上海のアンティークな建物を検索しているうちに
徐光啓という明の時代の宰相のことを知りました。
私が以前興味を持ったイエズス会の宣教師マテオリッチにも縁の深い人です。
今日はこの徐光啓という偉人について紹介したいと思います。
1562年、中国の上海に生まれた徐光啓は博学多才な人物で、1597年、
35歳のときに中国の官吏の試験、科挙の中の『郷試』に合格しました。
『郷試』に合格する、ということは国の政治を動かす官吏への第1歩です。
彼はとても頭のいい人だったということですね。
その後,徐光啓は南京で活動していたイエズス会の
イタリア人司祭マテオ・リッチ(Matteo Ricci/1552 - 1610/中国語名:利瑪竇)の
話を聞き、ぜひともリッチの西洋の教えを受けたいと南京に向かいます。
当時、マテオ・リッチは南京で中国語や中国の習慣を学びながら、布教活動をしていました。
同時にヨーロッパの天文学や数学などを中国の人々に教え、ヨーロッパから送られて来た
珍しいおみやげ品を役人に贈り、
中国人との交流を様々な手段を用いて深めていきました。
念願の南京に到着した徐光啓はイエズス会の宣教師たちと交流を深めながら,
自分自身がキリスト教に大きな影響を受けていました。
そして、とうとう1603年に宣教師ヨハネ・ソエリオ(羅如望)の手で洗礼を受け、
キリスト教徒となったそうです。
その後、当時の試験では最も難しい『進士』の試験に合格、国の政治に直接関わる官吏となりました。
彼はじょじょに頭角を現し、ついには式部省の頭となり、明朝の宰相となるのですが、、、
徐光啓とリッチとの交際はますます深く広くなり、天文学,地理、物理、水利、
暦数などについても学んでいきました。
特にユークリッド(Euclid)の「幾何学原論(Στοιχε?α/Elements)」をリッチとともに中国語に訳し、
「幾何」「点」「線」「面」「平行線」「鈍角」「鋭角」といった用語を中国で初めて使ったそうです。
また,彼の著書や翻訳書は非常に多く、日本にも大きな影響を与えた農書『農政全書』などが有名です。
徐光啓の学問の師匠であり、信仰の指導者であるマテオ・リッチの宣教活動は
中国の服を着て中国人と同じような生活を送り、その土地の習慣をよく研究し
キリスト教に中国古来の習俗や人々が信奉する儒教を取り入れ、すりあわせながら
伝道する方法でした。
徐光啓はさまざまな功績を残すとともにリッチの伝道活動を支え,援助していました。
彼はカトリックの教えは儒教を補うものと考えており、そのため迫害を蒙らずに、
明朝の政治の世界で高位に昇ることができた、と言われています。
恐らく、徐光啓はマテオ・リッチの宣教の形をそのまま受け入れたのではないでしょうか。
1633年、徐光啓は亡くなり、上海の「徐家匯」に埋葬されました。
「徐家匯(xu-jia-hui)」とは、「徐家」の水路の集まるところと言う意味で、
1978年に、政府はこの辺を「南丹公園」と名づけ、
1983年には徐光啓逝去350周年の記念として、公園の名を「光啓公園」に改称しました。
このことから考えても、徐光啓は中国政府も認めた偉人のひとりだと言えるでしょう。
「徐家匯」には1906年から6年間かけて建築された聖イグナチオ教会
(徐家匯教会と通称されている)があります。
とても素敵な教会堂で、現在もミサが行われています。
明や清の時代のお役人は,科挙という信じられないくらい難しい試験に合格した学者ばかりです。
徐光啓は政治の世界で活躍しながら、西洋の新しい科学を中国に取り入れるという
偉業を成し遂げた人です。
本当はどんな人だったのでしょうか、、、すごく興味があります。
さて、私の趣味の分野の長文におつき合いくださりありがとうございました。
3月にはまた上海に行く予定です。
その時には,徐光啓の公園に行ってみたいと思っています。