21世紀新訳・仏教経典(抄)

西川隆範編訳・桝田英伸監修

この世の由来-世記経  ~天界の戦い 「怒りを越えて」その2

2012-10-07 20:17:26 | 経典
そこでまた
〈侍者〉は
〈天帝〉に歌でもって申し上げる。

 〈天帝〉のなさる〈沈黙〉こそが “智者”を損なわないかと恐れるのです
 かの愚かなる〈阿修羅の王〉が 「天帝はわしにおじけづいた」と言いふらさないか
 “身の程知らずの愚か者”こそ “天帝の敵”と申せましょうぞ
 私が一突きで片付けますので 天帝よ、どうかしばし退いてお休みあれ


〈帝釈天〉は
三度、〈侍者〉に向かって歌でもって答える。

 彼の愚者は無智の眼によりて 私を「おじけづいた」と見るやもしれぬが
 我が心は〈第一義(物事の本質・覚りの在り様)〉を観じ続けている 〈忍び黙すること〉こそ最上である、と知っている
 悪の渦中の“悪しき者”とは 怒りの渦中でさらなる怒りを生み続ける
 怒りの渦中でも怒らぬこと これこそが最上の戦(いく)さなのだ

 物事は二つの理由で始まる すなわち、“己れのため”か、“人のため”か
 大勢の人に喧嘩をしかけられても それに報いない者こそが“勝者”なのだ

 物事は二つの理由で始まる すなわち、“己れのため”か、“人のため”か
 争いもないのに喧嘩をしかける者は これこそすなわち“愚か者”である

 もしも“大いなる力のある人”ならば “無力の者”のことは、よく耐え忍ぶだろう
 この力こそ、第一なのだ 〈忍耐〉の中でも、最上のものなのだ

 “愚かな者”が自らを“力あり”という この力は力にあらず
 〈真理に従って耐え忍ぶ力(法忍力)〉こそが “何人たりとも阻むことの出来ぬ力”ぞ




仏陀は比丘たちにこのように語り
言葉を続けるのだった。

「このように
〈帝釈天〉こそ“希有な人”なのだ。

修行者よ
怒りに身を任せてはいけない。


それから
〈帝釈天〉は〈侍者〉に向かってこう語り続けた。

『私こそが
この“智者”であり
“大力の人”であり
“法忍力者”なのだ。

先ほど

私はまさに〈辱めに耐え忍ぶ〉という修行をおこない
〈乱暴なおこない〉から離れようとしていたのだ。

また私は
常に〈辱めに耐え忍ぶ者〉を称讃し続けている。

もし智慧ある人ならば、私のこの道を広めて欲しい。
誰もが
〈耐え忍び、沈黙すること〉を学んで
〈怒りや争い〉から離れるべきなのだ』

と」


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