先日、1年ぶりくらいの人と会っていたのです。
お茶をしたり、ご飯を食べたり、
結局は山ほど積もる話をしていたのですが、その間
『どれがいい?』とか
『どうしたい?』とか
『そういうんなら、そうかもしれないなぁ』だとか
誰かといるときに、そんな選択肢や発言権を与えられているのが
とても久しぶりだったことに気づいたのです。
そういう生活を、
ずいぶん当たり前に受け入れてきたのだと、気づいたのです。
特別疑問にも思わずにいたし、もちろん納得してきたのだけれど
もしかすると、そうでもなかったのだろうか。
すごくすごく、嬉しかったのです。
「朋は」どうしたい、どう思う、と、
無邪気に聞かれた、ただ、それだけのことが。
それに、気づいたことも。
やっぱり、わたしはわたし、なのかなぁ。
確かめたいような気がして
もう一度、話してみようかなぁとも思ったけど
混乱するのが怖いので蓋をしてあるのだけれど(笑)
頭を使いたくなくて、この週末は
簡単に読めそうな、
でもなかなか良さそうな『食堂かたつむり』を読む予定です。
お茶をしたり、ご飯を食べたり、
結局は山ほど積もる話をしていたのですが、その間
『どれがいい?』とか
『どうしたい?』とか
『そういうんなら、そうかもしれないなぁ』だとか
誰かといるときに、そんな選択肢や発言権を与えられているのが
とても久しぶりだったことに気づいたのです。
そういう生活を、
ずいぶん当たり前に受け入れてきたのだと、気づいたのです。
特別疑問にも思わずにいたし、もちろん納得してきたのだけれど
もしかすると、そうでもなかったのだろうか。
すごくすごく、嬉しかったのです。
「朋は」どうしたい、どう思う、と、
無邪気に聞かれた、ただ、それだけのことが。
それに、気づいたことも。
やっぱり、わたしはわたし、なのかなぁ。
確かめたいような気がして
もう一度、話してみようかなぁとも思ったけど
混乱するのが怖いので蓋をしてあるのだけれど(笑)
頭を使いたくなくて、この週末は
簡単に読めそうな、
でもなかなか良さそうな『食堂かたつむり』を読む予定です。