poppo徒然画帳

思いつくまま、徒然なるままに、絵や画像とともにつぶやきます。

蟪蛄春秋を知らず

2015年08月22日 | Weblog
「蛄春秋を知らず」
朝の散歩で、ある寺の門前の掲示板に貼り出されたコトバに惹かれた。
写真を撮ったりしてたら門の中から『おかあさん』がゴミ出しの袋を持って出てきました。いいコトバですねと話しかけたら、小学高学年の子どもも僕と同じように言ったとか、私が書いたのですがと言うその『おかあさん』としばらく立ち話をしました。
とあるブログでこんな説明がありました。
「セミは短命です。わずか二週間ほどのいのちです。夏の間の虫ですから勿論四季は知りません。ということは、夏という事も知らないのです。人間は四季を感じ、見る事ができます。
だからいのちの歴史を知り、どう今を生きたら良いかを考え、いのちのゆくえを尋ねる事ができるのです。 」
歩きながらiPhoneで調べたら、このコトバは荘子の『蟪蛄(けいこ)春秋を知らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや』によるという。「蟪蛄」とはひぐらし蝉のこと。「伊虫」とはこの虫という意味。「朱陽の節」は夏のこと。

その意味は「蝉は、春や秋という季節を 知らない。春や秋を知らない蝉にとって、今が夏だということをどうして知ることが出来ようか」ということです。
 
この「たとえ」は、親鸞聖人が教行信証の「信巻」の中で観無量寿経に十声の念仏を説かれているところで引用されていて浄土に往生するには、必ずしも、その念仏の数を知らなければならないということではないと説いているという。
春や秋を知らないのなら、当然ながら夏や冬も知らないのでしょう。つまり夏に生きているということさえも知らないはず。
自分が今生きている時間が刹那でも精一杯鳴き命をつないでいこうとしている。
それにひきかえ人間は四季のあることを知りながら、、、
と考えているとどんどん時間が経っていきます。


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