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今日は敗戦記念日!!

2009-08-15 06:20:52 | Weblog

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今日、8月15日は敗戦記念日!!
敗戦後64年を迎える!!
ブログを見ると、あの戦争を美化するブログの多いこと!!
未だ、日本はあの戦争を侵略戦争としてみない人がなんと多いことか!!
歴史研究がいろいろ進む中で、いろいろな事実が発見され、その侵略性がはっきりする中、マスメディアなどはそれを積極的に報道することなく、政治に介入され保守的になっていく感じがする。
 日の丸・君が代も当たり前のようにテレビで目立つように流され、式典では強制されている!!(特に教員)
 戦争当時の侵略のシンボル日の丸!、天皇を神格化する君が代!ドイツ・イタリアは戦争のことを国民自らが反省して、その旗・歌を変えたにもかかわらず、日本だけが反省していない感が強くある!!

日本人は戦争のことを反省せずに、その日の丸・君が代に戦前と同じように愛着をいだいているのか?
 疑問を強く感じる!!

 天皇裕仁が最後の戦果を期待することなく、国体(=天皇制)にこだわることなく敗戦を受け入れていれば、あの沖縄の激戦も、2発の原爆も、8月14日の大阪大空襲もその他の都市の空襲もなかったはずである!!

 その天皇はじめ皇族たちは戦犯として免責され、731部隊もいち早く中国から逃亡し、そしてアメリカとの取引でお金でその研究成果を売り、そしてメンバーがほとんど免責された。
 南京大虐殺では右翼が性懲りもなく、あいまいな否定論を書き続けて、ことごとく真摯に研究している研究者に粉砕されている!!

 にもかかわらず、「つくる会」の教科書が、大田原や横浜市で採択され驚かされる!!

 日本人は、あの戦争時、中国をはじめとするアジア一帯でどんなことをしたのか、その加害の事実にもう一度謙虚に目を向けるべきではないのか!!

コメント (2)
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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-08-15 06:16:10 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
731部隊
『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅱ 日の丸染めて
(昨日の続き)特別車ダッヂブラザース
畳を敷いた広い部屋に、坊主刈りにされたマルタが手錠をかけられてごろごろしていた。中には、明らかに拷問の跡をを示す、殴られたアザや傷がある者もいた。私も残酷な拷問がなされていることは知っていた。マルタの多くは、すでに暗い運命を予測し、あきらめたように眼に力がなく、動作ものろのろとしていた。
 マルタ運搬の特別車は2台あり、2台とも1932年型アメリカ・ゼネラルモーターズ社製の、ダッヂブラザースという左ハンドルで、4.5トンもする大きな車であった。この車は、トラックでいえば荷台の部分が、四方を鉄板でおおってある特別仕立てのものであり、この鉄板の上に国防色のシートを被せていた。また、シートにはセルロイド製の「窓」が縫い付けてあり、外から見ると普通のトラックにただシートがかけてあるように見え、ナンバープレートは、いつでも取り替えることができるようになっていた。これが731部隊得意の偽装であった。
 鉄板の箱の中は、ふだんは真っ暗で、運転台のスイッチ1つで明かりがつくようになっており、また運転台からは内部がのぞかれるようになっていた。排気暖房で、鉄板の上に張った床板から暖をとる仕組みになっていたが、性能が悪く、近距離では暖まらなかった。床板の上には畳がしいてあった。 また、長距離輸送を考えて、この車の後部にはトイレがついていた。平房から実験場の安達(アンダ)までは約260キロほどあり、ちょうど長野から東京をぬけて、横浜へ行くぐらいの距離を走る勘定になった。
 ※マルタにされた人たちの待遇が分かる。かつての日本ではよく拷問が行なわれた。かれらも残酷な拷問にあったのだ。想像を絶する過酷なものだろう!!また、260キロも離れた実験場まで乗り心地の悪いトラックで運ばれたとは?そこで残酷な実験材料にされた!!余りにもむごいことである!!(ノブ)

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
南京大虐殺     
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱漢祥(男、67歳)の証言
 (昨日の続き)張老三は日本軍に捕まって行ってから、○府巷で両腕を2太刀斬られ、肩を1太刀斬られ、後頭部を3太刀斬られ、背中に1発当たりましたが、どこも急所ではなかったため、一遍には死なないで、自分の近くの人家まで這って行き、ちょうどよくその家の人が難民区からちょっと見に帰って来て、張老三を見つけたのでした。明くる朝早くに、その家の人が難民区へ行って彼の家の人に知らせ、彼のお兄さんが竹のベッドで鼓楼病院に担ぎ込みました。彼の家には付き添える人がいないので、私が布団を持って病院へ行き付き添いました。一週間して、張老三が死んだので、私は布団を持って家に帰りました。華僑路の角まで来たら、日本兵にぶつかり、彼らは銃剣で布団を刺し破り、私ともう1人を一緒に拘留しましたが、捕まっているのが100人近く、2人1組で並んでいて、日本軍が背後から機関銃で掃射しました。私は前に立っていて、日本軍が後ろに立っている人を掃射した時に、私は急いで腹這いになって、機関銃に撃たれず、死人のうずたかくなったのに混じっていて、夜になりやっと這い出して来ました。(明日に続く)
 ※ここでも日本刀による一般市民への殺傷事件と機関銃による集団虐殺がが起きている。南京で起こっていた日本軍に」よる一般的な虐殺のようだ!!恐いことです!!

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

MESSAGE(メッセージ)


環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。

人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。

あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。

ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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