国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

鉄道公安官物語 雑踏警備編 プロローグ

2009-12-23 00:14:59 | 妄想小説?
みなさん、こんばんは。
早いもので、12月の22日
2009年もあと1週間あまりとなりました。

考えてみれば、昨年12月末に保険会社を退職、そのままふらふらと時間が経ってその間にも色々と仕事を経験させていただきました。

特に、人物撮影は緊張しながらも無事大任を終えることが出来てほっとしています。
4月からスタートしたアフラックの代理店事業ですが、当初から友人知人・親戚もまったく回れない状況からスタートしたため悪戦苦闘していますが、最近になっていろいろと仕組みが出来てきたので来年は、これを加速させるとともに、一気に飛躍していきたいと考えています。

さて、そんなこんなで放置状態であったこのblogですが、閉鎖・・・・としかったのですがたぶんにそれは許されないことのようですので、更新頻度は落ちるかもしれませんが、出来る限り続けていきます。

ただし、長文にはならないかもしれませんがその辺はご理解とご協力のほどお願い申し上げます。

鉄道公安官物語【雑踏警備編】

このシリーズを書くのはほぼ4ヶ月ぶりでありますが、私の警察官時代に思い出を絡めながら書いていきたいと思います。

お正月といえば、ふるさとで過ごすという方も多いと思うがその昔、高速道路も十分に発達していなかった頃は帰省といえば列車の旅でした。

大阪駅や上野駅にはテント村が出来てひたすら目指す列車に乗車するために並ぶという光景がよく見られたものです。

国鉄も手をこまねいてみていたわけではなく、全国から客車を寄せ集めては臨時列車を仕立てて走らせたのです。
ただ、寄せ集めの悲しさ。

古い客車の寄せ集めだったり、さらにひどいものになると、ローカル列車用の客車が堂々と急行として走ったりといったこともあたりまえでした。
それでも、乗り切れずに駅で待つといったことが行われていたのです。

そんな、駅での警備も公安官の重要な仕事のひとつであり、特に混雑した場所では往々にしてスリや置き引きといった被害が後を絶たないのでした。

ちょっと目を離した隙に財布が盗まれ、切符を持っていかれたかどうか・・・は定かではありませんが。
おそらく、銀河鉄道999ではありませんが、「パスを欲しいがために、どんな手段でもする」といった内容がありますが、当時の帰省ラッシュもそれに似たような状況がありました。

それは、ダフ屋と呼ばれる座席買占め人で、ちょっとしたしのぎになっていたようです。
自由席を先に占領し、いくらかの金で座席の権利を売る、「私設指定席」であり、当然違法行為であり、彼らにも公安官は目を光らせることになるのでした。

警察官もそうですが、基本的に雑踏の警備となると、拳銃はことさら邪魔になるものであり、公安官は基本的には手錠と特殊警棒以外は持っていなかったし、警察も基本的には雑踏警備の場合は拳銃は保持していなかったと記憶しています。

さて、ここまで書いたのだが0時を超えてしまった。かぼちゃの馬車ならぬかぼちゃのPCになっては困るのでひとまず筆をおきたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

届かなかった手紙 第五夜

2007-01-15 17:24:16 | 妄想小説?
****事故、そして・・・****

列車は、定刻どおりに城崎駅に到着。
ここは、外湯が名物となっており、流石に今の季節は見かけないが、春先から夏にかけては外湯めぐりをする人が見られるものです。

あいかわらず風は強く、冬の嵐さながらといった風情です。
列車は、軽く汽笛を鳴らすと、終着駅香住に向かって少しづつ進み始めました。

約30分、列車は定刻どおり香住駅に到着、多くの善男善女は用意されているであろうカニ料理に期待を膨らませながら、静静と降りていった、ろれるつが回らなかったり、足元のおぼつかない人も何人か見かけたが、無事全員下車したようです。

 乗客が下車した列車は、どことなくけだるい空気が流れているものだ。
この列車も例外ではない、特に団体専用列車として運転されているから余計にそうなのかもしれません。
 テーブルの上に置かれた、缶ビールの空き缶やおつまみ、そして旅のパンフレット・・・等などが、時にわびしさを誘います。
 
 ここで、車掌長を除き、他の乗務員は下車、折り返しの列車までは詰め所での待機でとなるのです。
 「車掌長、ここで失礼します。」
 ある者は、ここから播但線経由の「特急はまかぜ」の特別改札要員で戻ることとなっているのです。
 しかし、これが、車掌長との最後の別れになろうとは誰が思ったことでしょう。

 車掌長は、列車の運行に責任を持つ必要から、回送先の浜坂まで一緒に乗務する必要があったのです。
 このとき、運命の列車「みやび」に乗車していたのは、車掌長と、日本食堂の車販要員の二人であった。
 特に、車販担当の一人も、回送列車に乗り合わせていた、彼の場合は折り返しの準備などがあることから、車掌長と一緒に回送列車に乗り込んだのでした。
 彼は、19歳、今年高校を卒業し将来は列車食堂のコックを夢見て日本食堂に就職したのです。

 「ピー」少し侘しさを感じさせる汽笛を鳴らして、列車は出発していきます。
相変わらず風は強く、空は鉛色の雲が立ち込めていました。

 「カタン」 軽い衝撃を残して、運命の列車「みやび」は動き始めました。
しかし、この列車がまさかの大事故を起こすなどとは、・・・浜坂までの乗務、ただそれだけだったのに。・・・・

 当事の国鉄は、翌年の分割民営化に備えて、人員削減と合理化の嵐が吹き荒れていた。
特に、ローカル線を多く受持つJR西日本では収入の確保が最大命題であった。
 高砂工場が満を持して投入した「みやび」は言わば「国鉄大阪」の自信作であり、幸い乗客の評判もよくて、まもなく減価償却(改造費が後数ヶ月で回収できるところまで)が終わる予定でした。
 しかし、その夢も一つの突風が吹き飛ばしてしまったのです。
 事実、みやびを失った国鉄大阪はその後の臨時列車の運用に苦慮することとなりました。

 また、人員削減と合理化に伴う、すさんだ空気は職場全体を包んでいたのです。
分割民営化を翌年4月に控え、職員の選別も積極的に行われていました。
 誰が、国鉄に残れるのか・・・、

 みんな、お互いの腹を探り合うようなそんな重苦しい空気が流れていました。
 それは、山陰本線の列車運行を司る、指令所でも同じでした。
 山陰線では、合理化の一環として、CTC〔列車集中制御装置〕により信号やポイントの切り替えなどを福知山で操作していました。
 以前であれば、駅ごとに駅員がいて列車の信号やポイントを操作していましたが、CTC導入により駅員が不要となったのです。
 
 13時25分、列車はトンネルを抜けて余部鉄橋に入ります。
風は相変わらず強く、トンネルを抜けた列車は強烈な横風を受けることになりました。

「風が強いなぁ・・・」機関士が独り言を呟きました。
国鉄では、ダイヤ至上主義が横行し、本来であれば徐行すべきところなのですがそうするとダイヤが乱れてしまうため、無理にでも走行することとしたのです。

走行中、後方に引っ張られるような衝撃を受けた瞬間大きく機関車が揺れました。
そして、非常ブレーキが作動し機関車は緊急停車しました。
 一瞬何が起こったのか機関士もわかりません。
 後ろを振り返ると、先ほどまで後部に従えていた「みやび」の姿が見えません。
 さらに、レールは真中付近で飴のように大きく曲がり蛇行していました。

 エンジンを積んでいるため重い機関車は転落を免れたが、比較的軽い客車は悲しいかな橋の上から転落したのです。
 運転士は慌てて列車無線で「みやび」が転落事故を起こしたことを伝えるとともに、防護無線を発して、付近の列車に対して警戒を発しました。

 橋の下には、かに加工工場があり当時12人の女性従業員が働いていました。
 そのうち、5人の女性が列車の下敷きとなって亡くなってしまったのです。

 まさか、仕事中に列車が降ってくるなんて・・・・。
彼女たちの無念はどれほどのものでしょう。まだ子供が小さかった人もいた由。

 日食の社員は、腰の骨を折ったものの、命には影響は無かったようですが、寺西車掌長はぴくりとも動きません、転落の際胸部を強打したのです。

 事故は、鉄道無線を通じて運転士から報告され、警察そして消防が駆けつけるところとなったが、あまりに凄惨な状況に、どこから手をつけるべきなのか・・・、消防も警察も手の施しようが無く立ち尽くすばかりです。

 負傷者の救護が最優先なのはわかっているが、鉄骨スレート葺きの工場は跡形も無くつぶれ、大きく損傷した客車がその上に覆いかぶさっていた。
 台車は外れて、その近くに転がり、寒い風が吹きすさぶ中、クレーン車などがどくどく到着、ひとまず車体を撤去することから開始されました。
 20mの車体は、証拠物件として警察が押収することになったのですが、この処理にもまた時間がかかることとなりました。
 
 この物語は、フィクションです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妄想特急 第3夜 特急電車はどうなる。

2006-12-27 21:44:14 | 妄想小説?
こんばんは、381系の転用を考えていた矢先、幹部から283系の増備計画は白紙に戻すようにとの指示があった。
 381系を転用させても、振り子を使える区間が少なくかつ既存区間の改修となると、大幅な工事費アップにつながること、また振り子による効果よりも軌道強化を行うほうが将来的には有効であることなどが確認されたことが主な理由であった。
 焦ったのは、若手の幹部たちであった。
 すでに、381系転用の方向で検討に入っており、今ここで変更となると新たに転用できる車両を探さなくてはいけない。
 そうなってくると、281系増備案が出てくるが、これも非現実的であると却下。
 さらに、幹部からは車両は2両編成程度からの運用が出来ること。
 指定席は必要であるが、半室でも構わないこと。
 グリーン車は当面は不要であること、新製は行わず、極力改造でまかなうことなどが確認された。

 さて、改造という方針が出された以上、若手幹部たちは改造のための種車をさがすことから始めなくてはならなかった。
 結論から言うと、種車は221系を改造するということだった。

 鋼製の車両であり改造が比較的容易であること、
 初期の車両では車歴が20年近くになっており、更新の必要があること。
 223系の増備で運用に余裕が出てきていこと。
 2両編成からの短編成で運用が可能なシステムを構築していること。
 走行装置など基本部分は、その後の特急電車と基本的には同じ物を採用して言ることなどが主な理由でした。

 さて、改造に伴う工事では転換クロスシート→回転クロスシートへの変更
 中間ドアの埋め込み及び窓回りの改造。
 指定席車は、名古屋方半室とし、運転席後部のドアを埋めて客室化のうえ中央ドアから出入りできるように改造。
 将来グリーン車への転用が可能なように配慮されていた。
 他には、荷物棚の取替えや、空調ダクトの取替、指定席車では一部カーペットを貼り付けるなどの工事が行われた。
 化粧板も全面的に張り替えられて、落ち着いた雰囲気の車内となっていた。

なお、従前の221系と区別するために塗装は変更された。

運転方式としては、以下の方式が検討された。

JR大和路快速に併結し、JR難波~加茂間は快速、加茂~名古屋間を特急とする案
JR難波~名古屋間を単独運転する案の2案であった。

なお、新大阪駅始発の場合も基本は同じで、奈良方面直通の大和路快速として処理された。

どの方式が優れているのか、またどの方式を採用するのか。
その決定は、幹部の経営者会議に委ねられる事となった。

続きは、明日の夜にでも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妄想特急 第2夜 あすか復活

2006-12-26 13:08:22 | 妄想小説?

社内で検討された案は3つ、その一つは、名阪連絡の正当な後継者としての「JR難波~名古屋間」運転の特急列車。
 さらには、新幹線連絡を視野に入れた、新大阪~大阪環状線もしくは外環状線経由~名古屋間」運転の特急列車
 最後は、草津線を経由して名古屋を結ぶかっての急行「平安」ルートをたどる経路でした。

 幹部らは、かっての名阪連絡であるJR難波~名古屋間が最もオーソドックスであると主張しましたが、若手幹部からは、新幹線連絡を見込めること、西九条に停車することでUSJからもしくはUSJへの旅客を誘導すすことができることから、2案は真っ向から反発する事となりました。
 そこで、需要調査を行うとともにさらに検討に検討を重ねた結果。

JR難波始発は、ビジネスライクの需要は見込めること。
新大阪始発は、新幹線利用というよりもUSJへの集客効果が見込めることから積極的に検討することとなった。

 そこで、設定本数を当初2本だったのを見直し、6本としうち朝1本、夕1本をJR難波発着とし。 
 午前1往復、午後1往復の4本は新大阪始発とした。
 これにともない、一部の「くろしお号」が京都始発に変更されている。

さて、次の検討を要することとなったのは使用する車両であった。
現時点で転活用できる特急車両は無く今後余剰が見込める車両として485系があるが、これも車齢を考えるとあまり長くは使えず得策とは言えない。
 そこで、381系の転用が検討されたのだが「くろしお号」用の車両が不足することになりその分は283系を増備することで検討が開始されたが、幹部からストップがかかることに。

さて、その続きはまた次の夜にでも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妄想特急第1夜 復活

2006-12-25 15:38:21 | 妄想小説?
みなさま、こんばんは。
今日から、初夢妄想スペシャル?としてこんなこと考えてみました。

もしも、関西線に特急「飛鳥」が復活したらです。
さてさてどんな結末になるやらこうご期待。

200X年4月1日、関西線の一部「加茂~亀山」間が電化。
これは、地域の悲願として、三重県及び奈良県が電化費用の大半を負担することで実現した。
 これにより、加茂までだった「大和路快速」の運転区間は、天王寺~大阪~柘植までとなり名実ともに大和路の快速電車となった。
 なお、区間快速は従前とおり加茂までの運転となっている。
 普通電車は、221系2連が充当され、利用者にとっては大きくサービスアップとなった。
 この施策により、伊賀上野では近鉄伊賀線からの利用者が急増
 かっては、廃止と噂された伊賀線が息を吹き返すこととなり、近鉄も喜んだことは記憶に新しい。

 大和路快速は、1時間に1本だけとはいえ柘植まで直通運転されるため、普通電車とあわせると主要駅では約30分ヘッドが実現したことになる。
 なお、運転区間はこのダイヤ改正により一部変更され朝夕の一部時間帯を除き柘植で乗り換えとなった。
 ただし、柘植から亀山間は、草津線からの直通電車が亀山まで乗入れる他、東海の電車が一部か柘植まで乗り入れることでこちらも30分ヘッドを実現している。
 さて、こうなってくるとかっての名阪特急を復活させてあげたくなるのは人情というもので、今度はJRとしても本格的にその実現に向けて考えることとなりました。
 本社では、関西線直通名阪特急の実現に向けて正式検討チームが設置され、正式に研究することとなりました。
 検討の結果運転区間は、JR難波~名古屋間と新大阪~名古屋間さらには、草津線経由で新大阪~名古屋間の3案が検討されることとなりました。

その具体的内容等は、また明日の夜にでも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする