迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

インド・ネパール第16日 インドからネパールへ。 

2009年11月21日 | 旅する。
DAY16
11月21日 土曜日

ラクソウル手前でバスが止まった。そのうち動くだろ、という期待は甘く、朝の5時半に路上に放り出された。

どうやらあとは自力でなんとかしろ、ということらしく、たまたま止まった乗り合いジープに拾われる。

このジープがすさまじく、ドアははずしてあって前部座席に5人、ドライバーの左に3人、右に2人乗る。左右の端は半身が吹きさらし、お尻はハンケツ。

ちなみに後部には約10人、ルーフに荷物と3,4人。

途中乗車の自分は前部左端で自分の荷物を抱え、車から振り落とされないようにしつつ、凍える手足を時々動かして、生き延びることを願う。

さらにこのジープ、外国人旅行者の足元を見やがって50ルピーもぼりやがった。





とりあえずラクソウルに着き、サイクルリクシャに案内させてインドのイミグレへ。なぜか踏切が15分も閉鎖され、これでビールガンジを朝7時に出るはずのカトマンドゥ行きバスに間に合う望みはほぼ断たれた。

インドのイミグレではネパールからインドに入国するタイ国籍のチベット僧侶たちが意地悪な管理官に待たされていた。

まことにインド国境はぼったくりロードである。





これに対し、ネパールのイミグレではドルのお釣りを5ドルごまかそうとした若者を叱り、丁寧にビザを発行してくれて

OFFICIALLY WELCOME TO NEPAL.

と歓迎してくれた。



インドからネパールに入るとほっとする、というのは本当である。

ビールガンジまでサイクルリクシャで行き、結局バスはないが乗り合いタクシーが
あるというのでそれに乗る。

リクシャには20ルピーをあげておいた。そのへんが普通の相場だが、国境ではたぶん数倍ぼるのであろう、泣きついてきたが、インドで学習したのは相場を知るものが勝つ、ということである。

9時ちょうどに車は動き出し、風に吹かれることもなく、途中で降ろされることもなく、14時45分にはカトマンドゥに着いた。





まだネパールルピーに両替していないんだが、インドルピーが使えるはずだ。

タクシーが300ネパールルピーというのを、150インドルピーつまり250ネパールルピーに値切ってタメル地区に向かう。

とにかく宿を決め、そのまま倒れこんで寝た。


この国境越えで体調は最悪で、寒気、のどと鼻の痛み、疲労、体中が不自然な姿勢を長く続けたゆがみで痛いのか痛くないのかわからなくなっている。