最近、何十年も会っていない知人の夢を見るようになった。
虫の知らせかと思い、新聞の死亡欄を見るが、知った名前は出ていない。
ほっとすると同時に、何か気の抜けたような感じになる。
この歳になると、いつ死んでもいいと思っているが、生きている以上は生きねばならない。ものを食い、排せつをし、ものを考える。70歳過ぎても、学ぶべきことは多いが、自分の得られる知識など博覧強記の偉人に比べれば、所詮高が知れている。それでも、本を読み、YouTubeを見、ブログを読んで老化しつつある脳に刺激を与えている。
人間は、なぜ善も悪も為すことができるのか。神は悪を為した人間を罰するというが、おかしな話だ。全能の神であれば、人間に悪を為すことが出来ないように造ることも可能なはずだ。しかし神はそうせず、人間を善も悪も為すことができるようにした。すべてを人間にまかせ、神は見ているだけに徹したのだ。そうでなければ、この世にこれほどの不幸が溢れるはずがない。神は無慈悲なのだ。では神は人間に何を望むのか。それはただ経験すること、人間が死ぬまでに様々な経験をし、自分の一生を体験させること、それが神の望むことだ。だから神は、悪を為した人間を罰したりはしない。神は人間にすべての可能性を与え、善を為すことも悪を為すことも己の責任とし、見ているだけなのだ。