バックパッカー  中南米編 5

2016-03-13 11:09:09 | 日記

バックパッカー 中南米 1987 ~ 1988

 ニューヨーク → メキシコ市 飛行機運賃 約3万8000円
 メキシコ市 
 地下鉄=5円
 ホテル 1泊 約400円(室内シャワー付き)
 コーラ 1本=40円 水=95円 ヨーグルト=40円 コーヒー=5円
 ビニール袋に入ったアイスキャンディ(お菓子付き)=9円

この国の歴史は壮絶だ。
約2万年前以前から人が住んでいたという遺跡が発見されている。
その後、オルメカ文明から様々な文明が建ち、火山の噴火で消滅したり、戦争で消滅したりしたが、1500年代にスペインに征服されるまで数多くの文明は続いた。いまでも一部の遺跡やピラミッドを国中で見学することができる。
メキシコ市はその昔、湖に浮かぶ島だった、
アステカ帝国の都ティノティトラン中央神殿跡は現在の中央大聖堂の下にある。
(スペイン人は征服後必ず神殿の上に教会を建てた)
スペインによる300年の植民地支配から独立したが貧困は続いた。
当時も物乞い(子連れが多かった)、物売り、流し、泥棒とインフレとスモッグに苦しむ街だった。
しかし、見どころ満載の国でもある。


7月16日 8:30AM起床。
昨夜は蚊がプーンとうるさいし、湿気が無いわりにはなんだか薄暗いじめじめした、小汚い部屋のせいでなんだか息苦しくて眠れなかった。
朝方になってようやく少し寝た。
シャワーを浴び散歩がてら両替に行く。
街の大きな通りは車でごったがえし、小さい通りに歩道はない。
それに地震による被害の修復も厳しいインフレでままならず、手付かず状態の所も多くかなり危険な場所もある。
大聖堂(前述した遺跡の上にわざわざスペイン人が建てた)のあるソカロ周辺には遺跡があり観光客が絶えないので子ずれの乞食が結構いて、道行く人の袖を引く悲しい光景だ。
街中をぶらぶらと散策するのは「知らない街角を曲がるそこから旅は始まる」の如くさまざまな出会いがありとても愉しい、のだが、大通りは目を開けてられないほどの排気ガスで呼吸困難に陥るほどだ。
一日中歩き回っている顔から手足に至るまですすける。本当ですよ。
日本でも交通量の多い所に住んでいる方ならおわかりだと思います。
メキシコ市はその昔ティノティトランと呼ばれ大きな湖に浮かぶ島だったことはあまり知られていません。
オルメカからアステカに至る壮大で高度な文化は1521年のスペイン人の侵略により略奪、破壊、殺戮でほとんど失われましたが歴史があまり好きじゃない方も必見です。
さて、アラメダ公園前にあるメキシコ銀行で80ドル両替。
その足で中央郵便局へ。
途中で買った絵ハガキ1枚58円。 知人、友人、皆が楽しみにしてるだろうと50枚買った。
アメリカまでは31円 その後JALへ行き、ツワー会社メキシコ観光へ行ったが何をしに行ったのかは覚えていない。
きっと暇のせいだろう。
ソナロッサで昼食。ポテトサラダ、ビール2本
ブラブラしているとエクアドルから帰ってきたという知人の佐々木氏にばったり。
小休止。カフェテリアでまた、メキシコの話や中南米の話を聞かせてもらった。
そのあとで、メキシコにくれば必ずは訪れてほしい「国立人類学博物館」へ行った。
メキシコ文化の粋を集めた見ごたえのある所。
ニューヨークのメトロポリタンミュージアムに匹敵するすばらしさだ。
上野の博物館と比べてはいけません。
ここのカフェテリアで食べたスイカは何故か芸術的?薄切りで4枚。
4枚合わせても一般的な1つにはならない。
スイカって薄切りは味気ない。勘弁してください。

ソナロッサに戻り地下鉄の駅INSURGENTES(インスルヘンテス)からBALDERAS(バルデラス)、そこからまたJUAREZ(フアレス)と街を散策。
地下鉄は5枚券で10円、つまり距離に関係なく1枚2円ということです。
信じられないでしょう?
と言うことで移動はバスか地下鉄が安くて便利。
もう一つ、ペセロという乗降場所自由なすし詰め15人乗りのワゴン車があるがバスより少し高い。
バスはギターにアコーディオンオを持ったオヤジが1人だったり、2人だったり、3人だったりと乗り込んできては演奏、結構愉しい。
地下鉄の車内もホームも見たことがなかったがたぶん禁止されてるのだろう。
ニューヨークではバスも車内もなく街角かホームや駅構内が多い。
地下鉄はラッシュ時の混みようはすさましいし、集団スリが多いので要注意。
日本では最近女性専用車両ができたがメキシコでは10年以上前からあり、しかも子供も一緒だ。
ホームも車両も綺麗だが何故かホームにテレビが1メートル間隔でずらーっと備え付けている。
何人かのメキシコ人に尋ねても理由は誰も知らなかった。
タクシーは乗合もあるが、料金だけは確認の必要あり。タクシーの型はほとんどフォルクスワーゲンのカブトムシ。
余談だが、1997年にメキシコに再度行ったとき、シティより南へ車で1時間ほど下ったプエブラという街の友人に会いに行った。ここにはフォルクスワーゲン社がありタクシーは99%くらい、カブトムシだった。
友人もそこに勤めているが、彼の話では社員は車検も保険も込みで月々100ドルの払いで新車を購入出来るとのこと。
車種は何でもOKだそうです。
彼の話では週休2日だが1週間の休みもたまにあるとのこと。実際私が行ったときもそうだった。
勿論長期休暇もあるが、俺達メキシコ人がこれだけ働いているからドイツ人達は週3日休めるのだ、と怒っていた。
でもドイツに行けば勿論メキシコ人も週休3日だそうで、話を聞いていると羨ましいかぎりで、先進国と自負している日本は週2日なんて今だ少なく8時間労働や有給休暇の消化もあやしい会社がたくさんある。
ついでにレンターカーの話をすると“おまわり”要注意。
なんぐせつけて金を要求してくる。
ニューヨークで働いていた元メキシコ市警の知人に聞いたが相当でたらめらしい。
物品のちょろまかしや賄賂は日常茶飯事。
理由は「給料が安いんだからしかたない」にはあきれる。
彼も警察を辞めた後、家には押収した自動小銃や拳銃を10丁ちかく持っており奥さんに嫌がられていると笑っていた。
怖い話ですね。

7月17日 スペイン侵略によって惨殺されたクワウテモック王の侵入者に対する祟りかひどい下痢。
深夜1時を回ってから突然強烈な腹痛に襲われベットで暫くノタウチ、トイレへ。
これの間隔と回数が短く早くなり、一睡もせず夜明けを迎え、ようやく少し落ち着いてウトウト。
昨夜の夕食はPOLLO(チキン)とビール2本 =345円だったがこれが怪しい。
あれだけ水に気をつけていても食物を摂る限りどこからか菌が侵入するのだろう。
さて、正露丸を飲だし、脱水症にならないよう水分を補給、力をつけるために何か食べに行こう。
せっかく来たのだし、国を街を町を人を観に行かなくちゃ。
昼近くになってホテルを出た。
バルパライソ伯爵宮殿(現銀行)に行ってみた。天井の高い、重厚な建物で銀行に相応しいかもしれない。
1623年伊達正宗がローマ法王へ送った使節の一行が滞在した所だ。町人を含めた総勢100人余がアカプルコの南に到着、支蔵常長を長として主なものだけでメキシコ市へ行きそこからローマへ。
行列はメキシコ人にとってかなりものめずらしかったようですが想像できますよね。
ちょんまげに刀を差した人達が歩いているんですよ。
帰途メキシコに残った者も多数いたようですが今でもどこかでその血筋を脈々と続けている人達が居るだろうと云うことを考えた時、どのように受け継がれているのか気になる。
また、当時まったく情報もなく、言葉も、文化も、習慣も、まるで違う国に残ろうと考えた心の中を覗いてみたい。
誰が建てたかアカプルコには支蔵常長の銅像がある。

閑話休題;
帰途についた人達の悲劇は、日本を離れている間に江戸幕府はキリシタン弾圧、渡航及び入国禁止令(鎖国)を発令していた。使節団の多くはカトリック教徒に改宗していたため、確かフィリピン辺りに寄港、再改宗した。拒否した者は当然ながら残ったのだ。しつこく続きを書きますが、キリスト教徒弾圧と書かないでカトリック教徒と書いたのは、当時オランダは日本の富を独占しようと企んだ。
その策略として他の諸外国は布教の為と言ってやって来た神父の後に必ず軍隊を差し向けて侵略し滅ばされると入れ知恵をしたからだ。
「島原の乱」はキリシタンへの弾圧による農民の抵抗だと思っている方がたくさんいると思いますが間違いではありません。しかし、本質は彼らに掛けられた「人頭税」にあります。子供がうまれても税金、死んでも税金と何かにつけて税金を徴収したからなのです。
もうこれでは生きていけないと一揆が一気に始まった。
確か1村を除いた全村がカトリック教徒だったため結束が固く、また死を恐れなかったために当時のなまくら武士が手を焼き幕府命で他の藩から援軍で終結したのです。
ついでに、あの剣豪、宮本武蔵は参戦したものの農民の投げた石にあたって怪我をし、活躍出来なかったそうな。史実は歴史学者におまかせします。

次にラテンアメリカタワーに行った。
高さもさほどなく東京タワーか通天閣に登ったのと同じだが排気ガスで視界が悪い。ここの絵ハガキは1枚=14円
バスに乗ってチャペルテペック城へ。ブラブラしながら徒歩でソナロサへ戻った。
夕食はビフテキ(265円)、スープCREMAD CHAMPIŇNES(90円)、ビール61円。 バスでソカロまで戻りホテルへ。
炎天下きょうもよく歩いたなぁ。