アリ@チャピ堂 お気楽本のブログ

日々の読書記録を勝手きままに書き記す

村上春樹とニューラルネットワーク

2012-03-27 00:46:37 | 科学
「マインドクエスト」意識としての自己と存在としての私


「マインド・クエスト 意識のミステリー」 D. ロイド (著) 谷 徹(訳) 講談社 2006年

「スプートニクの恋人」を読んですぐ
次は村上春樹ではなく何か別のものと(もう長編は読み終えたので)
ずいぶん前に買ったが積読のままほかってあったこの本を手に取った
するとその日本版序文に「スプートニクの恋人」の解題あがあり
その偶然にいささか驚くとともに
その後に「羊をめぐる冒険」と「ダンス・ダンス・ダンス」を読み直す羽目になる
村上春樹に引き戻されてしまった

この本「マインドクエスト」は前半に著者の研究を敷衍する
解説的な小説が配置され
後半では著者の研究課題である「意識」の科学について概説している

小説はそれとして読めなくはないが、本質的な「小説」ではなく
いわゆる科学的読み物としての範疇で書かれているため
ストーリーが一定の枠の中からはみだすことができず
消化不良な展開で終わってしまう
(SFやホラーの読みすぎで、意表を突く怪物の出現を期待していた?
自分自身こそが怪物だって?)

後半の「意識の科学」も興味深くはあるが
毛の薄い猿程度の庶民には「だからどうした」と思わずつぶやかざるをえない
「意識」が化学反応ないし電位差の集積以上のものであるために
ならばどのような理解が必要なのか
その「理解」を意識して「理解」する頭脳の多層性
「脳」という器と組織ににすべての「意識」が還元されるのか
還元してもよいが、だからどうした・・という感想になる

村上春樹の「スプートニクの恋人」の中で描かれる
観覧車でのミュウの体験(意識の多層化?)を例として
著者は村上春樹の作品、ないし村上春樹についてこう語る
「村上春樹はトラップドア使いの名人である。彼の小説は
フィクションの持つ非自然的な力を解き放ち、私たちがそれまで忘れていた
物語的な可能性を自由に走らせる。忘れていたというより
忘れたがっている、と言ったほうがよいかもしれない。・・
私たちの心を不穏とともに驚嘆させる村上氏の小説は
存在しえないのに、それでもそこに存在してしまう、
そうしたパラレル宇宙への扉を開く。・・」
そして「本書は、村上氏の世界の隠喩的多重性が、
文字通りの事実であることを示そうとする試みである。
二つの世界があるのだ。いや、じつは無限に多くの世界があるのだ。
そしてそれぞれに「実在性」を主張している。」

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の世界は
1次元(直線)と2次元(平面)そして三次元(立方体)の
濃度がすべて同じであるという集合論的な入れ子世界に
主人公が取り込まれてしまう話である
(最近の映画(もう古い?)「インセプション」の方が
イメージは近いのかもしれない)

そして意識としての自己と、存在としての私
同一性がゆらぐ日々を「意識」する混乱
どの世界かはわからないが時間の方向性だけが意識の作用を規定する
というようなことを著者は書いているが
今いるこの世界はどの次元に属しているのか
いや、無限に平衡する世界のどの時間軸の上にいるのか
違う時間軸の世界の私は私なのか
今こそが最も不安である・・

PS.と書いたが「今」以外に私の意識は存在しないので
「今」以外に不安な時制はない・・・・
自分と世界の包含関係もあいまいで
最後にはQue sera seraしかないのだろうな


いろいろ考えさせられる内容ではあった

以下は、自分自身の便利のために

村上春樹長編リスト(Wikipediaより)
風の歌を聴け (1979年『群像』6月号)
1973年のピンボール (1980年『群像』3月号)
羊をめぐる冒険 (1982年『群像』8月号)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985年6月 新潮社・純文学書き下ろし特別作品)
ノルウェイの森 (1987年9月 講談社より書き下ろし)
ダンス・ダンス・ダンス (1988年10月 講談社より書き下ろし)
国境の南、太陽の西 (1992年10月 講談社より書き下ろし)
ねじまき鳥クロニクル (『新潮』1992年10月号~1993年8月号、1994年4月・1995年8月 新潮社より書き下ろし)
スプートニクの恋人 (1999年4月 講談社より書き下ろし)
海辺のカフカ (2002年9月 新潮社より書き下ろし)
アフターダーク (2004年9月 講談社より書き下ろし)
1Q84 BOOK 1 (2009年5月 新潮社より書き下ろし)
1Q84 BOOK 2 (2009年5月 新潮社より書き下ろし)
1Q84 BOOK 3 (2010年4月 新潮社より書き下ろし)
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ノーベル賞って意外と?

2010-12-14 22:30:00 | 科学
「プリオン説はほんとうか?」 って本当じゃないのね?!
プリオン説はほんとうか? (ブルーバックス)
福岡 伸一
講談社

「プリオン説はほんとうか?」 講談社ブルーバックス 福岡 伸一著 2005年発行

「生物と無生物のあいだ」でいかんなく発揮された福岡氏の科学裏面史
光を浴びた表向きとは違う真の科学者の悲劇
世渡りで成功を我がものとし名声を一身に浴びる者
しかし、発見された成果は本物だった・・

ところが、成果さえも疑わしい
いや、読む限り真っ黒ではないか

日本人はノーベル賞をあまりにも美化しすぎているのではないか
戦後、復興期に湯川、朝永氏の受賞がもたらした喜びが強すぎたのか
南部、益川、小林氏の受賞が遅すぎたことに
もっと疑問を呈し、その権威への疑いも必要であったのではないか

プルシナーがノーベル賞を取ったから
彼の「仮説」が正しいということの証明にはならない
そのことに説得力があるのはちょっと悲しいことではある


ノーベル賞をもらえない偉大な科学者に光を
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明日の私は、昨日の私ではない?

2010-12-13 21:59:28 | 科学
「生物と無生物のあいだ」 動的平衡で体がむずむずする?

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡 伸一
講談社

「生物と無生物のあいだ」福岡 伸一著 講談社現代新書 2007年発行

講演つながりで福岡伸一氏の本を
昨年、仕事の関係でその講演を聴く機会があった
とても穏やかにしっとりと語られる言葉には
諄諄と人の心に語りかけ説得する力がこめられていて
本の語り口そのままという印象を持った

野口英世の再評価(しなければいけないのは日本人だけか?)
マリスとPCR、ワトソン&クリック、シェーンハイマーと砂上の楼閣などなど
ちょっと科学の裏面史もあり、当事者しか知りえない研究生活の苦闘
表現力豊かに読み物にした良書である
ベストセラーには訳がある、それがとても良くわかる本

ただ、本当に分子が入れ替わるの?
そういうイメージをしただけで何か体がむずむずする

この最も不思議な生命と言うシステムは
しかし、最も普通に存在する平凡な私たちのことなのだと
そう気づかされ思いを新たにするのである


エピローグがとても良い
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分からないことは自明とする・・のはずるだ

2010-12-02 21:00:26 | 科学
「数学入門」の裏口入学


「無限を読みとく数学入門 世界と「私」をつなぐ数の物語」小島寛之著 角川ソフィア文庫 2009年

著者が改訂再販した本のようで
あとがきには
「しがない塾講師として失意の中で生きていた頃のぼくの怨念がこもっている。
諦めと後悔と嫉妬と羨望と、そしてそこはかとない夢と希望が詰まった青春の書」
とあるとおり、ちょっと数学に対して厳しい書き方のところがある
数学が語るのは所詮数学の領域であり
社会やヒトのあり方について数学ができることは・・

疑問に思っていたことが
その弱みとなる論理展開の齟齬などを解き明かして書かれている

最後の小説はほんとに著者の青春の回顧なのであろうか
ま評価は各々違うだろうが
私が感じていた疑問にストレートに応えてくれた良書である


うさぎとアキレスではどちらが速いのか
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ゲーデルの不完全性定理は中学生にもわかる!

2010-11-27 18:00:53 | 科学
「ゲーデル・不完全性定理」はブルーバックスのお手本


「ゲーデル・不完全性定理“理性の限界の発見”」 吉永良正著 講談社ブルーバックス 1992年発行

カバーの見返しに「ゲーデルの不完全性定理は中学生にもわかる!」と書いていある
「ゲーデルの不完全性定理がわかる中学生もいる!」の間違いではないかと思ったが
この本を読むと、どういう事態であったかを読んで理解することはできる
迎合すること無く数式もふんだんに用いて(遠慮気味なのかもしれません)
ゲーデルの登場とその業績が与えたもの
数学者にとってはその限界が示されるとともに、方法論としての生き残りが求められ
無限の神秘に圧倒される者にはさもありなんと・・

ゲーデル数によってIT社会に不可欠な道具が与えられ
これをもとに現実的業績の中に名声を残した数学者がいるかと思えば
ゲーデル本人は自らの宣言に対して理性の証明を再度果たそうとしてなのか
不遇な最期を遂げることになる

ポアンカレ予想の証明のために生涯をかけた数学者と
それを証明しながらストイックなまでの隠遁生活を送る数学者
数学が明晰に語るものは、数学的範疇の中であり
数式が現実の曖昧さや不明さにあふれた現実社会を描き切ることは
その使命ではないがゆえ不可能なのである
あたりまえのようなことだが
サブプライムローンやリーマンショックなど投機の予測を行う数学は
あえなく敗れ去っていく、それは常識的に考えて分かることだ
儲け続けることの無意味にこそ先に気づく必要があり
そこには数式は必要ないだろう・・

ゲーデルとは関係ない話になってしまった
思い込みと誤解による妄言のようにも思うけれど
どうなんでしょうか


ゲーデルの不完全性定理がわかる中年もいる?
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どんなに多そうに見える星の数でも有限個である

2010-11-26 22:12:07 | 科学
「「無限」の考察」は数学の世界のこと


「「無限」の考察」 足立恒雄著 講談社 2009年発行

とても分かりやすく「無限」とは何かが語られている
何よりも、現実の世界は無限を宿しているように見えるけれど
あるものは有限である
「無限」とは数学的概念であり用語なので
それを現実の諸相で語ることは常に誤解や矛盾を生む
そうしたことが平明に書かれていて
ページ数も少ない中でとても分かりやすい
これまで誤魔化され、曖昧だったものが明確になる良書である


「無限」は一般化できない?
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ゲーデルは何を求めていたのか

2010-11-25 21:10:18 | 科学
「ゲーデルの哲学」彼は神と同じ言葉で語れたのか


「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」 高橋昌一郎著 講談社現代新書 1466年発行

カントールの集合論とともに
ゲーデルの偉業に触れると数学と言うものの見え方が変わってくる
「見え方が変わる」のではなく、見えていなかったものが見えてくるのだろう

死ぬ前の26年間、ゲーデルは数学を離れ施行ぬ触れる毎日だったようだ
それは凡人にはわからない絶対零度の世界にであるようにも思える

ゲーデルの偉業をわかりやすくまとめ
かるそれぞれの時代のゲ―デルを紹介した入門書として良くできている


矛盾のない存在?存在こそが矛盾だが
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ポアンカレ予想と懸賞金

2010-11-24 21:05:30 | 科学
「ポアンカレ予想」 懸賞金を掛けた数学者、それを拒否した数学者


「ポアンカレ予想 世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者」 ジョージ・G・スピーロ著
永瀬 輝男,志摩 亜希子監修, 鍛原 多惠子, 坂井 星之, 塩原 通緒, 松井 信彦訳 早川書房 2007年発行

「ポアンカレ予想」を理解することが難しい
でも、ここに書かれた数学者たちの「暗闘」を読むのは面白い
不謹慎にして妥当性を欠く表現だと思うが
読んだ時にすぐ思いついた言葉がこれだった
証明したペレルマンは数学に明け暮れる貧しい日々を送りながら
その栄誉に与えられる100万ドルの賞金を受け取らなかった
そういう逸話だけでも読みたくなる
賞金のために証明したのではない、という綺麗事だけではない
そこにはもう少しひずんだ世界も垣間見えるのだろうか

トポロジーという言葉を覚えたのは
中学の頃に図書館で借りたライフ社のサイエンスライブラリー・コンパクト版で
このシリーズでアインシュタインの「e=mc2」の式などを知ったのだった
私にとって大変刺激的なシリーズだった・・はさておき

数多の数学者が挑戦しかなえられず
ロシアの天才数学者ペレルマンが証明するまで
数学に暗いものにも面白く(数学ぬ暗い方が面白く)読める本であり
読み終わった後
頭の中をいびつになったベーグルがぐるぐる回って離れなくなる
そういう本です


宇宙に大きな穴があいているのか?
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ゲーデルの不完全性定理はやはり難しい

2010-11-23 22:00:00 | 科学
「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理」


「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理(数学ガールシリーズ 3) 」 結城 浩(著) ソフトバンククリエイティブ 2009年

ゲーデルの第二不完全性定理とは
「ある条件を満たす形式的体系には、自己の無矛盾性を表現する文の形式的証明は存在しない」
だそうである
このことが「理性の限界を数学的に証明した・・」のかどうか
ここではしかし、数学者としての「理性」が苦しい言い訳をしている
「ゲーデルの第二不完全性定理は≪数学そのもの≫に関する定理ではない。あくまで≪ある条件を満たす形式的体系≫に関する定理だ」「第二不完全性定理があったとしても実際の数学は困らない・・・」と語る
そうなの?
「数学」が間違っているわけではない
しかしそこには限界がある
とういうことではないのか・・

ここで説明される不完全性定理の証明にはとてもついていけない
だから、ゲーデルの語ったことを理解しているとはいえない
けれど、直感的にそれは理解可能だ

ゲーデルの証明に至るために作ったゲーデル数が
今のコンピューターの暗号化に大きな影響を与えているとか聞いたことがある
世界は矛盾だらけなのだから
このぐらいのことで驚くにいたらない・・とうそぶいてい見る


この証明がわかったら・・夢のような話だが・・
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数学系女子は「数女」?

2010-11-22 17:18:13 | 科学
「数学ガール」 数学の強い女子に憧れる


「数学ガール」 結城 浩(著) ソフトバンククリエイティブ 2007年

「数学ガール」という本が本屋の店頭に平積みになっていた
はじめはシリーズの3冊だけだったが
今ではコミックのシリーズや解説書まで一緒に並んでいる

もともとは著者のホームページに書かれていたものがまとめられ
1冊の本になったらしい(WEB版数学ガールはこちらです)

よく分からないけれど数学ものが好きで読んでいる
タイトルにそそられて買ったけれども
その数式はほとんど理解できない・・けれど幾つかの感想を持った

数学は意外とアナログなのだな
そして、正しいけれど「いんちき」に見える
世界はすべて有限で語られるもので「無限」は実在しない
数学の証明は自ら行った定義の中でしか答えが導かれない
マッチポンプな領域ではないのか
何をいい加減なことを好き勝手にと思われ
まあ、数学が好きな方、本当に数学を学び研究している方には
負け犬の遠吠えとしか聞こえない感想だと思うが
そういう感想を持ったことでいささかすっきりとした


次はゲーデルの不完全性定理編へ
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