本日も、続きを書かせていただきます。
特急つばめは、1分の臨時停車の後、再び加速していきます。
四分半後には「臨時特急さくら」が追いかけていますので、後続の列車にまで遅れを出すわけにはいきません。
私は、自らの意思で列車を止めたという事実を今一度思い返していました。
大変なことをしてしまった。自らの意思で、病人への救護措置とはいえ、特急列車を止めてしまったという悔悟の念が大きく頭をもたげました。
おそらく帰区してから助役・区長からの事情聴取があるだろう、厳しく叱責を受けること、もしかしたら、始末書を出さざるを得ないであろう、そんなことが頭によぎります。
しかし、自分は少女のためにという純粋な気持ちからの行動であり、例え叱責されても始末書を出して処分を受けたとしてもそれは甘んじて受け入れようと心に決めたのでした。
不思議と、そう覚悟を決めると今まで重くのしかかっていた不安が一気に解消していくのが感じられ、一気に疲れが出てきたように感じたのです。
その後は、しばし、専務車掌室の中で放心状態になってしまいましたのでした。
時計を見ると13:50、外を見るとちょうど熱田駅の駅名標がちらっと見えました。
「良かった、列車は、遅れを取り戻したようだ。」
私は独り言を呟くと、名古屋到着の案内を始めるのでした。
名古屋には、14:00定時到着、ここで機関車はEF58からC62に交換されることになります。
EF58型機関車が切り離され、引き揚げ線に逃げると、C62のテンダが近づいてきます。
客車の5m程手前で一旦停車、誘導掛の緑の旗を頼りに機関士は徐々に機関車を客車に近づけてきます。
私は、車掌室の窓から機関車連結の様子を見守っていました。
連結作業は、機関士の技量が試される瞬間です。
出来るだけショックを与えずに連結するわけです、誘導掛りの緑の旗が赤い旗に替わって機関車は静かに連結されました。
軽いショックが伝わってきたものの、あれ?という程度であり、安定した連結作業でした。
おそらく、前方では駅手による給水や炭庫の整理などが行われていることでしょう。
やがて5分の停車時間は過ぎて、発車ベルが大きな音でホーム全体に響き渡っています。
駅の売り子も。あと一つ、もう一つと、乗客に弁当を売っていきます、ベルが鳴り止み、駅長の発車合図と共に、汽笛一声、特急つばめ号は大阪に向かって動き出したのでした。
ホームでは、見送り忍の姿も幾人か見えました。
駅長との敬礼を交わした後は、後方の運転車掌に任務を任せ、私は案内放送に入るのでした。
お待たせいたしました、特急つばめ号、大阪行きです。
途中止まります駅は、岐阜、米原、京都、終点大阪の順でございます。
到着時刻は、岐阜14:30、米原15:22、京都16:21、終着大阪には、17:00ちょうどの到着を予定しています。
次は、岐阜、岐阜に停車いたします。
列車は、稲沢の操車場を見ながら走っていくのでした。何事もなく14:30には岐阜に到着、駅では助役が走り寄ってきました。
「蒲郡駅での少女の件ですが」という、
私はとっさに、どうだったのですかと聞き返しますと、
措置が早かったので、貴子ちゃんは快方に向かったとのこと。
急性の中毒症であり、措置がもう少し遅ければ命に関わっていたこと、4・5日も入院すれば退院できるであろと、蒲郡の駅から連絡があったと知らされました。
私は、「良かった。本当に良かった」
そう心から思いながら、岐阜駅を発車後に、以下のような案内放送をしたのでした。
「特急つばめ号にご乗車の皆様、先ほど停車の岐阜駅で、蒲郡駅で急病のため臨時停車下少女の件で連絡がありました。皆様にはご迷惑をおかけいたしましたが、あの臨時停車のおかげで、措置が早くできたことから、一命は取り留めたとのことでした。改めて皆様には途中停車のお詫びを申し上げると共に、皆様のご協力のおかげで、一人に少女の命を救えたことを心より感謝いたします。ただいま、列車は定刻で運転しております。」
と放送を締めくくったのでした。
私の心には、いかなる処分を今後受けようとも、少女の命を救ったという思いを胸にして、どんな処分でも甘んじて受け入れようと改めて思ったのでした。
終わり
次回は番外編として、その後のお話などをさせていただきます。