いつもの百間川ウォーキング!!
本日は一の荒手まで
改築工事後、ここまで来たのは初めて、平常時はここを渡って反対堤防まで行くことが出来る。
(江戸時代に造られた越流堤を改修、復元するために、全長約180メートルの堤をいったん解体し、基礎部分を固め、もとあった堤のように再度石を積み上げる改修工事。)
一の荒手は、岡山城下を旭川の洪水から守るため開削した百間川放水路に流入する水量を調節するための洗堰(越流提)。三つの洗堰(一の荒手・二の荒手・三の荒手)が設けられたが、現在、一の荒手・二の荒手のみが残っており、三の荒手は消失している。江戸時代、津田永忠の指揮の下で構築され、構築当初の原形を一部ではあるが留めた全国唯一の施設。
一の荒手
本日は一の荒手まで
改築工事後、ここまで来たのは初めて、平常時はここを渡って反対堤防まで行くことが出来る。
(江戸時代に造られた越流堤を改修、復元するために、全長約180メートルの堤をいったん解体し、基礎部分を固め、もとあった堤のように再度石を積み上げる改修工事。)
一の荒手は、岡山城下を旭川の洪水から守るため開削した百間川放水路に流入する水量を調節するための洗堰(越流提)。三つの洗堰(一の荒手・二の荒手・三の荒手)が設けられたが、現在、一の荒手・二の荒手のみが残っており、三の荒手は消失している。江戸時代、津田永忠の指揮の下で構築され、構築当初の原形を一部ではあるが留めた全国唯一の施設。
一の荒手