1938年 南京 1月29日

2009-01-28 21:34:36 | Weblog

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月29日
 プリドー=ブリュン・イギリス領事とフィッチが今朝9時にビー号で出発した。私の日記帳もお供した。フィッチが近いうちに戻れるなどと、誰も信じていない。日本人との緊張感は日増しに高まっている。委員会を解散して、新たに救済委員会を組織し、新しい自治委員会と協力するようにしたほうがいいかもしれない。目下真剣に検討しているところだ。
 日本軍と協力しようと私は口を酸っぱくして言っているが、アメリカ人は反対だ。委員会が賛成してもいないのに日本側と交渉するわけにはいかない。それに向こうが同意するかどうかも全くわからないのだから。ひょっとするともう遅すぎるのかもしれない。時機を逸してしまったのではないだろうか。
 そうかといって、脅した通り、日本軍が2月4日に難民を強制的に立ち退かせて収容所に入れ、この前の赤十字病院の伝で立ち入り禁止にしてしまったら、我々は手も足も出ない。
 ドイツ大使館は日本軍から覚書を受け取った。そこには、難民に対するさまざまな援助には感謝しているが、2月4日に収容所を閉鎖するように、とあった。私は会議を開いて、それぞれの大使館に次のことを確認、ないしは調べてもらうことにした。


1、日本は、外国人の土地、もしくは外国人の家にある収容所からも難民を立ち退かせることができるのか?(収容所のかなりの数がアメリカ人の土地にある。ジーメンス・キャンプといわれるラーベの収容所もその対象になる。ドイツ人の庭にあるからだ)
2、もっと多くの難民を受け入れても良いのだろうか?
3、我々の立場を明らかにするまで、各大使館に本件に関する日本側への返事を待ってもらいたい。


 マギーが8歳と4歳の少女を見つけた。親族は11人だったというが、残らず残忍な殺され方をしていた。近所の人々に救け出されるまでの14日間、母親の亡骸のそばにいたという話だ。姉娘が家に残っていたわずかな米を炊いて、どうにか食いつないでいたという。

 

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月29日 土曜日
 今日は雪が降っているが、寒くはない。旧正月の準備が何のわずらいもなく進められそうだ。期待感が漂っている。値段は例年になく高いが、通りには食料品がいつもよりもたくさん出回っている。
 午前中、新たな手紙と、わたし用の『アトランティック』誌1月号の他に『クリスチャン・センチュリー』誌12月号数部も届けられた。アメリカからの私宛の郵便物はどこに行ってしまったのだろうか。私は、南京の郵便局を信用していない。
 今日は程先生、王さん、薜さんと私とで4時間かけて、国際委員会に提出できるよう用紙に所定事項を記入した。最も困窮している避難民たちが上海及び国外からの救援基金による援助を受けられるかどうかは、私たちの勧告いかんによるのだ。幼い子どもを持つ女性についての私たちの所見は、多くが次のように書かれている。「夫が戻ってくれば何の問題はない。戻らない場合は、3月1日から6月30日まで金陵女子文理学院が運営する職業訓練学校または家政学校に入学させる。」多くの女性については、中国西部にいる夫と連絡がとれるまで小額の貸付金を借りることを勧める。一部の女性については、再出発するための援助金として5ドルを全額贈与する。彼女たちの再自立をどのように支援したらよいか知るのは難しい。女子学院には社会学部があり、社会学の専攻者いればよいのだが。
 程先生と私は、野菜・食料油・米を材料とする、明日旧暦大晦日の夕食の無料米グループ向け料理について最終の打ち合わせをした。交付された資金でこうした食事が約10回分提供できるはずであり、健康維持に多少とも役立つだろう。
 今日は兵士にも将校にも会っていない。というわけで、状況が変化したことがわかる。
 以前、金陵女子文理学院で働いていた手伝いの女性が農村から出てきて、14歳と18歳の女の子2人を引き取ってほしいと懇請した。彼女の話では、農村地域での状況はいまなお非常に悪く、兵士たちがありとあらゆるものを持ち去り、若い女性たちはいつも危険にさらされているそうだ。外国人が南京城外に出ることはまだ許されていないので、彼女が責任を持って少女を変装させ、何とか連れてくることになる。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 午後、紅卍字会会長の張南武が私に話してくれたところによれば、同会は2000体を埋葬したそうだ。彼に、寺院付近にある焼け焦げの死体を埋葬してほしいと懇請した。彼らの亡霊が絶えず私の前にあらわれる。

 


「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)

 

・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)

 

・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)

 

・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)

 

・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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1938年 南京 1月28日

2009-01-28 14:06:22 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月28日
 フィッチが今日、何の前触れもなく田中領事から上海へ行く許可をもらった。イギリスの砲艦ビーで行き、6日後にアメリカの砲艦オアフで戻ると言っている。なんだか妙な話だ。証明書とか旅券、あるいはそういうたぐいのものを一切よこさないだけに、なおさら変な気がする。
 昨日の晩、福井氏に、フィッチのために上海へ行く許可をだしてもらえないかと言った時にはにべもなく断られたのに。ひょっとすると、昨日の件で、アメリカ人に対して弱腰になったのかもしれない。何しろアメリカと日本の間には、ここのところ、それからそれへと不愉快な事件が続いたから。昨日、アメリカ大使館の南京責任者、アリソン書記官が、なんと日本兵に横面を張られるという事件が起きた。直ちにこれはワシントンに報告され、今日、ロンドン発の最新ニュースとしてラジオが伝えたばかりだ。日本はアリソン氏に謝罪することはしたが、氏が日本語でけしからんことを言って兵士を怒らせたからだ、という立場をあくまでも崩そうとしない。

 それにしてもローゼンにも困ったものだ。昨日、一緒に街をまわった時、日本軍から配属された衛兵を連れて行こうとしなかったのだ。言葉を尽くして説得したがだめだった。この件はすぐに日本大使館に報告され、今日、私のところに次のような声明文が届けられた。
 南京にはなお平服の中国兵(便衣兵)がいる。日本兵は、疑わしい人物はすべて撃つよう、命令されている。それゆえ大使館員には日本人の衛兵が付き添い、保護することになっている・・・・ 
 おっと、ここで一言言わせてもらおう。もし本当にまだ便衣兵がいたとしても、絶対に我々外国人に手出しはしない。いまや我々が中国人を保護するために残ったのを知らない者はないからだ。
 難民収容所を2月4日に強制的に解体する、との通達。難民たちはいやおうなしに瓦礫の町へ戻らなければならない。泊まる所があろうがあるまいが知ったことか、というわけだ!惨憺たることになるのは目に見えている。
 だが、だからと言って手の施しようがないのだ。権力を握っているのは日本軍なのだから。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月28日 金曜日
 午前中いっぱい飛行機がさかんに飛んでいた。死と破壊を運ぶ重爆撃機が頭上を通って北西の方向へ飛んで行く。私たちには、中国全土が破壊されていくように思える。どんな運命が濾州府に降りかかったのだろうかと再三案じている。
 午前中、外界に出す手紙を書いて過ごした。今夜9時30分までにアメリカ大使館に持って行けば、アメリカ砲艦オアフ号で運んでもらえる。夜はキャンパスから出ないことにしているので、5時30分までには出かけよう。
 まるで何年間もー実際は12月12日以来だがー夜間の外出をしていないような気がする。

 午後、安全区内の地区長会議が「傀儡協会」ー陳さんが使っている名称だが、あまりにも的を射ているので変える必要がなさそうだーの本部に召集された。日本軍将校一名が同席していた。発表された計画によれば、安全区の避難民は全員が2月4日までに帰宅し、安全区の街路に並ぶにわか露店はすべて同日以後は撤去しなければならない。城内の秩序は維持されることとされている。兵士が非行を働いた場合、通報に基づいて処罰できるようにする方策が練られてきた。兵士は制限区域に留まることとされており、私たちとしては、発表どおりにこれが実現することを切望している。
 城内の3つの慈善事業団体が、極貧の人々に米1000袋と2000ドルを配布することを計画している。私たちの要請に沿って女子学院には、無料米グループ向けの、つまり「赤札」グループ向けの野菜と食用油の調達費として200ドルが交付された。現在、このグループは、子どもを含めておよそ1000人を数える。
 午前10時ごろ、大きな封筒に入った郵便物が校門に届けられた。外国船で上海から運ばれてきたものだ。私たちは、友人たちの消息をどんなに渇望していることか。夕食後、程先生の居間で、私たち一同宛の手紙や、誰にとっても興味深いような手紙を読み、ちょっとしたパーティとなった。これまでのところ、外国郵便は全く来ていない。

 難民の中には、盲目の少女が4人いて、現在、彼女たちは程先生の寄宿舎で生活している。とても明るくひたむきな少女たちで、私たちが会いに行くのを待ち焦がれている。今では、足音を聞いただけで私たちだとわかるほどだ。土曜日の午後の礼拝に彼女たちを連れて行ったところ、それ以来、主の祈りの文章の意味を質問してくる。いつか彼女たちを上海の盲人学校に行かせることができるといいのだが。
 避難民家族を受け入れて以来、8時30分には電燈が消えるので、夜の長い時間はロウソクかカンテラの明かりで書き物をしている。安全区内のいくつかの地域では市の電力供給が復旧している。市営水道の給水も、少なくとも安全区内では再開されている。電話はまだ通じていない。 夕方・・・・・・


「Imagine9」解説【合同出版】より



9条がゆきわたった世界


 「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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