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夏淑琴さん来日!!

2009-07-05 07:07:39 | Weblog
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●(転載)(夏淑琴 【か・しゅくきん】さん名誉毀損裁判)
皆さんのご支援のおかげで
今年の2月に最高裁で完全勝利を勝ち取ることができました。
皆さんとこの素晴らしい勝利をお祝いしたいと思いますので
ぜひぜひご参加ください。

夏さんや南京の弁護士、笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。

夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!
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夏淑琴さん名誉毀損裁判
 大勝利記念集会のお知らせ

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南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、今年の2月5日、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、最高裁での勝利が確定しました。
 この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、勝利報告集会を開催いたします。
 ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、そして勝利をお祝いしたいと思います。

 いよいよ今日です!!
■日時 7月5日(日)午後1時30分~4時30分
■場所:
江東区豊洲文化センター  第5・第6会議室

  ※地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
■参加費 800円
■お問い合せ 事務局・荒川 090-3801-7184


▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
 1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの家族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺しされました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、妹とともに、奇跡的な生還を遂げました。
▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
 南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しました。
 この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。東中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
 この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払い命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を起こします。
 この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。
▽判決の内容
 一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に対し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
 しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言っても過言ではない」と厳しく断じている点です。
 二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したことにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。

「日の丸」・「君が代」反対!!
上田埼玉県知事がこんな発言をしている!!
「国旗・国歌、嫌いなら辞めよ」=起立しない教員に-上田埼玉知事
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
731部隊の主な事項史

1932年
2月5日
日本関東軍がハルピン占領。
8月
日本陸軍軍医学校に防疫研究室を設立。
石井四郎がハルピンから70キロ離れた五常県背蔭河(はいいんが)鎮に細菌実験工場を設置。
年末
石井四郎、軍医中佐に昇進

1933年
8月
日本軍、ハルピン市宣化街と文廟街地域に石井細菌研究所(石井部隊)を設置、別名「加茂部隊」
9月
背蔭河細菌工場で脱獄事件発生

1936年
8月
日本天皇、中国東北地区での2つの防疫部隊の設置(実際には細菌戦実験の実施)を陸軍参謀本部に命じる。この防疫部隊とはハルピン平房地区の「関東軍防疫給水部」-石井部隊と長春孟家屯の「関東軍獣類防疫部」-若松部隊のこと

1938年
6月30日
日本関東軍司令部参謀長が「関参命第1539号令《平房付近での特別軍事地区の設置の件》」を下す。これによって平房地区にある40幾つの村落が「特別軍事区」に指定され、地元農民たちを強制的に立退かせ、610ヘクタールの耕地を占用し、部隊本部の周囲半径2キロ範囲を「無人区」とした。
9月
石井部隊本部(平房)の建設ほぼ完成。「加茂部隊」が平房に移り、「東郷部隊」と改名。「加茂部隊」の元駐屯地は石井部隊第3部と改名。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

関東軍第731部隊(ハルピン) ・・・関東軍各師団防疫給水部

南京大虐殺    
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害
彭玉珍(女、67歳)の証言
 
1937年の冬月11日に、日本軍が南京を占領しました。ある日、白鷺洲河へおしめを洗いに行ったら、城壁の上にいた日本兵に見られ、私を狙って発砲してきました。急所には当たりませんでしたが、右腿を傷つけ、鮮血がほとばしり出て、動けませんでしたので、少しして夫の彭兆喜が救助し家に連れ帰ってくれました。この時から、私は右腿に障害ができたのです。(李美華と劉升孝などが記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。」
 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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