クリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
傷もほとんどなおって、外出も許され、私はよく陸軍病院近くの遼陽白塔公園にでかけた。何層にも積み重ねられた塔がひときわくっきりそびえ、まわりには満州の国花でもある杏の花が、馥郁(ふくいく)と香っていた。信州で慣れ親しんだ杏より赤みが濃く、とりわけたそがれ時は妖しいまでに美しく、私はいっとき戦争の渦の中にあることを忘れたものである。
やがて、半年間にわたる病院生活が終って、私は原隊に復帰することになった。その時、原隊は黒龍江沿岸の黒河(コッカ)神武屯へ移動していた。昭和15年の3月頃だったと思う。
私はその時、上等兵になっていた。工業学校出身であったので、幹部候補生を志願することを勧められたが、私はどうしても軍隊で飯を食う気持ちにはなれなかった。乙種幹部候補生でも軍曹まではいけたが、その気にもなれなかった。
そして私は、予備役編入で兵長から伍長になったが、私の気持ちの中では、731部隊のことがいつも気になっていた。満期除隊で内地へ帰っても、いつ召集されるかわからない。内地へ帰って半月で戦場にひっぱり出される者もいたのだ。そんなことを思うたびに、私はハルピン病院での731部隊の斉藤さんから聞いた話が自分のなかで次第にふくらんでいくのを感じていた。好きな自動車の技術が生かせ、官舎もあるということ、それに召集の心配もないということであった。
日本人のすべてが、戦争に勝つためにまっしぐらに突き進んでいた時、私はこんなことを考えていたのだった。決して口になんて出していえないが、やはり戦争に勝つことと自分が生きることには矛盾があるように思えた。
私は悩んでいたのだった。 (明日に続く)
※ほとんどの日本人は戦争に召集されるのはいやだったと思う。そして平和な暮らしを望んでいたのではないのか?一部軍人に憧れ、天皇のために戦うことに意義を見出していた人以外は。
でも小さい時から「この国は神の国で、天皇が現人神である。そしてその天皇の下に世界を治める」と言うようなことを教え込まれた人たちは仕方なく軍隊に行ったのではないか。何のために戦争しているのかもはっきりとした意義を見出せずに。ただ天皇の帝国を作るために!!しかし大日本帝国が焦土と化し、徹底的に敗れた時、天皇は責任をうまく回避した!!天皇はその権力をうまく使って、マッカーサーにうまく取り入ったのだろう。片や洗脳されていたほとんどの日本人が天皇の戦争責任を追及できなかった!!現実問題としてはどうやってこれから生きていくかで(食糧難)で頭がそこまで回らなかっただろうし、戦前の特高のことを知っているので天皇を批判できなかったのだろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
汪昌海(男、60歳)の証言
日本軍が南京を占領した時、私はやっと14歳で、1937年の冬月に今の延安劇場のそばで酒を買っていた時に、突然日本兵を何人か見かけ、とても恐くて、うっかり酒の瓶を落としてしまいました。それで日本兵に見つかり、日本兵が1人私の口を一太刀突っついたので、今でも傷痕が残っています。そこで私は中国人がたくさん日本兵に殺害され、50人余りの死体がごろごろ転がっているのを見かけました。(李紅珠と馬瑞芳と楊鳳珍と鄭蘭芳が記録)
※日本兵が刀を持っていたことが分かる。日本刀が中国戦ではよく使われ、ちょっとしたことで中国の一般庶民がその被害にあっていたことが分かる!(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。
2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。