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アジア太平洋戦争

2009-04-22 11:20:59 | Weblog

まもなく4月29日の「昭和の日」を迎える。これが、本当に国民の祝日であっていいのか、日本人は考えなければならないと思う。

 1930年代の中国における戦争は、日本の一方的な侵略戦争あった。
その当時の憲法は大日本帝国憲法であった。日本は大日本帝国と呼ばれていた。時の天皇は昭和天皇であった。その憲法には次のように書いてある。
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
・・・・・・

天皇が軍の最高責任者である。日中戦争に限らず、アジア・太平洋戦争の戦争を始めたのも終わりにしたのも昭和天皇である。その天皇の誕生日を祝日として祝うということはあの戦争で犠牲になった大勢のアジアの人々や日本の国民にとっていかがなものだろうか?

 

『未来をひらく歴史』(日・中・韓=共同編集 第2版 高文研)より

 日本の侵略戦争

2、アジア太平洋戦争

 日中戦争に行き詰った日本が、どのようにアジア太平洋戦争に突入していったのか、その原因を考えてみましょう。


 第二次世界大戦の一環となる

 
 日本に続いてドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告したので、戦争は文字通り第二次世界大戦となりました。
 長期にわたり戦争を計画、準備してきた日本軍は、イギリス軍やアメリカ軍がヨーロッパの戦争を優先して戦闘準備が整っていなかったため、両国の軍隊を次々と攻撃して撤退させ、開戦後半年のうちに、イギリス領のマレー半島・香港・シンガポール・ビルマ(現ミャンマー)、オランダ領東インド(現インドネシア)、アメリカ領のフィリピンなど、東南アジア、南太平洋の一帯を占領して軍事支配化に置きました。


 

 「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編      加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
江辺、下関埠頭、挹江門、三汊河一帯での集団虐殺

 孫歩方(男、64歳)の証言 

 (昨日の続き)私が日本軍にくっついて和記洋行から出て、煤炭港の汽車を渡す船の埠頭を抜けて行くと、銃器や弾薬、軍用の糧食に被服、民間の財物などが山と積まれていて、誰も関与する者がいないのでした。煤炭港の渡し船埠頭を通り越した途端、全く驚かされたことには、死体があちらにもこちらにもごろごろしていて、首が斬られてぶら下がっているものもあり、身2つになっているのもあり、腕を切られたり腿を切られたりしているのもありで、死人が死人を押し付けているのでした。煤炭港から駅の方へ行くと、敵軍が9人軍刀で人を斬っているところで、2人の人の頚が斬られて2つになっているのを、日本の将校がハッハッハと大笑いしているのでした。下関駅の近くの広場でも、殺された人は似たように状態で、何十匹もの軍馬も難を免れてはいませんでした。私はこんなにも凄惨な場景を見て、すごく恐くなりました。夢中でくっついて行き、下関駅を抜けて、挹江門外のある湖の辺りの小学校の中まで行きました。この3人の日本軍は全く附いてなくて、ここに日本軍が10人足らず泊まっていて、3人が来たら出発しようと待っていたのですが、門から入ったところで上官に出くわし、3人とも2つずつ物すごい横びんたをなぐられ、又くどくど何か話した後、出発となりました。私はこの様子を見たので、馬を3人に渡して、又和記洋行に帰ろうとしたところが、何と1人1人に打たれ、腹いせが私の頭上にかかってきて、3度も物すごく横びんたをなぐられ、付いて行かされてしまいました。
 10何人かの日本軍が、私というこの馬をひいた子どもを連れて、学校から出、挹江門の方向へ前進しました。道路はどこも昨日虐殺された死体ばっかしで、血がまだ地上に流れていたり、崩れて頭だかなんだか分からなくなっているのがあったりで、そんなのがごろごろ転がっていました。挹江門まで来た時、城門の高殿はもう焼かれてしまっていながら、城壁の上からは死体が幾つか縄で吊り下げられているのが見えました。挹江門を入ると、道に沿って少なくない死体があり、海軍部の門まで来たら、又もや一面の死体で、血が流れ流れて、道路が真っ赤に染まっていました。その日私は江辺で列にもぐり込んだ時に拾った白力士(パイレックス)の靴を履いていたのですが、たちまちの内に赤力士の靴になってしまいました。(続く)


   

  
「Imagine9」【合同出版】より


MESSAGE(メッセージ)


環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。

人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。

あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。


ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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