予定表は今日も空白

後期高齢者たそがれの日々

お水取り

2012-03-15 | 時々の記
東大寺二月堂の修二会も14日は最後の一夜。
お松明を拝観することが出来た。


表に立てかけられた青竹もすべてなくなり、
本日用に準備された10本の松明のみになっている。



宗教行事のため歓声や大きな声を出さない、拍手はしない、静かに合掌を、
などの注意事項が流れ、次に別当の挨拶があった。
東大寺の東日本大震災への取り組みや、今回の修二会が被災地復興に向かって
ともにあることなどの説明が盛り込まれていた。

テープなのか、なま声なのか、こんなときはローマ法王のように群衆の前に出て話しかけるとより親しみが…

一人が先に上堂していて、残り10人の練行衆がこれから上堂出仕する。
階段になっている回廊を登るこもりの僧の足元を松明が照らす。

最初のひとつが動き出すと長時間待ち続けた参観者たちから小さななどよめきがうまれる。
「こもりの僧の沓の音」と詠まれた当時はどんなだったろう。



最終日のお松明は前日までの1本ずつ示されるのではなく、、
次々に上がってきて(お坊様がそういう動きをされているということだが)、
練行衆をお送りしたあと、先のものから順次欄干から突き出される。

お堂の全面を駆け抜ける勇壮さはないが、10本のそろい踏みといったところで
醍醐味はそれ以上かも知れない。



すべて揃ったところで掛け声とともに一斉に回転し火の粉が大きく舞う。
大きなどよめきが起こる。
逆回転により一層炎と火の粉がひろがる。
時々大きなかたまりの火の玉が落ちて悲鳴に近い歓声があがる。

相変わらずシャッターを上手く合わせられない、また一年待つことに。

火の粉を浴びると1年間無病息災にすごせると伝わっている。
お松明の欠片を戴いて帰るのがいいとこちらで待ちうけるひともいる。

後者の方は子供の頃から我が家で話題になった記憶がない。
近年生まれた民間信仰か、それとも知らなかっただけなのか。

役目を終えて降りて来ると童子は松明を観客のほうに差しだしたり、
寺男が堅い竹の先を折り取って与えていた。



お堂に上がった僧は最終日も秘仏十一面観音の前で未明まで厳しい行と祈りが続く。


そして無事満行となればいよいよ大和路に本格的な春が訪れます。
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忘れない

2012-03-11 | 時々の記
あの日から1年。


阪神大震災のときに取り置いた新聞は色褪せていたが、
紙の色は褪せても、ともに忘れることはないでしょう。






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弥生三月

2012-03-01 | 時々の記
ブログトップを開くと未だ新年挨拶だなんて、
吾ながらぞっとする。



「今日はどうか」と訪れてうんざりされた方もいたに違いない。
不徳の致すところということで、二か月ぶりの…



大和高原も今日は緩やかな暖かさがあった。
蝋梅が咲き始めていた。
この木はもともと国中(くんなか:と読んで奈良盆地のこと、県内での古称)にあったものを移したものだが、
こちらに来てから随分花の数が少なくなった。







蕗の薹があったので収穫した。
春を味わうことにしよう、かみさんがうまくやってくれるはずだ。







東大寺二月堂のお水取りもいよいよ本番となってきた。
今年は見れるだろうか、年を経るごとに見学者が多くなってきている。



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