迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

【沖縄さくら旅】16 それぞれの旅、それぞれのツボ。

2012年01月25日 | 旅する。

1月25日 水曜日 那覇

天気がいいので「どこかへ出かけよう!」と、あすか(ゲスト)、はるにぃ(今日は仕事が休み)、ようすけ(軽を1か月レンタル中)で南部「裏」ツアーに出発する。

佐敷からニライカナイ橋を渡り、百名ビーチに下りる道を途中で左折してヤハラヅカサと浜川御嶽を巡る。



ヤハラヅカサは海の中に立つ石で、満潮で沈み、干潮で姿を現す。旧正月だからか、海面に飾りをつけた小舟が浮いていた。

〈山の茶屋楽水〉で休憩し、ケーキセットで二日酔いの胃腸をいやす。ここは〈浜辺の茶屋〉の姉妹店で、岩壁を屋内に取り込んだつくり、窓から一望する奥武島と海、できれば満潮時ならかなりの絶景。



つづいて奥武島、中本鮮魚店は正月休業だったので大城天ぷら店へ。



みんなへのおみやげに15個900円(イカ、さかな、もずく5本ずつ)の大量購入をしてみた。知っている人ならわかると思うが、ものすごい量になった。

八重瀬町役場奥にある具志頭歴史民俗資料館は入館料200円、展示室に入ったら照明がついていないので事務室で尋ねたら、単純に照明をつけ忘れていたのだった。それほどお客さんがいないのか、節電に努めているのか。



ここには1万8000年前の人類である港川人の人骨(全身骨格のレプリカ。発掘された人骨は港川1号と2号が今も東京大学総合研究博物館にあり、3号と4号は2007年10月から沖縄県立博物館で収蔵)が展示されている。

他にも具志頭親方蔡温、近代の移民、1945年の通知表(4月5月しかない、6月には「欠」)、戦争、方言、獅子、謝花昇の生涯、その他充実した展示で同行した他の面々が熱心に見入って滞在時間は2時間をこえた。

ついでに冨盛の大獅子に向かう。



戦争の時の銃弾痕が生々しい。

帰る道、糸満の港では船に大漁旗が何重にもはためいていた。今日は旧暦で1月3日、旧正月らしい風景だ。

最後に瀬長島で誘導灯と滑走路の間にクルマを停めて、真上を通る飛行機を撮影する。那覇空港は軍民共用で自衛隊も使用するので、旅客機に加えて戦闘機や輸送機がたびたび飛来してマニアにはたまらない。それにしても風が寒い。



うみそらトンネルを抜けて、日の暮れた那覇に帰る。月光荘でおみやげの奥武島天ぷらを肴に飲み始める。

今晩はまどかが作る夕食、500円。卵焼きのあんかけにはじまり、三枚肉、三色こんにゃく、根菜の煮物、挽き肉もやしピリ辛炒めのあとにメインの鶏鍋が二種、ドトーンと出る。白鍋は豆腐、鶏団子がメイン、黒鍋には鶏肉、鶏団子、きりたんぽ風、ごぼうささがき、ネギ。しめにはラーメンとおじや。

さらに日本酒の黒龍(福井)、わさび漬け、イカの沖漬けなどのおみやげもあって、なかなか豪華な宴になる。



ケイリンが昨日のお礼か、アンドロイドで写真を見せてくれる。アメリカ、カンボジア、アラスカなど。どこでも壁を登っているのがさすが。カンボジアは両親にとっては数十年ぶりの里帰りだったそうで、歴史の荒波を感じる。

ケイリンとシモンはいま上海在住だが、もともとはフランスのナンシーが地元。アールヌーボーの街とは知っていたのだが、ナンシーで有名なのは他にマカロン(お菓子)、プラティニ(ASナンシーでデビュー)、ミラベル(果物)、といろいろ教えてもらった。

この二人と一緒にボルダリングしに来た上海在住の日本人の方(夫婦)とも旅行の話で盛り上がる。南米ではエクアドルをベースにするのがいいらしい。ちなみに、たけクンはエクアドルでロバを盗まれ、ゆうきクン(つくば出身)はメキシコを馬で旅行したそうだ。

それぞれ、いろんな旅がある。


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