仏陀はアーナンダとヴァイデーヒーの二人に向かってお告げになられた。
「この事を目の当たりに出来るようになりましたら
次には
まさに阿弥陀仏の姿を観想なさって下さい。
なぜ〈仏の観想〉を勧めるのかといいますと
もろもろの〈仏(迷いより目覚めた者)〉・〈如来(真如【ありのままの悟りの世界】へと行き、真如より来たる者)〉は
実は〈真如の法そのもの〉を身体としていらっしゃるので
“あらゆる生き物の心の想い”の中に入ることが出来るから
なのです。
ですので
あなた方が心に仏を想う時には
あなた方の心が〈三十二相(さんじゅうにそう・仏の持つ勝れた32の特徴)、八十隋形好(はちじゅうずいぎょうこう・仏の持つ、より細やかな80の特徴)〉に沿って形作られてゆくのであり
いわばあなた方の心が仏となるのです。
あなた方の心が仏そのものなのです。
もろもろの仏たちの〈あまねく行き渡る悟りの海〉は
あなた方の心の想いから生まれて来るのです。
ですから
まさに一心に念(おも)いをつなげて
かの〈阿弥陀仏〉・〈真如より来たる者〉・〈敬うにふさわしい者〉・〈限りない悟りの境地の者〉を諦らかに観想すべきなのです。
かの阿弥陀仏を観想しようとするならば
まずはその姿を想って下さい(監修者註:三十二相・八十隋形好を観じるということ)。
眼を閉じても開いても
仏の宝のような姿が紫金色に輝いて
先ほどの蓮華の上に坐っておられる様を目の当たりに出来るようになさって下さい。
この〈坐せる姿〉に見(まみ)えることによって、〈心の眼〉は開かれるのです。
やがて一つ一つ明らかに、極楽の様子が見えて来ることでしょう。
七宝が合わさった様々な美しい飾り…。
〈宝の大地〉
〈宝の池〉
立ち並ぶ〈宝の樹〉と
大勢の天人や〈宝の幔(とばり)〉が地を覆う様子
さらには〈無数の宝石で編み上げられた薄絹の網〉が
虚空の中に満ちてゆく…。
このように見ること
あたかも手の平の中を見るように
極めて明瞭に観想出来るようになさって下さい。
このように見ることが出来ましたら
さらに加えて
大蓮華が仏の左にあるように観想して下さい。先ほどと少しも変わらない蓮華です。
またさらに、仏の右側にも同様の大蓮華を観想するのです。
左の蓮華座には観世音菩薩がお坐りになり
阿弥陀仏と同様に金色に光り輝きます。
そして右の蓮華座には大勢至菩薩がお坐りになります。
この観想が完成すると、仏・菩薩のお姿は光明を放ちます。
金色の光はもろもろの〈宝の樹〉を照らします。
すると
一つ一つの樹の下に三つの蓮華が現れます。
それぞれの蓮華の上に阿弥陀仏と二人の菩薩の姿が現れます。
極楽中が弥陀三尊で満たされるのです。
この観想を成し遂げた時には
この行者はあらゆるものが〈妙なる法〉を解き明かすのを聞くでしょう。
水のせせらぎ
光のきらめき
宝樹のそよぎ
美しい鳥たちの歌声…。
〈三昧(瞑想状態・定)〉より出ても
再び〈三昧〉に入っても
常に〈妙なる法〉が聞けるようになさって下さい。
行者は
極楽の三昧の中で聞いた教えを
〈三昧〉より出てからも忘れることのないよう、記憶なさって下さい。
そしてその内容を経文と照らし合わせて下さい。
もし合わないようでしたらそれは〈妄想〉に過ぎません。
しかし一致するならば
それは〈「極楽世界に見(まみ)えること」の“荒削り”な想い〉と名づけられる観想なのです。
これが、第八の瞑想たる〈像想〉です。
この観想が出来れば、〈無量億劫の生死の罪〉が除かれます。
また、現在の身の中で〈念仏三昧〉を得ることが出来るのです。
「この事を目の当たりに出来るようになりましたら
次には
まさに阿弥陀仏の姿を観想なさって下さい。
なぜ〈仏の観想〉を勧めるのかといいますと
もろもろの〈仏(迷いより目覚めた者)〉・〈如来(真如【ありのままの悟りの世界】へと行き、真如より来たる者)〉は
実は〈真如の法そのもの〉を身体としていらっしゃるので
“あらゆる生き物の心の想い”の中に入ることが出来るから
なのです。
ですので
あなた方が心に仏を想う時には
あなた方の心が〈三十二相(さんじゅうにそう・仏の持つ勝れた32の特徴)、八十隋形好(はちじゅうずいぎょうこう・仏の持つ、より細やかな80の特徴)〉に沿って形作られてゆくのであり
いわばあなた方の心が仏となるのです。
あなた方の心が仏そのものなのです。
もろもろの仏たちの〈あまねく行き渡る悟りの海〉は
あなた方の心の想いから生まれて来るのです。
ですから
まさに一心に念(おも)いをつなげて
かの〈阿弥陀仏〉・〈真如より来たる者〉・〈敬うにふさわしい者〉・〈限りない悟りの境地の者〉を諦らかに観想すべきなのです。
かの阿弥陀仏を観想しようとするならば
まずはその姿を想って下さい(監修者註:三十二相・八十隋形好を観じるということ)。
眼を閉じても開いても
仏の宝のような姿が紫金色に輝いて
先ほどの蓮華の上に坐っておられる様を目の当たりに出来るようになさって下さい。
この〈坐せる姿〉に見(まみ)えることによって、〈心の眼〉は開かれるのです。
やがて一つ一つ明らかに、極楽の様子が見えて来ることでしょう。
七宝が合わさった様々な美しい飾り…。
〈宝の大地〉
〈宝の池〉
立ち並ぶ〈宝の樹〉と
大勢の天人や〈宝の幔(とばり)〉が地を覆う様子
さらには〈無数の宝石で編み上げられた薄絹の網〉が
虚空の中に満ちてゆく…。
このように見ること
あたかも手の平の中を見るように
極めて明瞭に観想出来るようになさって下さい。
このように見ることが出来ましたら
さらに加えて
大蓮華が仏の左にあるように観想して下さい。先ほどと少しも変わらない蓮華です。
またさらに、仏の右側にも同様の大蓮華を観想するのです。
左の蓮華座には観世音菩薩がお坐りになり
阿弥陀仏と同様に金色に光り輝きます。
そして右の蓮華座には大勢至菩薩がお坐りになります。
この観想が完成すると、仏・菩薩のお姿は光明を放ちます。
金色の光はもろもろの〈宝の樹〉を照らします。
すると
一つ一つの樹の下に三つの蓮華が現れます。
それぞれの蓮華の上に阿弥陀仏と二人の菩薩の姿が現れます。
極楽中が弥陀三尊で満たされるのです。
この観想を成し遂げた時には
この行者はあらゆるものが〈妙なる法〉を解き明かすのを聞くでしょう。
水のせせらぎ
光のきらめき
宝樹のそよぎ
美しい鳥たちの歌声…。
〈三昧(瞑想状態・定)〉より出ても
再び〈三昧〉に入っても
常に〈妙なる法〉が聞けるようになさって下さい。
行者は
極楽の三昧の中で聞いた教えを
〈三昧〉より出てからも忘れることのないよう、記憶なさって下さい。
そしてその内容を経文と照らし合わせて下さい。
もし合わないようでしたらそれは〈妄想〉に過ぎません。
しかし一致するならば
それは〈「極楽世界に見(まみ)えること」の“荒削り”な想い〉と名づけられる観想なのです。
これが、第八の瞑想たる〈像想〉です。
この観想が出来れば、〈無量億劫の生死の罪〉が除かれます。
また、現在の身の中で〈念仏三昧〉を得ることが出来るのです。
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