よくないことを、した。
そして、私はしっかり分別ある大人になってから
この手の同じことを、繰り返している。(もはや誰にも情けなくて言えない・苦笑)
しかも、よくないこと、に対しての罪悪感ではなく
これでいいんじゃないの、とか
しょうがないのだから、だとかいう自分の考えの方に、
何日も眠れないようなダメージを受けている。
子どものころの、後ろめたい何かは
なぜかしっかりバレていていたり
見つからず叱られなくてもどこか落ち着かず
「神さまが、見ている」という抑止力、畏れがあった。
神さまは自分の中にいた。
誰にも叱られず、自分もどこかで許してしまう
大人の曖昧な罪悪感は、
何に対しての罪の意識なのだろう。
「神さまは、見ている」と思っても
手を伸ばさずにはいられないことがある。
神さまは、自分でないどこかで見ているけれど、
もう、止めてはくれなくなってしまった。
内緒で遊んだ花火のあと、すまして帰った玄関先で
仁王立ちで待つ父が大きくお尻をはたいたように
神さまは、いつか、驚くような大きな声で
私に「大ばか者!」と、叱ってくれるのだろうか。
そのとき、すっかり大人になった私は
私が悪かったです、もうしません、ごめんなさいと、
私の内側に向かって、心から素直につぶやくことができるだろうか。
そして、私はしっかり分別ある大人になってから
この手の同じことを、繰り返している。(もはや誰にも情けなくて言えない・苦笑)
しかも、よくないこと、に対しての罪悪感ではなく
これでいいんじゃないの、とか
しょうがないのだから、だとかいう自分の考えの方に、
何日も眠れないようなダメージを受けている。
子どものころの、後ろめたい何かは
なぜかしっかりバレていていたり
見つからず叱られなくてもどこか落ち着かず
「神さまが、見ている」という抑止力、畏れがあった。
神さまは自分の中にいた。
誰にも叱られず、自分もどこかで許してしまう
大人の曖昧な罪悪感は、
何に対しての罪の意識なのだろう。
「神さまは、見ている」と思っても
手を伸ばさずにはいられないことがある。
神さまは、自分でないどこかで見ているけれど、
もう、止めてはくれなくなってしまった。
内緒で遊んだ花火のあと、すまして帰った玄関先で
仁王立ちで待つ父が大きくお尻をはたいたように
神さまは、いつか、驚くような大きな声で
私に「大ばか者!」と、叱ってくれるのだろうか。
そのとき、すっかり大人になった私は
私が悪かったです、もうしません、ごめんなさいと、
私の内側に向かって、心から素直につぶやくことができるだろうか。
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