117系電車の兄弟分。185系電車の話し(0番台誕生の経緯について)
185系電車が、昭和54年度の本予算で計画され昭和56年1月から順次落成
特急踊り子に導入されます。
1981年3月からは、急行伊豆に153系と併結して伊豆急下田・修善寺行きとして運転を開始します。
その後、1981年10月の時刻改正では、それまでの特急「あまぎ」を統合する形で特急「踊り子」が誕生、183系使用の旧「あまぎ」編成と185系使用の旧「急行伊豆」の二種類の車両を使用する特急が誕生しました。
特急格上げに伴い、20分ほど時間短縮し他だけでの値上げ感は否めなかったようです。
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新幹線建設と国鉄 第2話 新幹線計画概要と建設基準
東海道新幹線に関するお話し第2話になります。 新幹線建設に際しては、いくつかの技術開発が行われました。 そして、それと同時に車両限界などを含めて多くの事項が決定されていきました。 特に新規に計画された事に伴う建築限界を大きくとったことで、東日本のMax(E1系・E4系)を誕生させる事が出来ました。
又、当時の資料では公式に貨物輸送も考えられる(大型トラックをそのまま載せても問題ない車両限界)ので、それを意識して限界を定めたとして、極めて大きな車両限界となっており、その結果二階建て新幹線を実現させることが出来ました。
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鉄道技術昔話 北海道専用 交流電車 711系
国鉄では昭和43年の、小樽~滝川間の交流電化に際して711系電車を開発することとなり、昭和41年から設計が開始され、昭和42年に試作車4両【2両編成×2)が導入されました。 日立と汽車会社がそれぞれ1編成ずつ担当し。日立が製造した車両は901は、ユニット窓で下段固定、上段下降式の窓で、汽車会社製は比較のために従来通りの2重窓を装備していました。 比較の結果は、従来の二重窓方式での増備となり、特徴的な4枚折り戸とも採用されることはありませんでした。 電車として特徴的だったのは、1M方式を採用したこと、サイリスタ位相制御による唯一の形式となります。
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鉄道技術昔話 もう一つの交流電車 クモヤ790
今回は、簡易交流電車クモヤ790を取り上げてみました。
何としても安い制作費で電車を作りたいという発想からスタートした電車で、気動車のエンジンを電気モーターに置き換えた液体変速機方式並びに、動力伝達を機械式とし他2種類が試作されました。
試験結果はかなり散々なもので、当初本命と思われていた機械式(電磁歯車式)は振動や動作音が大きすぎて実用にならず、比較とした液体変速機式の方が性能的には優秀であったのは皮肉でした。
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鉄道技術昔話 世界初直接式交直流電車 クモヤ791
国鉄では交流電化に関しては、直接式と整流器式の比較の結果、性能的には圧倒的に整流器式が有利となりましたが、直接式のシンプルな構造は軽量化並びに制作費の低減に繋がるとして、電車にあっては直接式が有利ではという判断から、昭和34年に1両だけ試作されました。
モーターを比較するため6社の競作で3種類のモーターが試作されましたが、結局実用化されることは無く、晩年は南福岡電車区で入換用の牽引車として使われていたようです。
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悲運の電車、直接式交直流電車491系のお話し
昭和34年、交流整流子モータを搭載した、「直接式交直流電車」が試作されました。 既に、水銀整流器〈その後、シリコン整流器に換装〉を搭載したクモヤ491が有りましたが、こちらはクモハ491・490に改造されて仙山線で長らく活躍したのに比べ、493系は試験終了後は電気試験車に再改造されることとなり、昭和51年頃には廃車となっています。
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新潟闘争とは、図解 後編
国労の民同右派と呼ばれたグループ(民社党を支持するグループ)が国労から分裂して、地方単位の労組を結集するきっかけとなった闘争。 今回は後編として、実際の闘争並びに闘争の終結までをお話します。 組合役員の解雇撤回闘争から始まった新潟闘争は、国労新潟地本の一人負けという形で敗北することとなりました。 その後、更には組合員の大量脱退による新組合結成へと流れていくことになります。 #昭和 #昭和レトロ
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鉄道技術昔話 ED60・61の話
国鉄近代化直流機関車の始祖ともいえる、ED60・61形機関車のお話
ED70形の成功を受けて、高回転・高トルク・軽量の電動機を開発、ED70よりも使用条件は厳しく、絶縁も最高ランクのH種が採用された他、空転防止の観点からバーニヤ制御が導入されるなど、その後EF60・61を設計する際にも参考となる技術が取り入れられることとなりました。
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