1938年 南京 1月11日

2009-01-11 11:02:33 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月11日
 イギリス大使館を訪ね、プリドー・ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、アリソン、ヒュルター各氏と会う。イギリス、ドイツ、アメリカの各大使館が私の頼みを引き受けてくれた。頼みと言うのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。こうしてもらえば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。

 今日、日本軍に米の供給を禁止された。昼、我々が自治委員会のために手配した米の輸送が止まった。
 午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。脱走兵が略奪した古着を探していると言う。その服は、数日前、その兵士から受け取って本部のフィッチの事務所にしまってあった。たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。だが、警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、はいよ、と服を渡した。

 全く日本の警察のやり方は訳がわからない。穏やかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。なにも完全包囲することなどないのだ。
  中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて、それをネタに「事件」をでっち上げようとしたらしい。今度こういう目にあったらどうすればいいか、大使館と相談しておかなければ。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月11日 火曜日
 就寝の準備もできたり、キャンパスに避難している女性難民の大集団が無事に朝を迎えるだろうと思えるような、そんな平穏なここ数日の夜がどんなにありがたいことか、当事者でない人には十分にわかってもらえないだろう。
  ここ2,3日は、新たに任命された憲兵5名が夜間警備に当たっているし、それ以前の8日間は、アメリカ大使館の警官1名が毎晩門衛所に詰めていた。女子学院の正規の夜間警備員のほか、元警官2名が補助要員としていまは民間人の服装でキャンパスを警備している。それ以前の5日間は、一般兵士の一隊(約25名)が警備に当たったが、彼らには少なからず悩まされた。というのは、私たちとしては精一杯のことはしたのだが、彼らは、キャンパスの外だけでなく中も警備すると言って聞かなかった。彼らがキャンパスに来た最初の夜、避難民2人が強姦されたので、その後すぐに大使館の警官に来てもらうようにした。城内全域にたいして憲兵は17人しかいなかった。憲兵がもっと大勢いたら、状況ははるかに良かったであろう。というのは、憲兵は一般の軍人よりもはるかに優秀と思われるからだ。私が会った憲兵は少数だが、みな非常に素晴らしい人のようだ。

 午前9時から正午までの間にF.陳と一緒に国際委員会本部に出かけた。難民収容所の責任者全員が初めて一堂に召集された。素晴らしい会議だった。初めのうちラーベ氏が私たちと一緒にいて、さまざまな収容所ー多分20ヶ所くらいあるーの責任者の努力に対して心からの謝意を表した。出席者は35人ほどだった。私たちが共通に抱えている困難な諸問題について、共に考え、話し合った。・・・・・・・・・・・・

 4時から5時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。数週間前から、つまり、12月14日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。

 夕食後、警備兵と話をするため、王さんと一緒に校門に出向いた。警備隊長の名前を聞いた上で、キャンパス内の秩序維持については私たちが責任を持つことを伝えるのが賢明だと思っている。
  北東の空が一面に赤く輝いている。さらに一棟が延焼しているようだ。 
  この後、薜さんと一緒に文科棟へ避難民数の調査に行った。文科棟には、当初の見積りで490人ほどを割り振ったが、それでも詰め込みすぎたと思った人もいる。しかし、ピーク時には、間違いなく、1棟に2,000人はいたと思う。



「Imagine9」解説【合同出版】より。


軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界

 1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月10日

2009-01-10 16:58:19 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月10日
  9時 クレーガーが、石田少佐から返事をもらって帰ってきた。日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。はっきりと約束したくせに。自治委員会だけに売ろうと言うのだ。我々の方では、言われたとおり今朝早々と米の販売を中止してしまった。難民たちはひどくがっかりした。自治委員会がまだ専用の販売所を開いていないからだ。これは大変なことになる!
 ローゼンが本部に訪ねてきた。日本軍は、私にだけでなくローゼンにも、報告書に少し手加減してもらいたいと言ってきたという。ローゼンはいった。「だから、『あなた方に水と電気をとめられたと報告しておきましょう』といってやりましたよ」

  16時  自治委員会は、安全区の中、我々の本部の近くに販売所を作った。これで、さしあたり最大の難問は解決したことになる。アリソン氏に引き合わせるため、ミルズは私を連れてアメリカ大使館に行った。これまで我々が日本大使館に毎日提出してきた、ひきもきらない日本兵の犯罪に関する報告書を代わって作ってくれることになったのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月10日 月曜日
 じつに素晴らしい一日だった。とりわけ、一日も終わるところが素晴らしかった。夕食の時、ルースから1月5日付けで分厚い手紙が届いていることを知った。・・・・・・・・

  夕食後すぐに居間の円卓を囲み、みなで何度も読み返した。上海支部がより強力になってきているのがわかり、何よりだった。・・・・・・
  私たちは呉博士とルースの手紙を読んだ後、金陵女子学院の今後の計画についてどんなに議論したことか。現時点ではキャンパスに中学校を開設する案は全く問題外だが、無残にも夫を殺害された女性たちのための職業訓練学校の開設は大いに必要であり、また、現実味があるように思われる。
 上海に運んでもらうため、午後4時前、たくさんの手紙をアメリカ大使館に持って行った。考えても御覧なさい。現在、城内にはアメリカ人、イギリス人、ドイツ人がそれぞれ3人、計9人の外国の外交官がいる。生活はほとんど正常に戻ったようだ。もっとも、午後、遠方に見えた煙は、略奪が続いていることを示す証拠であろうし、キャンパスからほど遠くないところで今朝少女が2人強姦された。


Imagine 9解説)【合同出版】より 

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

 中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」  ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月9日

2009-01-09 11:25:18 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月9日
 午前10時。自治委員会のメンバー、王・・(通称ジミー)との談合。数日前、国際委員会の活動を日本軍が力ずくで止めさせようとしていたと聞かされる。結局これは実行には移されなかったが、我々は今後避難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというなら、異存はない。
 ローゼン家とヒュルター家、それから大使館に行ってみた。どこも問題はないが、電気も水も止まっている。 11時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にする羽目になった「小規模の」処刑について報告した。
  日本人将校一人に兵士が2人、山西路にある池の中に中国人(民間人)を追い込んだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士の一人が近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。

 ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルグの3人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人3人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏も一緒だった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったと言いがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。・・・・・・・・・

 夜8時。ドイツ大使館の3人とクレーガーを夕食に招いた。ワインもある。クレーガーが以前、シャルフェンヴェルグの家から失敬してきたものだ。そしてジャーディン海運社の船客のその後の様子、それからビー号とパナイ号のことを話してもらった。・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
 8時にいよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。外交官がやって来ようと、放火を命じられた日本兵は少しも気にならないようだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月9日  日曜日 
  晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。・・・・・・・・・・・・・・

 私たち14名は4時30分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスピー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船2隻もも沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。私が接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人に対しては友好的なようだが、しかし、ロシア人やイギリス人に対しては気をつけるようにと、決まって警告する。今日3人のイギリスの外交官が着任したので喜んでいる。これで私たちのメンバーにさらに6人が加わり、いっそう安定してきたということだ。 ・・・・・・・・・・・・・

 トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、またソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。


「Imagine9」(合同出版)解説より

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。日本はアジア太平洋地域で2000万人命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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1938年 南京 1月8日

2009-01-08 14:11:35 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
1月8日
 ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルグの3氏が、明日イギリス大使館の2人と一緒に南京に来ると福井氏が知らせてくれた。ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本盗まれた。イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルグの家は安全区の外だったこともあって、ひどい荒らされようだった。ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。困ったことに、どこも電気や水が止まっている。そこで福井氏にまた手紙を書いた。アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。

 福井氏がいうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。ドイツ大使館員に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。
  今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪い返そうとしているという噂が、またもやひろまった。それどころか、市内で中国兵の姿を見かけた、という話まで出ている。まず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今しがた、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという。
 この時のささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。いままでは安全区が平穏でいられて、本当によかった。どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月8日   土曜日
 今日は寒く、陽が出なかった。十分な夜具や衣服を持っていない人たちは病気にかかるだろう。キャンパスの外はあまり落ち着いた状況ではないが、帰宅する人はますます増えている。キャンパスにはいまでは5000人ほどが残っているだけだ。キャンパスの西に住んでいる陶は、家族と共に東の中庭で生活していたが、今朝家から戻ってきて、いつ何時兵士たちが押し入って金銭を要求するかもしれないので、男性さえ、今の居住地域に留まるのは不可能だ、と言っている。渡す金がない場合は、兵士たちは、「花姑娘」つまり若いきれいな娘を見つけて来いと強く要求する。彼の話では、家には何一つ残っていない。ドアや窓ぐらいは残っていてほしいと念じながら帰宅したのだが。午後キャンパスから3つの方角に火災が見えた。略奪が続いていると言うことだ。・・・・・・・

 午後日本大使館の高頭が訪ねてきて、学院や個々のアメリカ人がこうむった損害の賠償請求を出すよう私に促した。彼が同伴してきた通訳は、中国人教職員の被害については考慮しないことを明言した。・・・・・・・・・・・・

 いろいろな噂が野火のように広がっている。中国軍が南京の近くまできている、日本軍が、変装して逃げられるように中国人の衣服を借り集めている、などなど。なるほど、民間人の衣服をほしがっているのだろうが、おそらく、もっと真実に近い動機をいくつか私は知っている。高頭に、いつになったら南京に平和が回復し、避難民が帰宅できるようになるのか、と尋ねると、「2日ぐらいしてからだ」という答えだった。農村からやってきた女性たちが言うには、ぞっとするような状況になっていて、彼女たちは、ともかく身の安全を図るため、自分の体を実際に地中に埋めなければならなかったそうだ。
 4時から5時までの間に王さん、程先生と一緒に、王師傳を捜しに車でグレイさんの家に行った。あのようにひどく取り散らかった彼女の家はいまだかつて見たことがない。彼女の持ち物はほとんど全部庭に出されている。生死のほどはともかく、王師傳は見つからなかったが、12月13日以前に蕪湖へ行ったものと推測される。後ほど、私たちは新街口に行った。目抜き通り(中山路)の両側にあった多くの店が焼けてしまい、焼けずに残った店は軒並み略奪に遭ったようだ。道路にトラックが2台停まっていたが、略奪品が積み込まれている最中だった。・・・



「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

9条がゆきわたった世界を。

Imagine,

A world filled with Article 9.



憲法9条は、日本という「国」のものではありません。日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。 (アメリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月7日

2009-01-07 07:32:00 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月7日
 福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、何が何でも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーベの「市長職」も?)我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。そういわれてしまっては、手も足も出ない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。

 南京の危険な状態について、福田氏にもう一度釘を刺しておいた。「市内にはいまだに千ほどの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この26日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。

 今日午前10時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。・・・・・・・・
 占領されて今日で26日。南京のヨーロッパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでわかるだろう。
  リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。
うつろな目をした女性が一人、通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上話をした。18人家族だったが、生き残ったのはこの人一人だという。残りの17人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と3人の子どもを亡くした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺おけを買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちがふたをこじ開け、亡骸(なきがら)を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが彼らの言い分だった。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月7日 金曜日
 きょうの登録は3時に終了した。ここ2日間の登録方法は最も満足のいくものだった。作業はすべて中国人が行ったので、緊張感や恐怖感が取り除かれた。ごく少数の日本人警備兵が傍らの離れたところにいるだけだ。日本大使館の警官数名が中国側警官にいつでも協力できるように待機している。正午に少人数の女性の一団があわただしく入ってきた。南京の西方17華里(8.5キロメートル)のところからやってきたという。彼女たちは、登録したらもう安全、と思っている。・・・・ ・・・・・・

 昨日大使館に到着した3人のアメリカ人に頼まれて、今朝報告書を作成した。・・・・・・・・・・・
 私は、ルース、フローレンス、アリスの3人にあてた手紙を持って行った。今日上海へ発つことになっている船にそれを持って行ってもらえるからだ。上海ではどの程度徹底した検閲が行われているのかわからないので、どんなことを書いたらよいか判断が難しい。・・・・・
 今日は久々にラジオニュースの切抜きを受け取った。私たちが恐れていたことについて情報を伝えてくれるものだった。ここ数日、月明かりの夜に漢口が激しい空襲に見舞われている、というのだ。あのような人口密集都市ではひどいことになっているだろう。漢口は、南京と同様、恐怖の都市に化したと伝えられる。神様、不幸な人々に哀れみを。私たちが南京でこうむった10日間の恐怖の支配を彼らが味わわずにすみますように。・・・・・

 安全区国際委員会の男性メンバーは、すばらしい働きをしている。彼らは自分たちの家は略奪されるがままに任せながらも、中国人の大集団を救済するため、もてる時間とエネルギーすべてを捧げている。ドイツ人ビジネスマン(1)たちもとてもよくやっているし、チームワークが抜群だ。委員長のラーベは恐れを知らない。
  (1)ラーベ、クレーガー、の他に、ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長のエドゥアルト・シュペルリングがいる。彼は日本兵の難民に対する暴行を体を張って阻止し、「安全区の警察官」と呼ばれた。


「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、

ひとりひとりの安全を

大事にする世界を。

Imagine,

A world that values the safety of

each and every human.


政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に平和をつくりたい。それが私の理想です。 (イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月6日

2009-01-06 18:23:19 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月6日
万歳!アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディエンの3氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに12月31日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。
  アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。

 日本の軍当局から米と小麦粉(両方とも軍が略奪したものだが)が買えそうだ。価格は高いが(米一袋13メキシコドル)、約5万メキシコドル買うことにした。石炭も1万2千メキシコドルぐらい買っておかなくては。難民の蓄えが底をついてきたので早急に手を打つ必要がある。・・・・・

 10時ごろ日本軍のトラックが来て、うちの収容所から下関の発電所の作業員を15人連れて行った。みなしぶしぶ出かけていった。前回、食事をちゃんと与えるという約束をしておきながら、ろくなものを食べさせてもらえなかったからだ。全くありつけなかった者もいた。
  それだけではない。発電所ではなく、市の南部の門の近くで塹壕堀をさせられた者も何人かいた。

 午後5時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、食料などの蓄えや資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後我々の仕事を引き継ぐことになっているからだという。冗談じゃない。私は直ちに異議を申し立てた。「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ」。難民の住まいの大半は壊され、略奪されている。焼き払われてしまった家もあるのだ。

 早速会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序を取りもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。
  つまり、「国民政府からもらったのだから、俺たちのものだ!」というわけだ。
 しかし我々の考えは全く違う。なんとしてもこちらの主張を通そうということになった。アメリカやドイツの大使館が支持してくれると当てにしたうえでの結論だ。といっても、先方が果たしてどう考えているのか、まるっきりわからないのだが。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月6日 木曜日 
  昨日午後遅く中国人の登録計画がどうやら変更されたらしい。というのも、引き続き女性の登録は金陵女子文理学院で、男性の登録は金陵大学で行うという通知を受け取ったからだ。しかし、今後は軍ではなく行政職員の指揮で行われることになった。8時には再び女性たちが押し寄せてきた。今回は訓示はなかったが、彼女たちは12列ほどの縦隊に並ばされた。各列の先頭付近にはテーブルが2脚置かれ、最初のテーブルで許可証を、2番目のテーブルで登録カードを受け取るようになっていた。・・・・・・・


 午後、警備の兵士15人が派遣され、現在、彼らは門衛詰め所、というよりは張さん一家が住んでいる家にいる。
   8日間にわたって夜間警備に当たってくれた大使館の警官にはしごく満足していたので、避難民の警護方法を変更することには気が進まなかった。困ったことに、警備兵と一般兵士とを見分けることができないので、キャンパスから警備兵を追い出すというひどい過ちを犯すことになりかねない。・・・・・・ ・・・・・・・・

 比較的年齢の高い避難民は徐々に帰宅しているが、若い人たちは大部分がいまなおキャンパスにとどまっている。賢明な選択だと思う。帰るべき家のない人たちのことを思うと胸が痛む。
  そのような人たちが大勢いる。


「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

戦争にそなえるより

戦争をふせぐ世界を。

Imagine,

A world that instead of

preparing for war,prevents war.

コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを発揮する事があります。なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月5日

2009-01-05 09:57:47 | Weblog
「南京事件」(笠原著:岩波新書)より 
1938年1月5日に、「査問工作」を打ち切った佐々木到一城内粛清委員長は、その成果をこう記す。
   1月5日  査問会打ち切り、この日までに城内より摘出せし敗兵約2000、旧外交部に収容、外国宣教師の手中にありし支那傷病兵を俘虜として収容。城外近郊にあって不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関(シャーカン)において処分せるもの数千に達す。(「佐々木 到一少将私記」)
 年末から新年にかけて実施された「敗残兵狩り」によって、少なくとも数千の男子、それも元兵士の嫌疑をかけられた一般住民が多く虐殺されたのである。南京の近郊区から千単位の男子を敗残兵として連行して下関で処刑したことが記されているが、県城や村においても「敗残兵狩り」の名による虐殺、強姦、放火が行われたのだった。


「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月5日 
 わがジーメンス・キャンプは他の収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴり余計に米を配るからだ。・・・・・・・ 
 いくらなんでも500平方メートルの庭に602人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、誰も出たがらない。・・・・・

 衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病が拡がらないといいが。今日の昼までは水が出たのだが、午後になって止まってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
 登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳飲み子を抱えて5列に並んだまま、人によっては6時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。この厳しい寒さの中、一体どうやって耐えているのかと思う。

 またもや漢中門が閉まっている。昨日は開いていたのに。クレーガーの話では、門のそばの干上がった側溝に300ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された民間人たちだ。日本軍は我々外国人を城外の外に出したがらない。南京の実態がばらされたら困るからな。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月5日 水曜日
 登録業務のため、今朝は7時30分に(通常は8時)に朝食をとった。中国人警官と立ち話をしていると、8時30分までに5000人ないし10000人の女性が私の前をひっきりなしに通り過ぎて行った。なんと哀れな光景だったことか。
  女性たちは、たいてい4人1組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。通達では、30歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。・・・・・・・
 9時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、誰も登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝4時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。・・・・・・・

 状況がいくらか良くなり、緊張がゆるんできている。その証拠に、私たちの仕事を支えてくれている程先生、ブランチ呉さん、王さんの3人が午後風邪と疲労で寝込んでいる。しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。 午後、P.ミルズが、昨夜強姦されたという56歳の女性を戸部街から連れてきた。
 夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「私には今は娘しか残っていない。3日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、その上、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。
  これも午後のことだった。私が執務室にいると、新婚18日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立て屋で、12月15日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。
 さらに別の新婚2ヶ月の若い花嫁がやってきて、12月16日に夫が連れ去られたと話し、私に援助を求めた。いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。
 当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。前者は10家族を、後者は8人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話が絶えず耳に入ってくる。

 5時から6時までの間に、王さんと一緒に日本大使館へ出かけた。大使館の警官を引き続き毎晩校門に配置するよう要請するためだ。警官がいてくれるのはとても助かる。


「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが 平和をつくる世界を。

Imagine,

A world where women create 

peace.

戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。 (アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月4日

2009-01-04 09:31:29 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月4日 
  あいにく、わが家は安全区のはじにある。そのうち、火の手がのびてくるのではないかと不安でたまらない。昨日、またしても近所で3軒放火された。今こうしているうちにも、南の方で新に煙が立ち昇っている。それはそうと、市内はあい変らず闇に包まれている。
  下関の発電機は無事なはずなのに。
  幾度も日本側に抗議しているが、さっぱりだ。
  取締りのため軍事警察がおかれてからは、治安は全体的に確かに良くなったといえるだろう。けれども警察官の中にもいかがわしい連中がいる。そいつらを見て見ぬ振りをするだけだはない。一緒になって悪事を働くことさえあるのだ。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月4日 火曜日
 晴天の暖かい日が続いているところをみると、天にまします神は、きっと弱者に手心を加えてくださっているのだろう。キャンパスでは引き続き登録が行われている。男子に関してはほとんど完了した模様だ。
  今日は、多分5000人ないし一万人の女性が登録しただろう。少なくとも訓示を聞き、予備登録票を受け取るという第一段階は終了しただろう。手続きは8時少し過ぎに始まり、昼休みを除いて4時まで続いた。17歳から30歳までの女性だけが登録するように、との指示があったが、多くの者はそれよりも若いか年長であった。概して、女性は男性よりもましな扱いを受けたが、それでもやはり、警備についている兵士たちは、牛を扱うように女性を引き立て、しきりに面白がったり、時としては頬に判子を押すなどして、当然ながら、彼女たちに恥ずかしい思いをさせている。・・・・・・・・・・・・・・・・・
 南京が陥落してから今日でちょうど3週間になるが、今までのところまだ外国人の出入りは認められていない。 ・・・・・・・

  今夜、南山公寓から火災を2件ー1件は南門付近、もう1件は東門付近ーを目撃したが、これは、いつもに比べてずっと少ない件数だ。登録が終わり次第、避難民は、安全であるという保証のもとに、自宅に帰るよう強く促されるだろう。かわいそうに、帰る家のない人が大勢いるし、たとえ幸運なことに家があっても、これまで何度となく略奪をこうむっているというのに。


「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。

Imagine,

A world that gets rid of

military bases and reclaims

the forests and the oceans.


森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、また、新しく米軍基地がつくられようとしています。 おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。この海は命の海。この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」(沖縄/女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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1938年 南京 1月3日

2009-01-03 08:44:20 | Weblog
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月3日
昨日夜7時に、スマイスがフィッチ宛の報告書を手に医者の許伝音氏のところからやってきた。

    フィッチ様! 本日午後4時半頃、劉培坤は暴行されそうになった妻を守ろうとして日本兵に射殺されました。 近所の家が日本兵に占領されているため、我が家は今、逃げてきた婦人達でいっぱいです。私はシュペアリング氏に手紙を書き、すぐにこちらへ来て我々を守ってくださるようお願いしました。シュペアリング氏の体があかない場合、ここ寧海路五号に、誰か他の外国人を差し向けていただけないでしょうか? 
                        敬具
                        許伝音

 本部に泊り込んでいるはずのシュペアリングをスマイスが探しに行っている間、私はマギーと一緒に日本大使館へ行った。マギーはすでにこの件について詳しい報告を受けていた。田中氏に軍部に出向いてもらい、この事件を調査するよう要求してもらうのだ。これは実に計画的で残虐な犯行だ。

 劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。5人の子どもがいる。夫が駆けつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉を引きずり出した。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足元にひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった。 田中氏は、直ちに軍部に報告すると約束した。私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。だが結局、沙汰やみだ。兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。それ以上こらしめたという話は聞いたことがない。

 せめてもの慰めのつもりだろう、田中氏は、その後とてもうれしいことを教えてくれた。目下蕪湖にいるローゼン、それから多分ヒュルターとシャルフェンベルグの3人が、1月5日に南京に到着するそうだ。ということは、アメリカ大使館の人たちと同じ日だ。そちらからはすでに連絡が来ている。・・・・・・・・・・・

 今日は2階の風呂場でも水が出た。正午には、安全区のあちこちで電気もついたのだが、一時ごろになってまた止まってしまった。多分、我々にラジオのニュースを聞かせないためだろう。

 給食所と収容所の決算報告で、委員会の財政が必ずしも楽ではないことがわかったが、これには改めてうなってしまった。要するに、働いている中国人がめいめいしっかり手数料を取っていたのだ。なんせここは中国だ。手数料なしには何一つ運ばない。・・・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月3日 月曜日
 引き続き登録が行われている。おそらく8ヶ所で行われているのだが、間違いなく、金陵女子文理学院には大勢の人がきている。
  午前8時には日本側の警備兵が到着し、8時30分には訓示が始まり、最初は女性に対し、そのあと男性に対して行われた。

  昨日中国側が策定した新「自治」機構方式は、少なくとも金陵女子文理学院では、日本側の担当官によって完全に、そして唐突に放棄されてしまった。
  午前中に金陵大学に行ったところ、そこでも農学部棟で登録が行われていることを知ったが、群衆の人数は女子学院に比べると少ない。そのために、女子学院では粥の配給が一日一回に減らされており、子どもたちにはとてもつらい思いをさせている。
  しかし、兵士であるとして連行されそうになった場合、ここでは、自分の連れ合いに兵士ではないことを証言してもらえるせいか、男性たちは、女子学院で登録する方が良いと思っているようだ。キャンパスで登録が行われているかぎり、うろつき回る兵士による事件は起きていない。

  5人の女性の夫を捜し出すのに力を貸したいと思い、今日は彼女たちのために手紙というか、嘆願書を書いた。

 今夜、使い走りの魏少年が彼の体験をつぶさに話してくれた。12月14日、少年は最初に国際委員会に、次に大学病院に手紙をもって行く途中のことだった。鼓楼の近くで2人の兵士に制止された。一人が腹部に銃剣を突き付け、もう一人が背後で銃を構えていた。彼らは、少年が腕に巻いていたアメリカ大使館の腕章を引きちぎり、私の書いた手紙を奪い取って破り捨て、少年が携帯していた身分証明書を投げ捨ててしまった。
  そして、もちろん、自転車は取り上げられた。少年は無理やりに下関(シャーカン)へ行かされ、そこでは10日間、彼らのためにもっぱら略奪を働いたり、盗品をトラックに積み込んだりして過ごした。
  少年は、何百人という中国人が殺害されるのを目撃したそうだ。兵士もいれば民間人もいるし、老人もいれば若者もいた。いたるところに死体が転がっていた。
  倒壊をまぬがれた建物はほとんど残っていないようだ。残っているものとしては揚子江賓館と聖公会の建物を少年は記憶していた。運び出されなかった家具は薪に使われたそうだ。ストーブで燃やすのではなく、焚き火に使ったようだ。
  その後2日間、少年は中央大学のすぐ西隣りの家に連れて行かれ、またもや略奪品の運搬をすることになった。最後は略奪品を句容に運ばされた。
  夜明け前に出発し、丸一日飲まず食わずで、日がとっぷり暮れてから句容に到着した。そこに到着してから、男性18人に放免が通告されて、南京に戻ってもよいと言われた。暗闇の中を移動するのは危険だったが、彼らは思い切って出発することにした。何度となく銃剣を突き付けられて制止されながらも、ついに南京に到着した。
  結局のところ、彼らのうち2人以外はみな、またもや運搬の仕事をさせられるために連行された。道すがら、沼はどこにも、人間や動物の死体でいっぱいだったが、それでも、のどの渇きを癒すためにはその水を飲まなければならなかった、と少年は語った。
  12月28日、彼は、やせ細り憔悴して帰宅した。いまなお疲れが取れず、動くこともできないでいる。

 午後、若い女性2人が私の執務室に来て、夫を捜し出すのに力を貸してほしい、と訴えた。3人兄弟のうち2人が12月14日に連行されたという。その一家は、南門の近くで鴨肉屋を経営していた。・・・・・・・・・・・・・・


「Imagine 9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器を使わせない世界を。

Imagine,

A world that doesn’t

let weapons be used.


  憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。それはこれまでの歴史が証明しています。核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、世界はまだ暴力と戦争だらけです。 (アメリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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1938年 南京 1月2日

2009-01-02 18:33:15 | Weblog
1937年の蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに中国に侵略していった日本軍はその当時の中国の首都南京(なんきん)を12月に陥落させた。その南京でどのようなことが起こったかを、南京で避難民を保護する区域をつくり(安全区)その活動の中心的な人々(ここではラーベ【ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党支部長代理、南京安全区国際委員会委員長、ドイツ人・男性】とヴォートリン【金陵女子文理学院教授、宣教師、強姦(ごうかん)・暴行を防ぐために献身的な活動を続けた、アメリカ人・女性】)の日記を引用しながら日ごとに見ています。南京大虐殺と呼ばれている事件です。関心ある人は読んでみて下さい!

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1938年(昭和13年) 1月1日・・・南京市自治委員会成立(日本軍の傀儡〔かいらい〕自治委員会・・・ノブ)

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
 1月2日
 本部の隣の家に日本兵が何人も押し入り、女の人たちが塀(へい)を越えて我々のところへ逃げてきた。クレーガーは、防空壕の上からひらりと塀を飛び越えた。塀は非常に高いのだが、警官が一人手伝ってくれたので、私も後を追おうとした。ところが2人ともバランスを崩して落ちてしまった。
  さいわいかなり太い竹の上だったので、竹が折れただけで、けがをせずにすんだ。その間にクレーガーは兵たちをとっつかまえた。やつらはあわてふためいて逃げていった。ただ、ちょっと様子を見に来ただけだ、というのだ!

 銃剣でのどを突かれた近所の奥さんを私が鼓楼病院に送り込んだのだが、今日ようやく退院が許された。入院費は1日当たりたった80セント。その10日分だ。お金がないというので、私がかわりに払った。

 日本軍の略奪につぐ略奪で、中国人は貧乏のどん底だ。自治委員会の集会がきのう、鼓楼病院で開かれた。演説者が協力という言葉を口にしているそばから、病院の左右両側で家が数件焼けた。軍の放火だ。・・・・・・・

 安全区の通りは、あいかわらず見渡すかぎりの人の海だ。何千というおびただしい人々が道ばたにたたずんでいる。値段の交渉をしている人もある。道路の両側には行商人が鈴なりになって、食料品、タバコ、古い衣服を売っている。
 誰もが日本の腕章や国旗をつけて飛び回っている。横町や道路の間の空き地には、わら小屋が所狭しと建ち並び、難民村ができている。我が家と同じ光景だ。うちの庭には、もはや草一本生えていない。美しかった生垣もあっという間にふみつぶされ、見る影もなくなった。なにしろ大人数だ、しかたあるまい。なによりまず生きることが先決なのだ!

 昨夜、またしても日本兵の乱暴が相次いだ。スマイスが書きとめ、いつものように抗議書として日本大使館に提出した。

 我々がひそかに恐れていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。といったからといって、決して友人としてではない。敵としてだ!かつての日本軍のように、時間通りに爆弾を落としていく。だが、今までのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、つまり南の飛行場かその近くに限られている。
  日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。
 空襲がこのまま安全区の外にとどまるかどうかは、あとになってみないとわからない。だが、そうであってほしい。さもないと、今までよりもっと悲惨なことになるかもしれないのだ。今の安全区の込み具合ときたら、日中は上海よりすごい。そんなところに一発爆弾が落ちたが最後、ものすごい数の人命が失われるのだ。そう思っただけでもぞっとする。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月2日 日曜日
 小春日和。家を消失したり、夜具を盗まれた人たちにとっては何よりの恵だ。
 午前、粥の配給中に、年配の日本人女性3人が車で乗りつけた。国防婦人会の代表者たちだった。彼女たちは何も言わなかったが、興味深そうに眺めていた。日本語を話せたら、ここの避難民たちがこうむっている苦難の一端を説明できるのに、と残念でならない。

 10時、李さんと一緒に鼓楼教会へ行った。それは、実に素晴らしい礼拝だった。・・・・

 午後2時、中国軍機5機が南京市上空に飛来し、爆弾数発を投下した。すると、かつて私たちの側に属していた高射砲の砲声がとどろいた。

 サールはリリア(1)からの手紙を受け取った。日本の新聞記者が持ってきてくれたものだ。彼女がサールから受け取った最新の手紙は11月14日付けだった。彼女はサールにあてて手紙12通、電報6通を送ったが、彼からの返事は受け取らなかった。今日までのところ、南京城内に入ってくることを許された者は一人もいない。

(1)サール・ベイツの夫人リリアは、戦火の南京から避難して日本の東京の世田谷区上北沢に息子と一緒に住んでいた。
※南京からの情報は日本軍が検閲していて配達されなかったのだろう。特に12月の南京の様子は外部に漏らさないようにした。〔ノブ〕


「Imagine 9」より【合同出版】より

想像してごらん、

おたがいに戦争しないと 約束した世界を。

Imagine,

A world that promises

not to fight wars with each other.

戦争して平和を取り戻すんだという意見があります。でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒すといって実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和はつくれないことを、今のイラクは証明しています。(ケニア/男性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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