もうすぐ2月15日、そう、“お釈迦様がこの世を去られた日”「涅槃会(ねはんえ)」です!!
お釈迦様には三大法会(さんだいほうえ)があり、4月8日の“誕生日”「降誕会(ごうたんえ・花まつりとも)」、12月8日の“お悟りを開かれた日”「成道会(じょうどうえ)」と、この「涅槃会」です。
仏教徒としては忘れてはならない、世間に広く知って頂きたい法会ですね。
お釈迦様が“涅槃”に入られたことは本来、なにも悲しいことではなく、身体という最後の煩悩から開放されて、“完全なる涅槃(無余涅槃むよねはんといいます)”を得られた、おめでたい出来事なのです。
しかし、“位の高い菩薩様たち”はそう理解していても、“ただの人間や位の低い神々など”はもう二度とお釈迦様にお会いできない…そういった“嘆きの群集”も描かれるのが、「涅槃図」の特徴になります。ちなみに、上図は高野山に伝わる涅槃図で、国宝であり、畳四畳半ほどもある大きな絵で、一人ひとりの描き分けやその深い精神性ゆえ、“最高の仏画”と賞せられるものです。 あ~、ありがたいなァ…
ちょっと『涅槃経』の改訂は間に合わなかったので、とりあえずお知らせまで。
合掌。
※ 文中の画像は、奈良国立博物館のホームページにて紹介されています。
下記アドレスをご参照下さい。
http://sips03.narahaku.go.jp/exhib/2007toku/insei/insei-06.htm
お釈迦様には三大法会(さんだいほうえ)があり、4月8日の“誕生日”「降誕会(ごうたんえ・花まつりとも)」、12月8日の“お悟りを開かれた日”「成道会(じょうどうえ)」と、この「涅槃会」です。
仏教徒としては忘れてはならない、世間に広く知って頂きたい法会ですね。
お釈迦様が“涅槃”に入られたことは本来、なにも悲しいことではなく、身体という最後の煩悩から開放されて、“完全なる涅槃(無余涅槃むよねはんといいます)”を得られた、おめでたい出来事なのです。
しかし、“位の高い菩薩様たち”はそう理解していても、“ただの人間や位の低い神々など”はもう二度とお釈迦様にお会いできない…そういった“嘆きの群集”も描かれるのが、「涅槃図」の特徴になります。ちなみに、上図は高野山に伝わる涅槃図で、国宝であり、畳四畳半ほどもある大きな絵で、一人ひとりの描き分けやその深い精神性ゆえ、“最高の仏画”と賞せられるものです。 あ~、ありがたいなァ…
ちょっと『涅槃経』の改訂は間に合わなかったので、とりあえずお知らせまで。
合掌。
※ 文中の画像は、奈良国立博物館のホームページにて紹介されています。
下記アドレスをご参照下さい。
http://sips03.narahaku.go.jp/exhib/2007toku/insei/insei-06.htm
ついでにこの国宝の絵の素晴らしさを数点あげさせて頂くと、まず「お釈迦様の東西南北に、根元から二股になった沙羅の木があり(だから沙羅双樹といいます)、その枝が時ならぬに花をつけ、お釈迦様の体を覆ってしなだれかかり、あたかも高貴な鶴が羽を広げたようであった(だから鶴林涅槃というのです)」をきちんと再現しているということ(もちろん、咲き誇る花をつけた姿と虚しく枯れ果てた姿を描いて、一枚の絵の中に時間の推移を表す手法も使っています)。後世の涅槃図では、後ろに八本並べて描くことがパターン化されています。原典をきちんと学んでいるかどうか、ということもありますが、圧倒的に画力の問題かと思います。
お釈迦様を取り巻く群像のドラマ性。その中でもしいて挙げると、お釈迦様の枕元で静かに遠くを見つめるような弥勒菩薩と(この娑婆を次に救う仏の後継者ですもんね!)、足元で立ったまま嘆く年老いた大臣(残念ながら詳細は調べきれなかった方です。伸びたひげと眉毛が、嘆きの涙そのものに見えます)という横の対比。
また、手前中央で山盛りのお供えを掲げて大泣きするいかつい鍛冶職人の頭、チュンダ(彼の供養した食事が原因でお釈迦様は病にかかり、涅槃=死んでしまったのです)と、画面中央やや上で、唯一沙羅の枝によって顔を半分に割られて描かれる人物、お釈迦様の実子・ラゴラ(チュンダに対する複雑な胸中が、この不気味な描き方で表されているように思います。姿もお釈迦様に似て美しい方だったそうですが…)という縦の対比。
どうでしょうか?この絵の構成の素晴らしさを、少しは感じて頂けたでしょうか?
涅槃図には天邪鬼が描かれているそうですが、どこに居るのでしょうか?
涅槃図もいろいろあるようなので、必ずしも描かれているとは限らないのでしょうか?