皆、ワンダースワンと言う携帯用ゲーム機の存在を覚えているだろうか。


いや、「覚えている」っつーのは失礼か。ある意味現行機、だ。
ワンダースワンは、バンダイ(現バンダイナムコ)が作った携帯用ゲーム機で、現在は市場に流れてはいないが、実は受注生産はいまだ受け付けてるハズだ。
前回、横型の携帯用ゲーム機としてiPhoneと相性が良さそうなゲームギアを取り上げたが、「そう言えばワンダースワンもあったな」ってぇんで今回はこれを取り上げる。
昔、今や見かけなくなった「中古ゲームショップ」(このテの店は全部Amazonにやられちまって消えちまったように見える)なんかだと割にイチオシのゲーム機で、特に話題になったのは、スクエア(現スクエア・エニックス)の往年の名作がたくさん移植されて、結果、本体価格の安さもあってそれなりに売れたゲーム機のように記憶している。

ワンダースワン版「ファイナル・ファンタジーII」。ピクセルリマスターなんてモンじゃなくってこっちはホンマモンのピクセル物だ(笑)。なお、スクエアがワンダースワンに参加したのは任天堂との関係がこじれにこじれてた時期と一致し、「あのスクエアがプレステ以外に参入!?」と意外に思われたが、実は既に業績が悪化し始めていて(と言うのも映画「ファイナル・ファンタジー」の制作費が雪だるま式に膨らんでいた為)、インカム増加を目指してワンダースワンに参加したらしい。しかしながら、結果、映画「ファイナル・ファンタジー」の興行失敗で本当に経営は火の車となる。なお、映画「ファイナル・ファンタジー」は「ふくの映画ブログ」でも「ピロEK脱オタ宣言!…ただし長期計画」でも扱ってないくらい駄作らしい。
一方、3DOなんかもそうなんだけど、突発的に売れて収束したゲーム機って「言われないと思い出さない」ブツになるんだよな(笑)。ワンダースワンも恐らく、言われれば「ああ、あったなそんなの」と「辛うじて思い出す」ゲーム機なんじゃないか、って思う。
ところで、今の若い人だと
「バンナムの半身がゲーム機製作?」
とかピンと来ないかもしんない。
ところが、バンダイ、ってメーカーは、実はエレクトロニクスを利用した玩具だとかつては先行メーカーの一つ、だったんだ。何もガンプラ「だけ」のメーカーじゃなかったんだよ(笑)。
そして「版権頼みのしょーもないゲームの粗製乱造メーカー」になるのはもうちょっとあとの話、なんだ。
まずはバンダイは、任天堂が興した初期の「携帯ゲーム」市場、つまり「ゲーム&ウォッチ」だよな、に果敢に挑戦してたりしたんだ。
バンダイのゲーム&ウォッチ(笑)をLCD GAME DIGITALと言って、二番手メーカーとして当時は知名度を誇ってたし、当時の子どもたちの評価もそれなりに高かったんだ。

バンダイのLCD GAME DIGITAL。かつてのバンダイは任天堂のライバルとして君臨していた。
また、FL(蛍光管)を利用してたいわゆるLSIゲーム(今だと電子ゲームと呼ぶらしいが)でも学研と競ってたのがバンダイで、バンダイ製LSIゲームは「スピーディーだ」と、これも子どもたちの評価が高かったモンだ。

バンダイ製の「パックマンのパクリ」LSIゲームの「パックリモンスター」。パックマンには全然見えないが、スピーディーな感触のパクリで当時はかなり評価が高かった。なお、バンダイ製LSIゲームの特徴にジョイスティックがあって、扱いやすさや壊れにくさにメチャクチャ定評があった。ある意味、任天堂の「十字キー」に匹敵する性能と安定感がある。後に、「パクリゲーム」を作ってたバンダイと「パクられた」ナムコが合併してバンダイナムコと化す、たぁなかなか感慨深い。
当時、バンダイ「だけ」がゲーム&ウォッチスタイルの液晶ゲームとFL(蛍光管)を使ったLSIゲームの両方をやってたんじゃないか、と思う。任天堂はゲーム&ウォッチにリソースを集中してたし、学研は任天堂の寡占状態である携帯ゲーム市場には参入しなかったと思う。
また、エポック、ツクダオリジナル、トミー、タカラなんかの同業他社はこのジャンルに於いては後塵を拝してた。任天堂は花札屋だし、学研は本屋。異業種に市場を荒らされていたエレクトロニクス玩具マーケットでは、おもちゃ屋、としては唯一バンダイが気を吐いてた、って言って良い。
そう、かつてのバンダイは玩具業界の中では殆ど唯一「エレクトロニクスに明るい」会社、ってイメージだったんだよ。
ところが、このテの「電子ゲーム」のブームが去りつつある、多分1982年頃?からエレクトロニクス玩具先行メーカーだったバンダイに陰りが出始める。
具体的には、電子ゲーム時代には後塵を拝してたトミーやタカラが「ゲーム専用」のパソコンを販売するのに対抗出来なかったんだよな。トミーが「ぴゅう太」を発売したのはこの頃だ。
要は、テレビに繋げる「据え置き機」の時代が到来しつつあったのに、バンダイはそこに対処出来なかった。
いや、市場を席巻したい、って意欲はあったんだろ。ただ、エレクトロニクス玩具の豊富な知識を持っていたにも関わらず、「一から商品を作る」って判断が出来なかった。これは「能力がない」って言う意味じゃなくって単なる経営判断だろ。自ら一から商品を作るより、先行してたアメリカの市場に従って、輸入品を日本で販売すればいい、って判断になったんじゃないか。その方が向こうの市場と足並みが揃うだろ、と(※1)。
でもそれがやっぱ失策で、バンダイが日本で普及させようとした米国製品群は悉く失敗する、んだ。
任天堂と同様に、エレクトロニクス玩具の知識があり、継続的にゲームを製作出来ただろうノウハウがあったにも関わらず、任天堂と真逆の道を進んだこの2年くらいで、かつての「玩具業界のエレクトロニクス玩具の雄」は落ちぶれちまうんだ。完全に時流に乗りそこねた。
そして、1985年にバンダイはファミコンのサードパーティと化す。かつてのライバル会社の下僕と化し(笑)、信頼性の薄い「版権頼りの」粗製乱造ゲームメーカーと化すんだ(笑)。
しかし、バンダイと言うメーカー。ファミコンやスーファミのサードパーティをやりつつ、黎明期のカセット式ビデオゲームコンソールビジネスで成果をあげられなかったにも関わらず、「独立したゲーミングコンソールビジネスをやりたい」と言う野望を捨てきれなかった模様だ。
そんなバンダイの最大の失敗例が、こともあろうに、Appleに乗せられて作ったピピンアットマークと言う機械だ。

ピピンアットマーク
これは元々、スティーヴ・ジョブスが戻る前のAppleのMacintosh互換機計画の一環だったと思う。
Appleは一時期、IBM-PC互換機(Windows機)ビジネスと同様に、Macの互換機を作るよう数メーカーに働きかけてたんだよな。そしてその一環で、Macの中心部分だけを独立させてゲーム機とし、その製造権利を数社にライセンスして販売しよう、と。そういうプロジェクトを立ち上げたわけだよ。そしてそのゲーム機の名前をピピン、とした。ピピンはリンゴの一種との事(※3)。
ところが、似たような「複数の会社にライセンスを与える」ビジネスモデルだった3DOは結果大失敗で終わったわけだ。これで色んなハードウェアメーカーが二の足を踏んだんだな(笑)。
結果、当初から参加を表明してたバンダイのみ、が残った・・・言い換えるとバンダイがババを引いた、とも言う(笑)。
そもそも、この計画に無理があるのが、ハードウェア的に見た場合、Macintoshってコンピュータってゲーミングプラットフォームとしてはショボかったんだよな。要は、ゲームをグリグリ動かして楽勝、とか言うハードウェアではない。
と言うのも、Macintoshってのは当時、その設計上、CPUに超負荷がかかるようになってたわけ。なんでもかんでもソフトウェアにやらせる。言い換えると、特殊なゲーム用動画回路とかサウンド用回路とか持ってたわけでもない。ホントCPUしかない、んだ。
何度か言ってるけど、Appleってメーカーは本質的にはソフトウェアメーカーであってハードウェアメーカーじゃなかったの。なんせカスタムチップをデザイン出来るような能力がなかった。なんでもかんでもソフトウェアにやらせる、ってのがAppleの伝統芸で、そのお陰で生き延びれた、ってのは事実なんだが、一方、「ゲーミングプラットフォーム」なんつー特殊なビジネスを生き抜けるような技術力は元々ねぇメーカーなんだわ。
結果、誰もが、特にゲーマーは、ピピンは失敗するだろうな、と予想してて、予想通りにピピンアットマークは失敗した、ってだけの話となる(※4)。
バンダイはただクソを掴まされただけ、だ。
とまぁ、歴史的には、バンダイは独自のゲーミングコンソール作成に挑戦しては失敗を繰り返してきてるわけ。
そして今んトコ、バンダイにおける最後の挑戦が今回扱っているワンダースワンだ。
これはある程度有名な話だろうが、その血筋から見るとワンダースワンこそが任天堂のゲームボーイの正統な後継機だ。
開発者は任天堂でゲームボーイを開発した横井軍平氏。氏が任天堂を早期退職した後に設立した会社、コト、にバンダイから「携帯用ゲーム機を作ってくれ」と依頼が舞い込む。それで横井軍平氏が理想とした「旧ゲームボーイの完成形」がワンダースワンだ。
まぁ、ある意味、バンダイが元任天堂社員に「打倒任天堂」のマシン作成を依頼した、って事だな(笑)。
ちなみに、横井軍平氏はワンダースワンの完成を見る事なく、自動車事故でこの世を去る。享年56歳。
とまぁ、これらがザックリとしたバンダイのコンシューマーゲーム機への挑戦、とワンダースワンへと至る道、だ。
では、本題のワンダースワンとiPhoneの相性、だが悪くない。今までも画像を見せてきたがゲームギアよか遥かにiPhoneとフィットしてる、って感じるんじゃないか。



ワンダースワンのサイズは74.3mm×121mmなんで現行のiPhoneよか若干小さい、ってなカンジ。
だが誤差の範囲だろう。iPhoneをワンダースワンとして使う、ってのは十分実用性はある。
ただし、欠点もある。元々ワンダースワンは縦にしようが横にしようが遊べる、と言った、ちとATARI Lynxのコンセプト近いモノを持ってたんだよな。ゲームにより縦長が向いてるモノと横長が向いてるモノがあるだろう、と。
んで、iPhoneも縦にしたり横にしたり、と自在に出来るデバイスなんだけど、これと一部のワンダースワンとのゲームの相性が良くなかったりすんだよな(苦笑)。
例えば前にも書いたクレージークライマー。これもワンダースワンに移植されてるんだけど、こんな風になっちまう。


これじゃダメだろ(笑)。
クレージークライマーの鬼門再び、だ(笑)。
もっとも、このソフトは初期型の白黒ワンダースワン用ソフトなんで、カラーで遊びたかったら素直にスーファミのROMからデータを吸い出した方がいいだろう。
綺麗さ、って意味で言うと、やっぱりゲームボーイアドバンスには敵わないとは思う。ワンダースワンカラーは同時発色数が241色、なんでスーファミより若干劣る程度だが、ゲームボーイアドバンスの32,768色には到底及ばない。
ただし、実用的な意味ではそこまで差を感じないのではないか。


若干デジタイズ画面が、やっぱワンダースワンカラーの方が荒く、ノイズ多め、ってなカンジかな?
でもどのみち、個人的にはアトリエシリーズは好きじゃないんでどーでもいい(笑)。
ま、いずれにせよ、ワンダースワンのソフトを持ってる人はiPhoneでプレイするといいぞ、と言う事を言っておこう。
以上。
※1: 今だと、結果から見ると「失策だ」と言えるが、この手法自体はオーソドックスに思える。
大体、この方針は、大きく成功した「ソフトバンク」の手法と丸っきり同じだ。ソフトバンクもすぐ欧米で流行ればそれを日本にそのまま持ち込もうとし、それで上手く行っている(ケースが多い)。
ソフトバンクとバンダイと何が違ったのか、と言えばソフトバンクには運があったがバンダイには無かった、って程度じゃないだろうか。
あるいは、社長がハゲだと強い、って事かもしれない(謎
※2: ファミコン開発者の故・上村雅之氏によると、インテレビジョンは「業務用のドンキーコングを家庭に持ち込みたい」と言うのと同時に、任天堂のファミコンの「性能」の目標だった、との事。
バンダイが日本に紹介したのは1982年だが、アメリカでは1980年に発売された機械で、滑らかな動きが特徴的な16bitマシンだった。ファミコン開発ではこの「動画性能」への挑戦を目論んだらしい。
※3: つまり、「ピピン」のバンダイ製のハードウェアが「アットマーク」と言うのが元々の意だったと思う。
※4: Appleは歴史的に見るとこういう「失敗例」の方が多いんだ。
今だけ見て「Appleのイノベーションはスゴイ」とか言う提灯記事を書いてる奴らはホンマ歴史を知らん。知ってればそこまでAppleが「信頼できる」メーカーだとは思わないだろう。