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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-07-29 07:12:02 | Weblog
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「日の丸」・「君が代」反対!!

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない
(昨日の続き)部隊に所属している時もいったん家に戻ると、妻にさえ隊内の"実験”については一切語らなかったし、それなりに自由になった戦後も一言も明かさず、身を隠すように生きてきた。
 私は時々思う。戦争なんてなければ、きっと私の青春は希望に満ちた時代だったと・・・・。しかし、私がそこで送った25歳から29歳という5年間は、どこにそんな生気にあふれた青年らしい生き方があったろうか。でも、もしかしたらもっと多感な時代であればこそ、その悲惨な事実を1つ1つ鮮明に記憶しているのかもしれないとも思う。

 石井隊長も、今生きていれば90歳(この本は1983年に発行されている。)を過ぎているし、当時の将官級の人たちもおそらく80の半ばに達しているだろう。そしてあと数年もすれば731部隊のことを語る者は、非常に少なくなり、記憶の呼び戻しにも困難をきわめるかもしれない。
 戦争の記憶とは、被害と加害の両方が記録されねばならないと言われて久しい。しかし、心優しい当たり前の人間たちが、国家という単なる所属の違いによっての殺し合いに動員されねばならなかった戦争を語る時、苦しくつらいけれど、「私は、いつ、どこで、何人の人間を、どうやって殺した」と静かに語らねば、本当の加害の記録にはならないのではないかと思ってきた。 (明日に続く)

※日中戦争自体(日本は戦争扱いを避け、事変とした)大義のない戦争であった。1937年7月、蘆溝橋でどちらの軍が先に発砲したかしないかで軍事衝突が起こり、これを機に日本軍は中国を侵略していくという戦争であった。支那軍の「暴戻(ぼうれい=あらあらしく人道に外れていること)」を膺懲(ようちょう=うちこらすこと)し、南京政府の反省を促すとしたが、それは大日本帝国が中国を支配におきたいと言う一念から出たのもではなかったか?国内では日本国民は優秀で、天皇が神であるとし、世界の国々を天皇を頂点にして帝国を作ろうとした。無理な話であった。そこに動員された人間も本当に悲惨な道を歩んだ。もちろん被害者はもっと悲惨な人生になってしまった。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)

関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部

華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部

華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部

華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部

南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部

関東軍第100部隊(長春)

    516部隊

   731部隊

   731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。 

   
化学兵器CAREみらい基金ブログ

   大久野島(毒ガス島)

   中国人戦争被害者の要求を支える会

   中帰連

南京大虐殺     
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱秀英(女、57歳)の証言
 
1937年の12月13日には、私は9歳でした。日本兵が入って来た時、母が私を連れて泥馬巷16号、旧の同義公染坊に隠れました。母が寝台の下に隠れたので、私もベッドの下にもぐろうとしたら、不意に日本兵が1人私の後頭部をつかみあげて、、銃剣を抜き、私の首に押し付けて殺そうとしたところを、ちょうど1人のお婆さんが見つけ、ひざまずいて命乞いしてくれたので、日本兵はやっと私を放ちました。明くる日の午前中に、私たち難民区へ行って隠れました。
 叔父は王宏富と言いましたが、日本軍に泥馬巷16号から笪橋市まで捕まって行って殺害されました。(王瑞屏と魏福仲が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界

戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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