人格概念等として、どこの領域にあっても同一基盤性の観点が形成されて、健全人間性の基に各種の技術性と内包性を作り、堂々と外界に対面し良好な社会性を遂げる根本且つ汎用的な観点となって哲学文化性を生む。

どのような意図をもって問題を出すのか。出題者の価値観に成熟性があるか。問題を出す側に評価性の観点が加えられる。質問をする等という行為も同様であり何を求めて質問を作り解答を引き出すか。どのような問いを産むのかと同時に意図する解答が備わる。

健全な相互性を作る観点が産まれる。「一方的にあれをやれこれをやれ」という性格が強まると、人格不在の病理性の実感が形成される。意図する公性の概念が起こらず、ごく私的な欲求と充足の作為が強まり、非社会的、無人格、非人間性、ロボット化が現れる。構造性に依存し外界から財を略奪する現象が高まる。歪な管理者や支配したガリ等という歪みと発想や生産と制度や法規を産む基調が強まる。詐欺や略奪性の産出を増す。根本的な観点から各種創造の質実を問い適正を求める作為が産まれる。

根本且つ大局観の不在等という状態で狭い教育観念が形成されるようであると技術観や経営観、政治観や人間観、生態観や生命観にも歪性が広がる因果が映る。生物と物理と心理と観念の相関と習慣の見解が求められる。これがお粗末で妙に高い位を求めるようであると根本性の病んだ現象が広がる。偉い人には、是非とも良い見解を表してもらうことが要る。

良好な哲学文化観を形成し広く内外との同一基盤性を遂げるエネルギーが産まれる。

 

 


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