迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

Die Sonate vom Guten Menschen

2007年06月12日 | 映画や音楽や舞台や本とか。
6月12日

本牧で「善き人のためのソナタ」を見る。

旧東独の秘密警察の監視官がなぜ、ターゲットを庇い、虚偽の報告までするのか?

「転向」、あるいは「転び」はすでにさまざまなところで題材になっている。

しかし、それは「力」を持っている側が、弱い者を痛めつけ、「力」を持たない側が「転ぶ」構図だった。

江戸幕府がキリシタンを、戦前の特高が共産党を、ナチスがレジスタンスを。

しかし、この映画では逆なのだ。権力を持つ者がなぜ?

自殺者への同情?
女優への愛情?
芸術に感動した?
自由と民主主義に目覚めた?
権力の腐敗に嫌気がさした?
気まぐれ?

主人公が徹底的に無口で無趣味で灰色そのもののような生活を送っていること自体が、あるいはその答えであるのかもしれない。

映画では、まったく説明しない。

理由が明示されない無償にして危険な行為に、果たしてリアリティがあるのか? 観客は納得するのか?

私は、映画製作者たちは賭けに勝ったと思う。

そして、それは恐らく、現在のドイツ人が真剣に願っているからではないだろうか。

どこの国でも、いつの時代でも、どんな体制のもとでも、人間らしい気持ちが生きていてほしいと。

この映画が描いたのは、今からたかだか二十数年前から十五年前にかけての、最近の物語なのだ。


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