「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月22日
竹の担架にしばりつけられた中国兵の死体については、これまでも幾度か書いてきた。12月13日からこのかた、わが家の近くに転がったままだ。死体を葬るか、さもなければ埋葬許可をくれと、日本大使館に抗議もし、請願もしてきたが、糠に釘だった。依然として同じ場所にある。しばっていた縄が切れて、竹の担架が2メートルほど先に転がっただけだ。いったいどうしてこんなことをするのか、理解に苦しむ。
日本は、ヨーロッパ列強とならぶ大国だと認められたい、そのように扱われたいと望んでいる。だが、その一方で、こういう粗雑さ、野蛮さ、残忍さを見せつけているのだ。これではまるでチンギス=ハーンの軍隊と変わらないではないか。もう、これ以上、この哀れな男の埋葬を気にかけるのはやめることにした。ただ、時々、死んだまま、あの兵士がまだこの世をさまよっていることを思い出すことにしよう。・・・・・・
マギーがまたしても悪い知らせを持ってきた。日本兵が食用の家畜をつかまえ、手当たり次第手に入れているというのだ。近頃は、中国人の若者を使って豚をつかまえさせている。なかなかつかまえられなかったり、全然つかまえることができなかった若者は、銃剣で突き殺された。なかの一人は内臓がはみ出して垂れ下がっていたという。
これはみな目撃した人の話だ。こんなことばかり聞かされていると、気分が悪くなってくる。そうだ、日本軍は犯罪者の寄せ集めだと思えばいいんだ。ふつうの人間にこんなことができるはずがない。
今日、トラックが数台、南の方からやってきて、下関(シャーカン)へ向かっていった。どれも中国兵で満員だ。おそらく捕虜だろう。ここと蕪湖の間でつかまって揚子江のほとりで処刑されることになっているのだ。
高玉がやってきた。この人は総領事館警察の責任者だが、そのまま日本大使館付きになっていた。私は車を一台工面してやったことがある。徴用証書をもらおうとすると、署名する代わりに無言でそれをポケットにねじ込んだ。がっかりした。 高玉は、以前はいつも青い制服を着ていて、それがよく似合っていたが、今は平服だ。南京で撮影された空中戦や墜落した日本機の写真を探している。半官の写真代理店が撮った写真が何枚かあって、一枚一ドルで買うことができる。なかに日本人パイロットが16人写っているのがあった。墜落して中国の捕虜になったのだが、丁重に扱われ、きちんとした待遇を受けていた。 高玉によると、この中に友人がいるそうだ。捕虜たちの名前を聞いたが、知らない名前だった。その後どうなったのか、とても関心を持っているらしく、詳しいことを教えてくれと言った。
そういわれてもどうしようもない。何も知らないのだ。たとえ何か知っていたとしても、発言には十分気をつけたことだろう。日本軍将校は(パイロットの中には将校もいた)捕虜になるとハラキリしなければならない、と福田書記官が言っていたからだ。捕虜になること自体、許されないという。そんなことに関わりたくない。もっとも、ここでさんざん残虐なことをしたやつらがハラキリしようと知ったことではないがね。
人呼んでパパ・シュペアリング、つまり委員会警察委員のシュペアリングは、我々が大使館にあてて報告書を書くのをずっと横で見ていた。そのうち、自分もひとつ書いてみようという気になったようだ。・・・・・・・・・
だが、誰しも生まれついての作家ではない。それにしても彼の書いたものはあまり素晴らしいとは言えないが。私は下書きを見せられた。けれども、だめだというのはしのびない。ま、いいだろう。おびえて震えている母親に抱かれた子ども、娘を乱暴しようと裸になっていた兵隊の話なども報告してもらうことにしよう。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月22日 土曜日
今日は寒いが晴天だ。キャンパスのすぐ近くにあるかなりの数の若い避難民たちは、今では昼間は帰宅して夜間は戻ってきている。今日私が話を交わした日本兵は、2月には平和になって全員が帰宅できるようになると思う、と言っていた。
今朝手紙をタイプしてもらおうと思っていたとき、4人の男性がやってきた。将校一人と兵士3人だ。兵士の一人は英語を話した。神戸のミッションースクールで学んだ、と言っていた。クリスチャンなのかと尋ねると、彼は、自分はそうではないが、妻はクリスチャンで、2人の娘はミッションースクールに通っている、と答えた。彼が将校の通訳をした。まず最初に将校は、南京で起こった様々な事件について申し訳なく思っている、状況はまもなくよくなると思う、と言った。李さんと王さんが4人の視察の案内をし、その後私の執務室に戻ってきたので、お茶を出した。キャンパスに兵士は来るのか、と将校に尋ねられたので、よい機会だとばかりに、今日は誰も来なかったが、昨日は4人の兵士がやってきて、少女3人を連れ去ろうとしたことを話した。南京特務機関にこの件を報告するよう将校から求められ、午後、報告することができた。(これに先立って若い将校が中国人少女2人を連れてきて、ここの避難民収容所に置いてほしい、と言った。本当は引き取りたくはなかったが、どのように断ったらよいのかわからなかった。24歳の女性は、かつて私たちのミッションースクールの生徒だったことがあり、ギッシュ先生とケリー先生を知っていた。この件については、あとで補足したいと思う。)
正午、昼食をとり始めてすぐに、上海からの食料品の包みと分厚い手紙の束ー12月13日以後に書き送った手紙への初めての返事ーを受け取った。夕食後、スタッフ全員に手紙を読んで聞かせたが、みな、外界から情報を得て、それこそ大喜びだった。・・・・・・・
私たちほとんどの者が数時間かけて手紙を書き、6時までに私がそれをアメリカ大使館に持って言った。手紙は明日軍用列車で上海に運ばれる。ドイツ人のクレーガーが持って行ってくれることになっている。彼は、12月13日のあとすぐに南京を離れた4人の外国人記者を除けば、南京が陥落して以来、ここから脱出する最初の住民である。外界からほとんど情報が入らず、情報を送り出す手段も持たずにこの地に37日間も閉じ込められていることを想像してもらいたい。
たしかに、少なくとも安全区では状況はよくなってきている。夜のあの恐怖はもはや味わわなくてもよいし、窓には今も厚いカーテンをかけているが、とにかく、その両端を鋲で留めることはないし、ロウソクを使用することもない。
午後、ジョン・マギーが無線による情報を持ってやってきた。
「Imagine9」解説【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」 この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
1月22日
竹の担架にしばりつけられた中国兵の死体については、これまでも幾度か書いてきた。12月13日からこのかた、わが家の近くに転がったままだ。死体を葬るか、さもなければ埋葬許可をくれと、日本大使館に抗議もし、請願もしてきたが、糠に釘だった。依然として同じ場所にある。しばっていた縄が切れて、竹の担架が2メートルほど先に転がっただけだ。いったいどうしてこんなことをするのか、理解に苦しむ。
日本は、ヨーロッパ列強とならぶ大国だと認められたい、そのように扱われたいと望んでいる。だが、その一方で、こういう粗雑さ、野蛮さ、残忍さを見せつけているのだ。これではまるでチンギス=ハーンの軍隊と変わらないではないか。もう、これ以上、この哀れな男の埋葬を気にかけるのはやめることにした。ただ、時々、死んだまま、あの兵士がまだこの世をさまよっていることを思い出すことにしよう。・・・・・・
マギーがまたしても悪い知らせを持ってきた。日本兵が食用の家畜をつかまえ、手当たり次第手に入れているというのだ。近頃は、中国人の若者を使って豚をつかまえさせている。なかなかつかまえられなかったり、全然つかまえることができなかった若者は、銃剣で突き殺された。なかの一人は内臓がはみ出して垂れ下がっていたという。
これはみな目撃した人の話だ。こんなことばかり聞かされていると、気分が悪くなってくる。そうだ、日本軍は犯罪者の寄せ集めだと思えばいいんだ。ふつうの人間にこんなことができるはずがない。
今日、トラックが数台、南の方からやってきて、下関(シャーカン)へ向かっていった。どれも中国兵で満員だ。おそらく捕虜だろう。ここと蕪湖の間でつかまって揚子江のほとりで処刑されることになっているのだ。
高玉がやってきた。この人は総領事館警察の責任者だが、そのまま日本大使館付きになっていた。私は車を一台工面してやったことがある。徴用証書をもらおうとすると、署名する代わりに無言でそれをポケットにねじ込んだ。がっかりした。 高玉は、以前はいつも青い制服を着ていて、それがよく似合っていたが、今は平服だ。南京で撮影された空中戦や墜落した日本機の写真を探している。半官の写真代理店が撮った写真が何枚かあって、一枚一ドルで買うことができる。なかに日本人パイロットが16人写っているのがあった。墜落して中国の捕虜になったのだが、丁重に扱われ、きちんとした待遇を受けていた。 高玉によると、この中に友人がいるそうだ。捕虜たちの名前を聞いたが、知らない名前だった。その後どうなったのか、とても関心を持っているらしく、詳しいことを教えてくれと言った。
そういわれてもどうしようもない。何も知らないのだ。たとえ何か知っていたとしても、発言には十分気をつけたことだろう。日本軍将校は(パイロットの中には将校もいた)捕虜になるとハラキリしなければならない、と福田書記官が言っていたからだ。捕虜になること自体、許されないという。そんなことに関わりたくない。もっとも、ここでさんざん残虐なことをしたやつらがハラキリしようと知ったことではないがね。
人呼んでパパ・シュペアリング、つまり委員会警察委員のシュペアリングは、我々が大使館にあてて報告書を書くのをずっと横で見ていた。そのうち、自分もひとつ書いてみようという気になったようだ。・・・・・・・・・
だが、誰しも生まれついての作家ではない。それにしても彼の書いたものはあまり素晴らしいとは言えないが。私は下書きを見せられた。けれども、だめだというのはしのびない。ま、いいだろう。おびえて震えている母親に抱かれた子ども、娘を乱暴しようと裸になっていた兵隊の話なども報告してもらうことにしよう。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月22日 土曜日
今日は寒いが晴天だ。キャンパスのすぐ近くにあるかなりの数の若い避難民たちは、今では昼間は帰宅して夜間は戻ってきている。今日私が話を交わした日本兵は、2月には平和になって全員が帰宅できるようになると思う、と言っていた。
今朝手紙をタイプしてもらおうと思っていたとき、4人の男性がやってきた。将校一人と兵士3人だ。兵士の一人は英語を話した。神戸のミッションースクールで学んだ、と言っていた。クリスチャンなのかと尋ねると、彼は、自分はそうではないが、妻はクリスチャンで、2人の娘はミッションースクールに通っている、と答えた。彼が将校の通訳をした。まず最初に将校は、南京で起こった様々な事件について申し訳なく思っている、状況はまもなくよくなると思う、と言った。李さんと王さんが4人の視察の案内をし、その後私の執務室に戻ってきたので、お茶を出した。キャンパスに兵士は来るのか、と将校に尋ねられたので、よい機会だとばかりに、今日は誰も来なかったが、昨日は4人の兵士がやってきて、少女3人を連れ去ろうとしたことを話した。南京特務機関にこの件を報告するよう将校から求められ、午後、報告することができた。(これに先立って若い将校が中国人少女2人を連れてきて、ここの避難民収容所に置いてほしい、と言った。本当は引き取りたくはなかったが、どのように断ったらよいのかわからなかった。24歳の女性は、かつて私たちのミッションースクールの生徒だったことがあり、ギッシュ先生とケリー先生を知っていた。この件については、あとで補足したいと思う。)
正午、昼食をとり始めてすぐに、上海からの食料品の包みと分厚い手紙の束ー12月13日以後に書き送った手紙への初めての返事ーを受け取った。夕食後、スタッフ全員に手紙を読んで聞かせたが、みな、外界から情報を得て、それこそ大喜びだった。・・・・・・・
私たちほとんどの者が数時間かけて手紙を書き、6時までに私がそれをアメリカ大使館に持って言った。手紙は明日軍用列車で上海に運ばれる。ドイツ人のクレーガーが持って行ってくれることになっている。彼は、12月13日のあとすぐに南京を離れた4人の外国人記者を除けば、南京が陥落して以来、ここから脱出する最初の住民である。外界からほとんど情報が入らず、情報を送り出す手段も持たずにこの地に37日間も閉じ込められていることを想像してもらいたい。
たしかに、少なくとも安全区では状況はよくなってきている。夜のあの恐怖はもはや味わわなくてもよいし、窓には今も厚いカーテンをかけているが、とにかく、その両端を鋲で留めることはないし、ロウソクを使用することもない。
午後、ジョン・マギーが無線による情報を持ってやってきた。
「Imagine9」解説【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」 この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。